14話

「俺、やるよ。あのピアス野郎を拉致しよう」


 そう言うと、稀乃は美しく笑ってくれた。水曜日の昼下がり。帆信は稀乃と2人で喫煙所にいた。トタン屋根の下、パイプ椅子に向き合って座る。他に学生はいない。痛いほど眩しい日射しが、アスファルトの地面をまるで真珠のように照らす。世間はすでに夏日だ。喫煙所から見える校舎は陽炎かげろうで揺れていた。


「どうしてやろうと思ったの?」

――稀乃が居るからだよ


「犯罪よ。バレたら受験なんて出来ないわ。白学ここに合格するために、白学ここでバイトをしてるんでしょう?」

――バレやしないさ。稀乃と一緒なら


「本当に良いのね」

――もちろん


「ありがとう」


 降り注ぐ蝉時雨の中で、2人の静かな会話は優しく続く。

 ありがとう、と稀乃は笑った。その言葉が、帆信にとって何よりも代えがたい活力に思えた。彼女の笑顔をもっと見たい。美しく優雅なその顔を。彼女の声をもっと聞きたい。清らかで透き通ったその声を。


 帆信は、今度は恋にのだ。それは底の無い闇。ひとつ間違えば破滅への道。それでも、帆信の心は希望に満ちていた。彼女のことをもっと知りたい。彼女ともっと一緒に過ごしたい。感情を共有したい。


「拉致して、その後はあいつをどうするの?」

「どうもしないわ。ただ放っておくだけよ」

「放っておくだけ?」

「そう、ひと晩でもふた晩でも。ここから遠くても近くても良いし、人目が全く無い場所でも良い。知らない人に発見されて解放されても良いし、もしくはそのまま息絶えようがしらないわ」


 カラッと暑い夏の昼時間。青春という名のスパイスは、この恋物語を奥深い味わいにしてくれる。


「死ぬかもしれないってことだね」

「最悪はね。私はただ、あいつを遠ざけたいだけ。君と私の近くからね。そしてなるべく私たちの歯車に影響のない遠くへ。だから、あいつの生死なんてまったく興味ないもの」


 遠くの空には入道雲が見えた。真っ青な空に描かれた絵のように、輪郭がはっきり見える。


「さて、じゃあどうしようか。あのピアス野郎を拉致するには」

「計画ね。決行するなら来週――春学期最終週が良いわ」

「そうだね。来週の水曜日を逃したら、夏休みに入ってしまう」

「車は持ってる?」

「持ってるよ。免許もある」

「あとはあいつを縛り上げる道具ね」

「待機室にロープがあったはず。多分山岳部の落とし物さ。きっと登山用のだから、キツく結べると思う」


 肝心なのは、ピアス野郎をどうやって拉致するのか、だ。帆信は目の前に座る稀乃をチラッと見た。彼女も同じことを考えていたのか、組んだ脚の太ももに肘をついた。


 帆信は自分のスマホを取り出すと、スタンガンと調べた。


「これならどうかな? ほら、よくドラマとかで見るだろ? スタンガンを首もとに当てると気絶させることができる」

「なるほどね。でもスタンガンなんて、そう簡単に手に入るかしら?」

「ネットでも簡単に買えるよ。今買えば明日には届くさ」


 稀乃は頬杖を解くと、脚を組み替えてみせた。たったそれだけなのに、帆信は自分にスタンガンを打たれたような気持ちになった。目線は彼女の身体に釘付けだ。悟られないよう精一杯努力しても、気づけば横目で彼女を見てしまう。そして想像してしまう。稀乃の裸を。華奢な体格に潜む、豊かで神秘的なその肉体を。


 稀乃がちらっと腕時計を見た。


「そろそろ講義?」


 えらく話し込んでしまった、と帆信は思った。


「続きは夕方、メビウスでしようか」


 煙草の火を消し、帆信は立ち上がろうとした――が、稀乃に袖を引っ張られた。


「どうしたの?」

「ねえ……計画の続きは、君の家で一緒に考えない?」


 上目遣いの彼女に、帆信はドキリとした。

今日は親も居ない。なんて幸運な水曜日なのかしら! 帆信は舞い上がる気持ちを抑えて、2つ返事で承諾した。

 季節は夏なのに、帆信にようやく春が訪れたのだ。

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