ごちそうさま

 後片付けを手伝いながら、僕はちょっとだけ、まにゃにゃ達に嫉妬する。あんな場馴れしたキスなんて、僕には一生できる気がしなかった。

 やはり、あの二人は最高のコンビなのかも知れない。


「ねえ由佳里、いつか僕達も、あんな風になれるかな?」


 長テーブルを畳みながら、由佳里に聞いてみる。

 考えた末、由佳里は「無理だと思う」と呟いた。


「私達は、最高のカップルだと思ってるよ。あの二人はどっちかっていうと、最強なんだよ」

「最強、か」

「だって、私達とは食べる意味が違うもん」

「そうだね。僕もそう思う」


 二人で長机を持ち上げ、オバちゃんが用意した軽トラックの荷台に積んでいく。


「私は、君を置いていったりしないよ」


 そうか、恐れてはダメなんだ。

 どれだけ由佳里が強くなっても、遠くへ行く訳じゃない。由佳里は、由佳里のままだ。


「ありがとう、由佳里」


 巨大オムライス攻略の時に思った感覚が、再び僕に呼び起こされた。

 後片付けが終わり、オバちゃん達と花見客が引き上げていく。

 今まで戦いをずっと見ていた知佳さんが、シートから立ち上がった。


「いやいや、いいもん見せてもらったわ。あんたのキス変、しかと見届けたよ」

「お姉ちゃん……」




「実はね、あの二人を呼んだの、私なんだわ」

 衝撃的な内容を、知佳さんが口にした。



「お姉ちゃんが⁉」 

「うん、そう。あんたがもし大会とかに出た場合、通用するかなって思って。あの二人は、それを見極める為に私が雇った刺客、って訳。キス変っていう味変方法があるってのも、私が二人に教えたんだよ」


 まにゃにゃが勝負を挑んできた背景には、そんな事情があったのか。


「だとしたら、知佳さんに教えられてそんなに経ってないのに、あの二人はキス変をマスターしたって事に」


「うん。そうなるね」

 僕は、大食いプロの底の深さを、改めて思い知る。


 特に驚異なのは、舜さんのポテンシャルだ。試合当日だというのに、即興でキス変にふさわしい味付けを自分の舌で演出し、まにゃにゃに提供していた。凄い適応力だ。

 もし由佳里が「試合に挑戦する」と言い出せば、まにゃにゃ・舜さんのペアは最大の壁になる。だとすると、僕達は勝てるだろうか。想像するとゾッとした。


「でもさ、結論は……。もう出ちゃってるよね?」

 知佳さんが、苦笑いを浮かべた。


「はい」

 僕自身にも、答えが出ている。



 終始マイペースな由佳里は、勘や駆け引き、非情さを、何ひとつ持ち合わせていない。何より、勝負師に最も必要な「勝負にかける執念」に乏しい。その証拠に、負けそうになったにも関わらず、ケロッとしていた。


「ハンデなしで、プロのまにゃにゃを追い詰めたのは凄いと思います。けれど、彼女にとって攻略対象は、あくまでもデカ盛りメニューで、人間じゃないんだと思います」


 まにゃにゃたちは、あくまでもプロだ。人を楽しませる目的もあるだろう。反面、僕たちは自分たちも絆を確かめ合うために食べている。意味あいも意気込みも、すべてにおいてまにゃにゃとは違っていた。これでは、勝負とは呼べない。


「お兄さんの言うとおりだね。無理強いした私が悪かった」

 知佳さんが頭を下げた。


「けどさ、あんた、なんで大会出ないの? まにゃにゃといい所まで競ったんだよ? 自信持っていいのに」

「だって」と、由佳里はモジモジして、小さくつぶやいた。


「大食いが恥ずかしいって事?」


 知佳さんの問いかけに、「違う」と由佳里は首を振る。


「もしかして、学校に知られるのが嫌だとか?」

 僕は、一番ありえる理由を述べてみた。


「もうとっくにバレれるよ。今日のお客さんに、クラスの子が混じってたし」


 もし学校に由佳里が大食いだとバレたら、由佳里が好奇の目に曝されるかも知れない。



 僕達は気にしなくても、世間から見ると大食いは特殊なのだ。


「私も、学校に知られるのはいけないと思ってる。美佐男くんが変な目で見られるのが、怖かったから……」


 だとしたら、話は別だ。僕は首を振った。


「僕に気を使って出たくないって言うなら、気にしなくていいよ。大食いなんて、全然恥ずかしい事じゃないんだし」


 うつむきがちだった由佳里の顔が、パッと明るくなる。


「ありがとう。でも、それが理由じゃないんだよ」




「ほら、美佐男くんだって、言ってくれるんじゃん。学校にバレるのが嫌なんだったらさ、卒業してからいくらでも出たらいいんじゃない?」




 由佳里は「そういうわけじゃない」と、ぶんぶんと首を振った。



「私は美佐男くんと、楽しく食べたい。でも大会だとあがっちゃうし、競技性を求められるでしょ? 一番嫌なのは、誰かを蹴落とさなきゃいけないって事。そんなギスギスした気分で食べたくないよ。真奈さんと舜さんがケンカしてるのを見て、確信した」


 割り切った性格のまにゃにゃとは違って、由佳里はそれが我慢できなかったのだろう。


「勝つ為に食べてる訳じゃないって事か。なんかもったいない気もするけど、その方が由佳里らしいかもね」


 知佳さんも、納得してくれたようだ。



「でさ、美佐男くん。これからも由佳里の事、よろしくね」

 知佳さんが、予想していなかった言葉を口にした。



「え、今なんて?」

「だから、由佳里と付き合っていいって言ったの」

「え、けど、相手は大食いじゃなきゃダメだって、知佳さん……」

「うん、言ったよ。でも私は二人がお似合いだなーと思う。むしろ、あんたじゃないと由佳里のカレシは務まらない」


 よかった。一時はどうなるかと思ったけど、認めてもらえた。


「さて、お父さんの方は、あんたからちゃんと言うんだよ。いいね?」


「うん」と、由佳里は頷いた。


「キス変かあ、いいなあ。ねえねえ、私にもちょっと試させてくれない?」

 知佳さんが、唇を尖らせて僕に顔を近づけてきた。


 大人っぽい薫りが、僕の鼻をくすぐる。う、お酒クサい! ビールの匂いだ! いや、待って。困るよそんなの!


「お姉ちゃんダメェ!」

 知佳さんの後ろから抱きついて、由佳里が僕から引き離す。


「ははは、冗談だってば」

「もう、お姉ちゃん酔ってるでしょ!?」


 由佳里が文句を言うと、知佳さんはフフン、と笑った。


「じゃあね由佳里。美佐男くんの方も頑張ってね」


 僕が頭を下げると、千鳥足で知佳さんは帰っていく。


「ゴメンね。お姉ちゃん冗談が過ぎるところがあって」

 何度も由佳里が頭を下げる。


「いいよ。面白い人だし。悪い人じゃないみたいだから」

 僕は頭をかいた。すぐに気を引き締めて、由佳里と向き合う。


 ぐう、と僕のお腹が鳴った。


 由佳里がプッと吹き出す。


 そういえば、対戦中ずっと何も食べてない。キャベツちょっとを摘むくらいしかしていなかった。


「はい、これ。もらってきたの」

 由佳里が、手に持っている包みから、コロッケを一つ差し出す。


「ありがとう。じゃあ、いただきます」

 僕は手を合わせて、コロッケの味を噛みしめる。


 ホクホクの食感を、ジャガイモの匂いと一緒に飲み込む。


「ああ、おいしい。由佳里の言った通りだ」


「でしょ? 今度また作ってもらおうよ」

 由佳里の方は、包みに手を出さない。


 コロッケは、まだいくつも残っている。


 これだけたくさん、僕に食べきれるだろうか。


「由佳里は食べないの? そっか、もうあれだけ食べたもんね」

「ううん。食べるよ。今から」


 由佳里が、僕の身体を引き寄せる。


 僕は、由佳里の言葉を瞬時に理解した。改めて由佳里と向き合う。


「由佳里、その、これからもよろしくね」


「うん」

 僕達は、互いに身を寄せ合った。




「いただきます」




 唇を合わせ、もう一度、同じ味を共有する。

 


(完)

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