第二幕
5話
次の水曜日もその翌週も、
トイレや階段の踊場、時には部室の集合ポストの中にコーヒーを流し込んだりもした。その都度、学生たちが受付の窓を叩く。その顔が見たくて、帆信は勉強もせず、守衛室で耳を澄ましていた。GW中は学生たちの数も減ったが、やり続けた。おかげで、連休が明けるころには、学生たちもようやく、この妙事が決まって水曜日に起こることに気がつき始めていたのだ。
それでも帆信は止めなかった。
このイタズラを始めてから、眠れなかった火曜日の夜が嘘のように熟睡ができたのだ。
学生たちが俺をビビっている。目には見えない不安と戦っている。
自分は表舞台に立たない、息を潜めて役者たちの土台をつくる裏方だ。しかし、赤井は影で奇声をあげた。台詞にもト書きにもない、完全なアドリブ。
今、学生たちは疑心暗鬼だ。誰が声を上げたのか。声を出して夢のキャンパスライフを壊した犯人を探し、そして怯えている。
しかし、帆信の活躍は決して誰にも知られてはならない。閉幕後の舞台挨拶やエンドロールにも名前は載らないのだ。誰かに共有したい――自分が犯人だ、と打ち明けたい衝動の小さな芽が顔を出す。エスカレートした彼の悪心は、カタルシスに慣れて虚しさを感じて始めていた。
イタズラが彼らへの単なるスパイスになっているのでは?
学生たちが肩を寄せて怖がるだけでは、いつしか物足りなくなっていたのだ。なにしろ、どれほど嫌がらせをしても、学生たちには苦悩を分かち合う仲間がいた。自分も共感し共有する
梅雨入り前の、とある水曜日。
1階にあるシャワー室の脱衣場にコーヒーを溢し終えた帆信は、どこか落ち着かない心のまま、喫煙所で物憂げに煙草を吸っていた。
重たい鉛色の、どんよりとした空を見上げ、同じ色の煙を吐く。煙は空中を漂い、やがては消えていく。
心ここに
ライダースジャケットを羽織り、学生らしくくすんだ金髪の女性。彼女は煙草を咥えたまま、ジャケットのポケットやカバンの中に手を入れて何かを探しているようだった。
そして――
「すみません、ライター借りても良いですか?」
空をぼぅっと眺める帆信に、彼女が話しかけてきた。低音のハスキーな声。そこでようやく、帆信も彼女の存在に気がついたのだった。
「え? ああ、ありますよ……」
どうぞ、と作業着のポケットから取り出した紫色のライターを渡してやる。彼女はそれを受けとると、手慣れたように煙草を吹かした。
「ありがとうございます。どこかで落としたみたい」
それが、帆信と彼女との初めての出会いだった。
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