第三章 もうひとりのキス変使い

プロフードファイター まにゃにゃ

「ふーう、ごちそうさまでした」

 僕たちは、やまとん九号を攻略し終えた。


 土鍋の中にぎっしり詰まったグラタンパスタである。

 やまとん九号と掛け合わせた、二リットル入る「九号サイズの土鍋」を使う。

 オーブンに入らないため、小春おばちゃんはガスバーナーで表面を炙っていた。

 重量こそ、三・五キロと小ぶりだ。

 しかし、舌を焦がす程の熱さと、濃厚でいつ果てるとも知らない驚異のチーズ地獄が、ゆかりの体力を容赦なく奪う。

 

 単にボリュームで勝負するだけが、やまとんシリーズではないのだ。


 それでも、由佳里は一〇分で完食した。


 冷えたメロンソーダでサポートしたため、僕も舌がピリピリしている。


「由佳里ちゃん、相当パワーアップしてるね。彼氏のおかげかな?」

 オバちゃんが、こそばゆい事を言う。


「いえ、そんな事は……」


 由佳里が返答に困っていると、自動ドアが開く。


 兎の耳みたいに髪を二本に結った少女が、小さいバッグを片手で背負いながら仁王立ちしていた。


 背は由佳里よりほんの少し高い。やや大きい胸を隠すブルーのジャージには、アップリケがビッシリと貼られている。チェックの青い下は白のニーソックス。周りにフェイクファーをあしらったブーツを履いている。


「小柳由佳里って誰?」

 開口一番、少女は店内を鋭い視線で見回す。


「ねえ、誰よ?」


「私だけど……」

 由佳里が小さく手を上げた。


「フン、あんたがそうなんだ? 聞いてたより弱っちそう」


 いきなりご挨拶である。


 文句を言ってやろうとすると、由佳里が僕の肩に手をかけ、首を振った。


 常連客の一人が立ち上がる。

「おい、あれ、【まにゃにゃ】じゃねーか!?」


「ほんとだ。生のまにゃにゃだ」

 他の客たちも、一斉に驚きの声を上げた。


「あの、【まにゃにゃ】って何です?」

 お客さんの一人に、僕は話しかける。


「プロの大食いだよ。全国大会ジュニア部門で二回も優勝してる。大人顔負けって噂だぜ」


「知らないの? 田舎モンね」

 まにゃにゃは軽く鼻を鳴らす。


「まあいいわ。あたし、宇佐見うさみ 真奈まな。【まにゃにゃ】でいいわ。で、この子はカレシの舜きゅん」


 まにゃにゃの隣には、背の高い褐色の少年が立っている。ホストっぽいが、そういう人種独特のアブナイ空気をまとっていない。


荻尾おぎお しゅんだ。よろしくな」

 まにゃにゃと違って、舜きゅんと呼ばれた青年は、嫌味のない爽やかな笑顔で挨拶した。


中森なかもり 美佐男みさおです」

「キス変ってのは、黄身が考えついたって聞いたけど?」

「どうなんでしょう? ルール違反なんでしょうか?」


「さて、大食いの試合なら知らないが、ここは特に変わったルールなんてないんだろ? だったらいいんじゃね?」

 舜さんは、キス変には寛容らしい。


「道場破りってとこかい? あんた」

 オバちゃんが、カウンターに身を乗り出す。


「まあ、そんなとこ? すごい店だって、フードファイター仲間から聞いたの」


「そりゃどうも。で、ご注文は?」

 小春オバちゃんが、まにゃにゃに声をかける。


「そうね……」と、真奈がお品書きに眼を移動させた。


「面倒だわ。やまとんの五号から八号まで、順に持ってきて」

 前髪を手で流しながら、まにゃにゃは無茶なオーダーをする。


「マジかよ」

「やまとんシリーズ連チャンなんて、誰も挑戦したことねえよ」


 ギャラリーが一斉にどよめく。


「指定時間は? ウチは申告制だよ」


「一時間もあれば出来んじゃない? この子だってそうでしょ?」

 まにゃにゃが由佳里に視線を移した。


 一時間も食べ続けるなんて、人間に可能なのか?


 小春オバちゃんはひるみもせず、エプロンを整えた。


「一品ずつ出すから、時間がかかるよ」

「食べている間に、作れるんじゃないかしら? それほどの腕だと見たけど」


「フフン、誰に口を聞いてるんだい?」

 まにゃにゃの挑発に、小春おばちゃんも乗る。


「あんたたち、役割分担でいくよ! 六号は時間がかかるから、多恵が作っておきな。アタシは七号と八号をやる。雅彦、則子と順にオーダーを持っていっておくれ」

「えー、オレ厨房担当だろ?」

「ガタガタ言いなさんな」

「へいへい」


 四人の従業員に声をかけ、調理を始める。


 いくらプロでも大丈夫なのか? 僕は半信半疑だった。


 一方、まにゃにゃは、四人席に悠々と腰掛け、水をほんの少し含んだ。


 まずは五号と呼ばれている、金魚鉢のミルクセーキが、威圧感と共に現れた。則子さんが、慎重な手付きでテーブルに置く。


 まにゃにゃは、カバンからスマホを取り出そうとした。


「お客様ー。撮影はご遠慮願いまーす」

 撮影禁止の張り紙を、則子さんが指差す。


「えー? 個人使用でもダメ?」

「撮影されたら、退席願いまーす。お代は結構でーす」


 由佳里の存在を学校に知られないためだ。


「そうなの? 仕方ないわね」

 スマホをしまって、まにゃにゃは手を合わせた。


「いただきます」


 無礼そうなルックスに反し、ちゃんと手を合わせるんだと、僕は驚く。


 このミルクセーキ、実は表面がカラメルでできていて、バーナーで焦がしている。


「へえ、味がプリンに近いわ。飲む焼きプリンなのね。面白いわ」


 焦げたカラメルをスプーンで砕いてから、ストローを指すのだ。


「底が硬いわね。氷でも入っているのかしら?」

 動かしづらいストローに、まにゃにゃは戸惑っていた。


「まあいいわ」

 ストローに口をつけた瞬間、まにゃにゃはゴクゴクと喉を鳴らす。

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