完食なるか!?
持て余していた一本ソバを、由佳里はチャンポン風味のタレに。じっくりと噛み締めながら、極太ソバを短く減らしていく。
太麺を食べ終わったため、ラーメン鉢の底が見えてきた。
「ン?」
不思議そうな声を、由佳里が上げる。
底に何らかの物体が眠っていたらしい。発掘するかのように、箸でかき分ける。
「ボンレスハムが出てきた!」
ちゃんぽん麺の底から、切れていないハーフサイズのハムが。ここに来て、更にアゴを酷使する食材が出てくるとは。
思わず、由佳里は言葉をなくす。だが、ハムをかじった途端、うんうんと目を大きく見開いた。
「そっか。ハムだったらチャーシューと違ってスープの味を吸収しない」
味変になる反面、容赦なく敵のアゴをヘバラせ、ダメージを蓄積させていく。
ハムは食べ終わったが、残り時間はあと五分しかない。具は食べ終わっている。あとは麺だけだ。
「ああ、スープさ、飲まなくていいのは辛い」
レンゲでスープをすすって、ノドを潤す。麺ののどごしを良くするためだろう。
「どうして?」
「おいしすぎ」
こんな悩ましい事態が起きようとは。
食べなくてもいいのに、食べたいだなんて。
「ちょっとこれは、美佐男くんの助けがいるかも」
僕の袖を、由佳里が引っ張る。
「いい?」
「うん」
許可をもらってから、僕たちは唇を重ねた。
油そばやチャンポンの味が、由佳里へとと伝わっていくのが分かる。
由佳里が頬を染めた。
「やっぱり人前でキスするって慣れないね」
僕の顔も熱くなる。
「そうじゃないの。君の口の中、ちょっとだけ、私と同じ味になってた」
「え、そうなの?」
僕はさっき、やまとん四号の普通サイズを食べた。そのせいで、口の中が四号の味になってしまったのか。
「ごめん。すぐ水飲むから」
なんという失態か。僕は味変担当なのだ。何もできない代わりに、口の中の味を変えないといけないのに。
「なんで謝るの? 嬉しいよ。舌が好きな人と同じ味になるって」
こっちがドキドキする事を平気で言う。
僕はもうたまらなくなった。
もう一度、ゆかりの唇を奪う。
「おおー、兄ちゃんやるじゃないか!」
ギャラリーに茶化されて、僕は我に返った。すっかり味変担当だってことが頭から吹き飛んでいた。
それでも、由佳里は怒涛の勢いで、やまとんを突き崩す。
「ごちそうさまでした!」
タイム二八分。ちょうどいいペースのスピードで、由佳里は見事に完食した。
「ゆかりん、食べてくれてありがとう」
「最後までおいしかったです!」
多恵さんと由佳里が、お互いの健闘を称え合う。
「それに、最後まで油断できなかった。あのハムは辛かったですよ。でも、あの危機感で逆に闘志がみなぎりました。食べてやる! って」
力こぶを作りながら、由佳里は感想を述べる。
「それに、強い味方がいるもんね」
多恵さんが、僕にウインクした。
「でも僕は、今回全然役に立ってません」
僕は謙遜するが、多恵さんは首を振る。
「大好きな人がそばにいるってさ、それだけでパワーになるんだよ、少年!」
まるで年寄りみたいな主張を、多恵さんは始めた。
「これは文句なしに合格です! やまとん四号採用を推薦します!」
由佳里がそう宣言する。
「参ったね。こうまで言われちゃうとさ」
小春おばちゃんも納得してくれた。則子さんと多恵さんを並ばせる。
「実はね、あんたらにやまとんを作らせたのは、ちょっと理由があるのさ」
「どんな?」
「うち、おめでたでね。今のうちに、産休要員を補充しておこうと思ってさ」
現在、二ヶ月目だという。
「アタシが休んでいるあいだに、やまとんを任せたくてね」
「おめでとうございます!」
母親の笑みを浮かべ、小春さんが二人の店員と肩を組む。
「ありがと。厳しくして悪かったね、多恵」
「とんでもない! 最後までついていくから、あたしに任せなって!」
「調子いいね! 皿洗っったのかい?」
「いっけね!」と、多恵さんは厨房へ引っ込む。
食堂こはるは、笑い声に包まれた。
「よかったね、店長さん」
「うん。何かお祝い考えよっか」
帰り道で手をつなぎながら、僕たちは語らう。
「ところで、どうして帰りが別々だったんだ? 何か、僕に問題があったかな?」
僕が尋ねると、由佳里は「違う違う」と手をブルブルと振った。
「実はね、多恵さんのやまとん開発に協力する代わりに、料理を教わっていたの」
そう言って由佳里が差し出したのは、揚げパンだ。
お砂糖味、ココアと抹茶だ。
「でも結局焦がしちゃって。これは多恵さんのせいじゃないの。私のせいなの」
僕は何のためらいもなく、焦げたパンをかじった。確かにどれも焦げてて苦い。けれど、苦味は最初の頃で体験している。
「おいしい。ありがと由佳里。なんか、初めて逢ったときみたい」
由佳里が僕に話しかけてくれたとき、僕は飯盒でお米を焦がしたっけ。
「覚えていてくれたんだ。うれしい」
「だから、お互い様だよ。由佳里」
「ありがとう美佐男くん」
由佳里が顔を近づけてきた。
僕も、由佳里の気持ちに応える。
キスの味は、ちょっぴり、ほろ苦かった。
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