2話
朝の回収を終え、カゴ車の中身を簡単に分別してからゴミ回収ボックスへ片付けると、帆信は待機場所である守衛室へ戻ってきた。
8畳の和室には、夜勤ガードマンが寝泊まりするための布団や卓袱台、戸棚には茶器もあるが、日中は帆信のようなバイトのためにしっかり片付けられていた。
待機室は扉ひとつで受付(サークル部屋やスタジオの鍵を管理している)と繋がっており、そこにはガードマンが座って雑誌を読んでいた。
「お疲れ様です」
帆信が挨拶すると、彼も「ご苦労さん」と愛想無く返事をした。
「赤井君だっけ? もうバイトには慣れた?」
扉を締めようとした手を止め、帆信は「はい」とだけ答えた。新年度が始まる前の3月からバイトを始め、もうすぐ1ヶ月になる。確かに業務そのものには慣れた。しかし、白学に通う学生たちを見ることには、帆信にはまだ違和感があった。
「赤井君は偉いよね。朝もちゃんと廻ってさ」
「他の曜日だと、廻らない人もいるんですか?」
帆信が白学に来るのは水曜日と日曜日。毎日ひとりずつ、他の曜日には他の清掃派遣の人が来る。彼も初日のレクチャー以外は、ずっとひとりで業務をこなしていた。
「初めは皆そうさ。1週間か2週間くらいかな? 真面目な気持ちがあるからちゃんと廻る。でもその内飽きてくるのさ。ただでさえ暇な時間が多いから、気が向いた時だけ廻るようになる。だって、誰も見てないんだもの」
誰も見てない――そう言いながら、ガードマンは帆信を見た。40歳くらいだろうか。もしかしたらもっと若いのかもしれない。頬は痩せこけ、話す度に前歯がチラチラ目についた。
「すみません」
そこに、とある学生がガードマンに窓越しに話しかけた。学生は「美術部です」と伝えて学生証を提示すると、ガードマンは壁掛けキーホルダーからひとつを学生に渡してやった。
「ありがとうございます」
「はいはい」
部室の鍵を受け取った学生はエレベーターへ向かった。大きなキャンパスを抱えているのが見えた。
「いいよね、学生たちは」
ガードマンは受付に置いてある台帳に何かを書き込みながらそう呟いた。
「彼、美術部だってさ。あんな大きなキャンパスを抱えてさ。きっと今から授業サボって絵を描くんだろ? どうせ大したことない。でも展示会なりコンクールなりに出して大勢から見てもらえる。そんなの、学生様の特権だよ」
帆信はガードマンの愚痴をただ黙って聞いていた。
「そしてサークルで彼女とか
台帳を片付けたガードマンは、さっきの雑誌を開いていた。女性アイドルのグラビアページだった。
「赤井君は桃口杏子って知ってる?」
「……アイドルのですか?」
「そそ。俺、ずっと追っかけててさ。でも最近はこんな水着とか着ちゃって、なんか幻滅し始めてるのね。赤井君もアイドル好きなの?」
ガードマンがニヤリと笑う。前歯が良く見えた。
「いえ、あんまり興味ないっすね」
「そっか。ステージ上ではすっごく輝いてるんだよなぁ。ほんと世界のヒロインみたいにさ」
今度は、エレキギターを背負った学生が、鍵を貰いにガードマンへ声をかけた。彼が雑誌を置いて、同じように対応し始めその隙に、帆信は受付との扉を閉めた。
守衛室の天井に、さっきのアイドルの水着姿が浮かぶ。桃口杏子――アイドルには興味ない。それは嘘だった。帆信もかつては彼女を追っていた。コンサートや握手会、部屋にはポスターも貼っていたけれど、2度目の浪人が決まった時、部屋にある彼女のグッズは全て片付けたのだった。
帆信の頭は混沌としていた。毎週水曜日はいつもこうだ。見たくもない学生たち。見たくもないキャンパス。そこに今日はアイドルの顔も混じる。ややツリ目で黒目がちな瞳に小さな鼻。名前通りの桃色の唇。普段はドジで天然なのに、ステージ上で輝くパフォーマンスは、まさにヒロインそのものだった。
帆信はしばらく頭の中の渦に身も心も任せながら、やがて鞄からマルボロのメンソールを取り出すと、扉を開けて例のガードマンに「煙草吸ってきます」と断ってから靴を履いた。
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