15話

 清掃バイトを早々に切り上げ、教職員専用の駐車場で稀乃を待つ。


 今日に限って車で来て良かった、と帆信は思った。赤井家には車が1台。普段の平日は父が通勤用に使うのだが、今日は両親が不在で空いていた。

 

 駐車場は広く、日を遮る屋根は無い。アスファルトの地面は容赦なく熱されて、あちこちに陽炎が揺れていた。


 しばらくして稀乃がやってきた。白のTシャツにライダースジャケットを羽織ったいつもの彼女だが、帆信にはどのか照れているように見えた。白い頬が僅かに桃色がかっている。そんな稀乃がいとおしかった。


 稀乃は助手席に座った。白学から自宅まで、車だと半時間ほどだ。音楽やラジオは着けず、車内は緊張の音が落ちていた。世間話らしい会話はせず、ただひたすら例の計画のことを話し合った。


 ピアス野郎は軽音楽部に所属しており、毎週水曜日は決まって14時に第2スタジオで練習をしている。その間に帆信が掃除を装ってスタジオに侵入。彼のギターケースの中に「私もずっとあなたの事が好きでした。良かったらデートしてください。今日の18時に、学生会館裏の駐車場の倉庫で待っています。――奥原稀乃」と書いたメモを入れておく。

 そして、やってきたピアス野郎を帆信がスタンガンで気絶させる。


「確認です。あいつのギターケースの色は?」

「黄緑色。メタリカの大きなステッカーも貼ってある、でしょ?」


 稀乃はコクンと頷いた。

 帆信が待ち伏せしている間、稀乃は学生会館のどこかにコーヒーを溢して、受付に「例のイタズラがあった」と言いに来る。帆信を連れ出す口実だ。ガードマンにも聞かせ、あたかも一緒にその現場の掃除をしていたかのようなアリバイ工作をする。


「コーヒーはどこに溢す?」

「4階の北トイレはどうかしら? あそこなら駐車場まで行くのに一番時間が掛かるから」

「いいね、そうしよう」


 車が信号に引っ掛かった。夏の西日が助手席に座る稀乃に刺さる。帆信は助手席側のサンバイザーを降ろしてやった。


「ありがとう」

「ううん、こちらこそ」


 シートベルトが谷間に食い込み、強調された彼女の胸元が横目で見えた。おかげで、後ろの車にクラクションを鳴らされるまで、信号が青に変わっていたことに気がつかなかった。


 自宅の玄関を開けると、ムワリとした熱気に混じって妙な匂いが溢れてきた。初めて女性を自宅に招く帆信にとって、悪印象は少しでも排除したいと思うのは当たり前。今日は両親はいない。冷蔵庫か、それとも台所のゴミ箱の蓋が空いているのか、微かだが、そんな生ゴミの匂いが気になる。


 そそくさと靴を脱ぎ、キッチンに向かおうとした帆信の袖を、稀乃が引っ張った。玄関で、稀乃と目が合う。その綺麗な瞳に小さな桃色の唇。上目遣いの彼女には、底知れない引力がある。


 そして、帆信はキスされた。


 およそ1秒もない刹那――それでも帆信の頭のを外すには充分な時間だった。


 今度は帆信から彼女の唇を覆った。やがて舌と舌が絡まるほど濃厚に。2人は肩を抱き合い、互いをまさぐりあった。そのままリビングへ。稀乃は羽織っていたライダースジャケットとショートパンツを脱ぎ捨て、帆信をソファに押し倒す。それからTシャツも放り投げた。あらわになった彼女の下着姿は、帆信の妄想の通りだった。華奢な四肢には似つかわない豊満な乳房。パンツが食い込む太腿と引き締まった小ぶりな尻。

 気が付けば帆信は全裸になっていた。稀乃もそれを合図にブラジャーのホックを外す。溢れるとは正にこのことだ。支えから解けた彼女の乳房は、瞬く間に帆信の野心に火を着けた。


 再び、稀乃が帆信に覆い被さった。唇から首筋へ。それから臍に向けて、彼女の小さな舌の感触を全身で感じた。


 柔らかい――それでいて暖かい。

 帆信に大きな衝動が襲う。同時に稀乃の息遣いが荒くなった。前に後ろに、彼女が動く度に襲いくる快感と多幸感。帆信は目の前のこと以外、何も考えることが出来なかった。揺れる乳房。弾む彼女の肉体。帆信は稀乃と一体化した心地になった。思想や感情だけでなく、身体も一緒になったのだ。


 濃密な時間は勝手に過ぎていく。日も暮れ、リビングにはどっぷりと暗闇が落ちていた。

 どれくらいのだろうか。いつの間にか寝ていたらしい。目が覚めると、帆信はひとりでソファに寝転がっていた。


 全裸のままゆっくり起き上がる。彼は途切れ、絡まった記憶の糸を丁寧に紐解きながら真っ暗なリビングの闇に目を慣らしていた。


 やがて、リビングのダイニングテーブルに2枚のメモを見つけた。


 1枚目には、車内で打ち合わせしたピアス野郎を誘い出すための手紙が、そしてもう1枚には帆信に向けてこう書かれていた。


――先に帰ります。良き水曜日ですね。稀乃


 想像より汚い彼女の文字。帆信は思わず笑ってしまうが、すぐに彼女とセックスしたことを思いだした。


 やばい。俺、ゴムなんて持ってなかったぞ。


 しかし、ゴミ箱をひっくりかえすと湿ったティッシュがゴロゴロと出てきた。


 良かった……中には出してないみたい。


 何か飲もうとキッチンに向かうと、台所にまな板と包丁が起きっぱなしになっていた。他にもリビングやキッチンのあちこちは汚れている。


 散らかった家だと思われたかな? チェッ! 出掛ける前に掃除くらいしろよな……


 家の中には熱気が籠っていた。帆信はエアコンを着ける代わりに、リビングの大窓を開けて顔を出してみた。


 爽やかな夏の夜風が頬を撫でた。見上げると、満天の星空だった。

 両親へのうっぷんは何処いずこへ。

 なんて爽快なのかしら。体が軽い。しつこいサビが綺麗に剥がれ落ちたかのように、今なら何処へでも行ける。何でも出来そうな気持ちになった。


「良き水曜日ですね」


 ひとりでそう呟きながら、帆信は笑った。

 決行は来週の水曜日。帆信はその日が待ち遠しく思えた。

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