キス変
一瞬、大きなビンタ音と共に、僕の意識が飛んだ。
僕は、いつの間にかテーブルの向こう側に吹っ飛んでいた。頬にジンジンと痛みが走る。
「もう! サイッテーッ!!」
由佳里が顔を紅潮させて、肩を震わせる。瞳には涙を浮かべている。
「ゴメン。でも効いたろ? 僕が考えた究極の味変。そして、僕の思いも……」
腫れ上がった頬をなでながら、僕は起き上がった。
「う、うん。わかるよ。すごくわかる……」
頬を染めながら、由佳里は唇に人差し指を当てた。
「ファーストキスをこんな形で奪われるとは、思わなかったけど……」
余裕が生まれたのか、由佳里に笑顔が戻った。
「さあ、早く食べて帰ろう。デザートが待ってる」
僕は、由佳里に替えのスプーンを渡した。
「うん。じゃあ、いただきます!」
由佳里は、元気な声で返事をした。
憑き物が取れたように、由佳里の右腕が、再び動き出す。
そう。これはデートだ。たかがオムライスと戦いに来たんじゃない。
まだまだ楽しい事がいっぱいある。映画にも行っていない。洋服の買い物にも。
デザートだって、まだ食べていないじゃないか。
こんな奴、君の力で軽くねじ伏せてやれ……。
残り三十秒。
大きな皿を、由佳里は細腕で持ち上げた。ラストスパート。
オムライスが戦艦大和のように、由佳里の口へ沈んでいく……。
「ごちそうさまでした!」
由佳里はスプーンを置き手を合わせ、ストップウォッチを止めた。
「十分ジャスト。やった! 由佳里ちゃんが勝ったんだ!」
観客は、拍手喝さい。
「いやあ、『キス変』とは恐れ入った! 初めて見たよ」
小春オバちゃんがニヤついた。
「キス変って?」
「キスで味変、略してキス変」
再度、歓声が上がった。
「ハハ、キス変だってさ」
戦い、もとい、食事を終えた由佳里は何事も無かったように、ハンカチで口を拭き、笑った。
「さっきは、ゴメンね」と僕が言うと、由佳里はニコッと笑った。
「さあ、デザート食べに行こ。おいしいんだよ。あそこの三メートルのパフェ」
「……。そうだね。行こうか」
僕は、由佳里の手を引き、店を出た。
僕達は、恋人同士になった。
由佳里は普通の女の子だ。ただ、人より食いしん坊なだけ。
たとえ由佳里が怪獣でも、僕は彼女が大好きだ。
「ねえ、もう口にケチャップついてない?」
由佳里が、瞳を閉じて顔を近づける。
僕は、無理やりキスした事が今頃になって恥ずかしくなり、ケチャップのように顔を紅くした。
「ねえ、デザート」
由佳里が僕の手を引き、いたずらっ子の様にささやく。
「あ、ああ。急ごうか」
僕は、腕時計に目を移す。
「違うよ」と、由佳里が、さらに手を引っ張る。
二人の顔が、さらに近づく。
「いただきます」
由佳里が小さく呟いた。
その瞬間、僕の口の中に、二人を結びつけたケチャップの味が広がった。
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