第8話 2020年5月10日

 ふと、意識が覚醒していることに気づく。なんとなく電子書籍を読んでいたら寝落ちしていたみたいだ。窓を開けると、外は曇り空。時刻は午前9時。


 寝ぼけ眼でダイニングに出てみると、作り置きの朝食。母さんも父さんも仕事に出ているらしい。偉くなると休みがなくなると言っていた父さんの言葉を思い出す。


 母さんが出掛ける前に作ってくれたらしいスクランブルエッグとサラダ、それにトーストを焼いて、もしゃもしゃと食べる。スクランブルエッグは冷めていたので、レンジでチンした方が良かったかも。


 部屋に戻って、昨日のことをふと考える。エッチな漫画を見られてしまったのは痛かったけど、嫌われていないかな。そわそわしながら、メッセージが来るのを待ったけど、午前11時になっても、メッセージが来ない。


 昨日の件が尾を引いているのかもしれないけど、なんて書けばいいだろうか。【ごめん】は違う気がする。【ひょっとして、昨日のこと気にしてる?】とかは、自意識過剰な気がする。延々と悩んだ末、シンプルに


【今日は調子どう?】


 なんていう、よくわからないメッセージを送ってしまった。毎日のやり取りが当然のようになっていたけど、別に約束しているわけでもないのだ。


 メッセージが返ってきたのは、それからさらに30分後。


【ごめん、ちょっと調子悪くて寝てたんだ】


 との返事。新型コロナウイルスの話題で持ち切りな昨日今日、まさかと思いつつ、ついその可能性を考えてしまう。


【大丈夫?高熱とか、咳とか】


 新型コロナウイルスでよくあると言われている症状らしいけど、僕にはよくわからない。そうじゃなければいいのだけど。


【そういうんじゃないから。ちょっと生理が重くて。心配かけてごめんね】


 返ってきた返事を見て、しまった、と思う。男の僕は忘れがちになるけど、女の子はそういう日があるのだった。


【そっか。ゆっくり休んでね。ごめん】


 そういえば、ヒナは時々生理が重い時があると言っていたのを思い出した。今日は我慢するしかないか、そう思っていたけど。


【ちょっとラインで話せないかな?】


 ヒナから来たのは意外な言葉。


【大丈夫?】

【別に病気じゃないんだよ。話すくらいなら平気】


 ということ。ラインの無料通話の機能を使って、電話をかける。しばらくして、ヒナが出た。


「おはよ。ゆうちゃん」


 昨日ぶりの声。考えてみると、ヒナと通話することはあまりない。最近はベランダかお互いの家かのどっちかだし、普段なら一緒に登下校する。


「なんか、ヒナと電話するの不思議な気分」

「ゆうちゃんとは、普段使わないもんね」


 言ってて、何やってるんだろうなと思う。


「最近、友達とは話したりするの?」


 僕とヒナは、学校内だと別のグループで話していることが多い。ヒナは小柄なのと、小動物めいたのがいいのか、女子グループから可愛がられているようなところがある。


「あんまり。グループだったらいいけど、何話していいかわからないもん」

「今だと暗い話になりそうだよね」


 長期間の休校は、どこか、クラス内の人間関係も変えてしまったように思う。


「ゆうちゃんは?誰かと話したりしないの?」

「僕もあんまり。大樹だいきとはチャットしてるけどね」


 大樹は僕と同じクラスの男子で、ゲーム関連で話があうので、よく話をしている。実際に会ったら、色々話したいこともあるのだけど、改まってラインで雑談する、というのも少し気後れして、ほとんど話せていない。


 そういえば、昨日のことを話しておかないと。


「あのさ。昨日のことだけどさ。別に、あんな漫画ばっかり読んでるわけじゃないんだ。たまに、たまに、なんとなく読むだけだから。それにさ、あれだって友達から借りただけなんだ」


 僕は、なんでこんな言い訳がましいことを言っているのだろうか。別に友達から借りたわけじゃないし、週に1回くらいは読んでいる。


「ゆうちゃん、なんでそんな必死なの?昨日はその……ちょっとびっくりしたけど、男の子は定期的に、えーとその、ああいうの読まないと溜まる……んでしょ?」


 ヒナがどこまで男の生理現象を知っているかはわからないけど、保健体育の授業では自慰行為のことは習わなかった。でも、口ぶりからはなんとなく知っているような気もする。


 嫌われているわけじゃなかったみたいだけど、妙に気遣われているのが気恥ずかしくて、いたたまれなくなる。


「えーと、溜まるっていうか、ちょっと興味があっただけだから」

「そ、そうなんだ……」


 しばらくお互いに無言になる。気まずい。


「そ、そういえばさ。明日から、再開する高校あるらしいよ」

「あ、うん。見たよ。大丈夫なのかな……」


 無理やりな話題転換だけど、乗ってくれたみたいだ。


「なんだか、急に自粛解除しそうなとこ、増えて来たけど……広がったらどうするんだろ」


 ニュースを見てても、ツイッターを見てても、自粛を解除していくのが正しいのかどうなのか、よくわからない。


「私は、早く運動したいな」


 ヒナは卓球部に所属している。部ではまあまあ、らしいけど、以前に対戦してみたらボロ負けしたことがある。


「でも、東京はまだ先っぽいね」

「家に、ランニングマシーン?、ああいうのがあったらいいのに」

「最近自宅で運動が流行ってるらしいね。買ってもらったら?」

「高いし、場所がないよー」

「それもそうだね」


 僕らの住んでいる分譲マンションは、父さんたちがローンを組んで購入したらしいけど、空き部屋はないので、買っても置くところが無い。


「また明日、散歩でも行く?」

「行く。お肉も気になってきたもん」

「ヒナは十分痩せてるだろ」

「服の上からだとわからないんだよ」

「そうかな……」


 胸も含めて、お肉らしきものがついているようには見えなかったけど。


「そうなの!とにかく、明日ね」

「うん。また明日」


 そうして、通話が切れた。気が付くと1時間も経っていた。


 今日は話せないかもと思っていたけど、ちょっと話せたし、それに、昨日のことで嫌われたわけじゃなくて良かった。 


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