17話
17時40分――
午後6時まで、あと20分と迫ったところ。帆信はピアス野郎に伝えた駐車場の管理室の影から、学生会館へ唯一通じる階段を覗いていた。駐車場の管理室は午後5時を過ぎると無人になる。部屋の電気も消えて、鍵も閉まっていた。
稀乃は今頃、学生会館の4階に向かっているはず。帆信のアリバイ工作のために嘘のイタズラをでっち上げたのだ。ピアス野郎を気絶させて車に乗せた後、稀乃と合流しイタズラの後始末の報告を終えれば、アリバイは完璧だ。車も近くに移動させた。気絶させるためのスタンガンも、縛り上げるためのロープもある。
17時49分――
帆信は試しにスタンガンのスイッチを軽く押してみた。刹那、バリリッと火花が散る。あと10分。鼓動が激しくなってきた。きっと上手くいく。上手くいくはずだ、と帆信は自分に言い聞かせた。
大丈夫だ。俺には稀乃がついているから。
17時51分――
学生会館へ通じる階段に人影が見えた。帆信は咄嗟に身を隠す。
来た! ピアス野郎だ。黄緑色のギターケースを背負っているのも確認できた。
足音が近づいてくる。一歩ずつ、確実に。アクセサリーでも身につけているのか、ジャラリ、ジャラリと聞こえてきた。
スタンガンを持つ手に力が入る。じわりと手に汗を掻いているのが分かる。帆信の頭は緊張を越えた境地にあった。感覚が研ぎ澄まされる。自分の鼓動。ピアス野郎の足音。スタンガンの硬く角ばった感触。鳥たちの羽ばたき音さへ聞こえてきそう。
ピアス野郎の足音は、帆信が息を潜める管理室の前で立ち止まった。壁の対角――すぐそこに相手の気配を感じる。見えなくてもなんとなく分かった。ピアス野郎は困ったように周囲を見渡していた。手に持っているのは昼間にギターケースに入れた呼び出しのメモだ。それを何度も眺めては首を振っているのだろう。
帆信はタイミングを図っていた。自分の気配を悟られまいと息を潜め、管理室の壁と同化する心地に。それでいて、今か今かと体勢を整える。
そして、その時はついにやってきた。先に痺れを切らしたのはピアス野郎だった。彼はメモをもう一度眺めてから、こう言った。
「おーい。えっと……おくはらさん? いるの?」
瞬間――帆信は地面を蹴った。
「おくばるだ、このピアス野郎!」
間合いを詰め、正面からスタンガンをピアス野郎に当てる。バリリ! とスタンガンの音と一緒にピアス野郎は後ろに倒れこんだ。
当たった。当ててやった。ついにやった! 悪者を成敗してやったのだ!
「どうだ? 思い知ったか!」
しかし、どうしたものか。倒れたピアス野郎は「イテテ……」と言っただけで、ケロリとしているではないか。
スタンガンを当てられた場所ではなく、尻餅をついた腰の方が痛そうだった。
「痛ぇな! なんだよお前!」
いったいどういうことなのか。帆信は持っていたスタンガンをチラと見た。スイッチを押してみると、誤作動ではなく火花が散る。さっきも、確かに押したはずなのに。音も聞こえたはずなのに。
「お前、それスタンガンじゃねえか! どういうつもりだよ!」
立ち上がったピアス野郎が寄ってくる。
「違う、ちがうんだ!」
帆信は軽くパニックになっていた。
違う、こんなはずじゃ……スタンガンで気絶させて、ロープで縛って車に乗せて、山を越えて、海岸沿いの小屋に放り捨てて――
ピアス野郎に胸元を掴まれる。
「何が違うって言うんだよ。あぁ!?」
――やめて!
ピアス野郎の怒声は確かに聞こえた。だがそれよりも大きな声が、帆信の心の中にフラッシュバックする。
――やめて! 帆信、そんなものおろして!
気づけば、ピアス野郎に殴られていた。帆信は頬の痛みより、雪崩のように押し寄せてくる心の声に、困惑していた。
――帆信! 母さんが何をしたって言うんだ。受験のストレスか? 悩みがあるなら父さんにも教えてくれ
父さん? 母さん?
倒れた帆信は、今度は襟もとを引っ張られ、無理やり起こされた。ピアス野郎と目が合う。殴られた痛みが甦ってきた。そして、思い出したのだ。
「そうか……」
「あ?」
「そうだった、忘れてた……」
怒りに満ちたピアス野郎の目。それと同じ目を、つい最近も見たことがある。
帆信は持っていたスタンガンを、今度はピアス野郎の喉仏にピタリと当てた。
「思い出したんだ。確か、こうやるんだった」
スタンガンのスイッチを入れる。途端にピアス野郎は大きな悲鳴をあげて痙攣し始めた。
「まだだよ。強く、ずっと当て続けないとダメなんだ」
ピアス野郎は悲鳴をあげることすら止めて、まるで棒きれのように後ろへ倒れてしまった。ガチンと鈍い音が聞こえた。倒れた拍子に後頭部を強打したらしい。駐車場の暗いアスファルトに、ピアス野郎の血が溢れていた。
それでも、帆信は止めなかった。しゃがみ、再びスタンガンを当てる。口からは黄色がかった泡が溢れていた。意識を失ったはずの体が、打ち上げられた魚のようにビクンビクンと跳ねていた。
帆信はひたすらそれを眺めていた。誰かに羽交い締めにされるまで。ずっと。ずっと。ずっと――
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