終話

 8月20日。県警捜査第一課食堂内での事件担当刑事たちの会話より――


「お疲れ様です。文学部に奥原おくばるって学生は、やはりいませんでした」

「文学部の他には?」

「いません。法学部と医学部には、奥原と同じ漢字の学生が1人ずつ居ましたけど、どちらも読みは『おくはら』で、男性でした」

「そうか」

「メビウスの木下さんの言った通り、他の学生たちも、赤井がひとりでメビウスにいたところを目撃しています」

「赤井本人は?」

「今も否定しています。何を聞いても、その奥原おくばるって女と一緒にやった、とだけ」

「妄想か、狂言か」

「妄想で人を殺しますかね? しかも実の両親まで」

「そのことについては、何か喋ったの?」

「いえ、こっちの件も否定しています。相変わらず、両親は出掛けているの一点張りで。しかし、母親の背中と喉仏にある火傷の跡と赤井の所持していたスタンガンと一致はしました」

「父親のは?」

「それも一致してます。たぶん先に母親を殺したんじゃないでしょうかね」

「どうしてそう思う? 赤井は喋ってないんだろ?」

「俺の憶測ですよ。母親の背中に食らわして死ななかった。じゃあ今度は喉仏にって具合に。大友の体にも火傷が2つあったじゃないですか」

「なら父親のは? 1つしか火傷はなかったじゃないか」


 あくまでも憶測ですけどと、若い刑事はひと呼吸おいた。


「母親で実証したから、父親には喉仏一発でいけたんじゃないでしょうか。しかし、大友を襲うときにはそんなこと。でも思い出したから、同じく2発打ったんですよ。箕田も言ってたじゃないですか。一発目のスタンガンの後に取っ組み合いになったって」

「忘れてたって言ってもよ、実の親を殺しておいて忘れることなんてあるかね?」

「そこなんですよ、不思議なのは。普通は忘れる訳はない。でも現に赤井は、両親はただの外出中だと供述しているじゃないですか。殺した今でもそう信じ込んでいる」


 若い刑事のされて、年老いた刑事は食べかけのBランチの箸を置く。


「まぁいい。赤井の頭がいくら狂っていても、動かない証拠は充分ある。実刑は免れないし、赤井がなんと言おうと、この件は解決したんだ」


 年老いた刑事は無理にこの話を終わらせたつもりだった。しかし、若い刑事は胸ポケットから手帳を取り出してページを捲る。


「赤井は白学に2年連続で落ちたらしいじゃないですか。それで予備校のためにバイトして、奇しくも派遣先が志望校。そりゃ頭は狂いますよね。僕だったらそうだ」

「だからって人を殺して良い訳じゃない」

「そうですけれど……事件は終わっても謎が深い感じがするんですよね。今回は赤井の単独犯だと確定した訳じゃないですし」

「お前、まだそんなこと言ってるのか。これは赤井の単独犯行で確定だよ」

「俺だってそう思ってますよ。でも100%じゃない気がするんです」

「嘘もつき続ければ真実……ってか? お前さんも、赤井やつの妄想の世界にはまってるだけさ」


 年老いた刑事はトンカツを半分以上残して、セットのコーヒーを啜った。若い刑事はそれでも話を止めずに、手帳を捲る。


「それにしても、奥原おくばる稀乃まれのなんて、よく生み出しましたよね」


 年老いた刑事は、正直この話をしたくなかった。奥原おくばる稀乃まれの――実はこの秘密に、彼はとっくに気付いていたのだ。だからこそ、赤井が単独犯と断言できる。奥原稀乃の――いや、赤井帆信の歯車の秘密。それを若い刑事に打ち明けないのは、言ってしまえばこの事件を無理に面白おかしくすることが目に見えて分かったからだ。


 奥原稀乃。

 おくばるまれの――


 単純なアナグラム。これ以上、赤井の幼稚な妄想あそびに付き合う暇はない。そんなことより、現実ではもっと酷いことが埋めいているのだから。


「そう言えば、赤井のやつ妙な事を言ってましたよね? 歯車かどうのこうの、俺が廻してやっているんだ、って」

「よくあることさ。今の時代、ネットで誰でも簡単に有名人になれる。若いやつらは皆、揃ってスポットライトを浴びたいのさ」

「嫌な世の中ですね」

「むしろ良いじゃないか。赤井みたいに使い方さえ間違わなければな」

「先輩も、たしか昔は演劇部でしたもんね。噂によると劇団にも入っていたとか」

「今それは関係ないだろ」

「俺見ましたもん。ビデオで先輩の舞台を。画質が荒かったけど、あのころの先輩は輝いてましたよ」

「あのころはって何だよ。今だってあの時みたいに歯食い縛ってやってんだ。小さくたって、今でも輝いてるさ」



 8月24日。赤井帆信の独り言より――


「稀乃? どこに行っちゃったんだよ?」

――私はここにいるよ


「ああ、やっぱりお前はいるよな? 妄想じゃないよな?」

――当たり前でしょう? 私はずっと、貴方と一緒なんだから


「お前のために俺はやったよ。……ああ、そうだった。俺だよな? ごめんごめん。俺が世の中の主役さ。これからも、俺の歯車が、世界の中心なんだから」


 窓から青白い月光が射す。照らされたその先に、奥原稀乃は立っているのが、帆信にはしっかり見えた。

 金髪がよく似合う白い肌。キツイ印象の釣り目と幼さも感じさせる小ぶりな桃色の唇。彼女は今日もライダースジャケットを羽織っていた。そして、おもむろにポケットからKOOLのメンソールを取り出して咥えると、ニコリと美しく笑って火を着けた。帆信があげた紫色のライターで。


「良き、水曜日だよな?」

――ええ、とっても。良き水曜日ですね


 赤井帆信。20歳。男性。無職。

 大友おおとも典久のりひさ過失致死並びに両親殺害により、懲役24年。執行猶予なし。妄想癖あり。

 ※警察病院内の、とある水曜日のこと。




(了)

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良き水曜日ですね 和団子 @nigita

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