第十七話 非日常感というドラッグ
翌日、サエは、来なかった。
昨日と比べれば、今は冷静に考えることができる。
サエは、単に・・病気なだけなのだと。
おかしな言動、行動、全てがそれで説明がつく。
あの・・・妙な目眩・・それに変な気分も・・単に、サエに近づき過ぎて、こっちまでその影響を受けて、オカシクなってしまったせいだ。
サエとはもう会わない方がいい。
これ以上、会えば、きっと戻れなくなる。
そう、キヨトの脳の一部は何度も警告を発していた。
だが・・・キヨトは、こうして、今サエの家の前にいる。
サエが好きだからとか、性的欲望を満たしたいから、はたまた自尊心を満たしたいからとか・・・そんな理由からではない。
自分でもイカれているとは思うが・・・信じ初めているのだ。
サエが、本当に「別世界の人間」だと。
もし・・・そうなら・・・
キヨトは、手を震わしながら、呼び鈴を鳴らす。
インターホンから、「・・はい・・」と、サエの声がする。
「あの・・キヨトです・・・」と、答えると、「どうぞ・・」と、サエの抑揚のない声が返ってくる。
ドアノブを回して、おそるおそる中へと入る。
昨日と変わらず、サエは奥のリビングルームで床に座っている。
暗闇の中で、一人佇むサエの姿は普通なのに、何故か酷く非現実的に見える。
「・・・また来てくれるとは・・思っていませんでした。」
サエはこちらを見て、そうつぶやく。
「いえ・・昨日は・・そのすみません・・・あんな・・変なことをしてしまって・・」
サエは、キヨトの謝罪には答えない。
暗い室内だから、表情は読み取れないが、昨日のことを気にしているようには見えなかった。
キヨトは、一呼吸置いて、ごくりとツバを飲み干す。
そして、今までずっとサエに聞きたかったことを口にする。
「・・・サエさん・・・その・・あなたは本当に別の世界から来たのですか・・」
「ええ。そうですよ。こことは違う世界から来ました。」
サエは、アッケラカンとそう言う。
「それなら・・・サエさんがいた世界ってどんな世界なんですか?この世界とどう違うんですか?」
キヨトは、やや興奮気味に、早口でそうまくし立てる。
サエは、その質問には答えずに、ゆっくりと立ち上がる。
そして、キヨトの眼前まで近づくと、首をかしげて、じっと無言のまま見つめてくる。
「あ、あの・・」
キヨトは、目のやり場に困り、サエの視線から逃げるように、目線を宙へと逸らす。
「なるほど。キヨトさん。あなたは、わたしが別世界から来たということをようやく信じる気になったんですね。」
サエは、フムフムとうなずいている。
「・・・いや・・まだ・・・信じているワケでは・・・」
そう・・こんなイカれた話をおいソレと信じられる訳がない。
「そう・・・でしょうね。実際のところ・・別世界というのは嘘です。」
サエは、口調を変えずに、いきなりそんなことを言い放つ。
「えっ・・」
キヨトは思わず、気の抜けたマヌケな声を出してしまう。
「確かに、この世界とは違いますけど、別という訳ではないです。あくまで、この世界の延長線上です。わたしはもといた世界でも日本に住んでいましたしね。でも・・・わたしからすれば、あまりにも今の世界とは違う・・から。」
「そんな説明では・・わからないです。いったいどういうことなんですか?」
「たぶん・・キヨトさんに説明しても、理解できないと思います。わたしだって・・なぜこの世界にいるのか、わからないですし・・・それに・・・この世界の住民には元いた世界のことは伝えるなと言われていますし・・」
「それは・・・トオリさんが・・そう言っているのですか?」
「いえ・・トオリが決めた訳ではないです。わたしは・・この世界に来た人たちは・・トオリしか知らないけれど・・・実際には、かなりの数がいて、彼らのルールがそうなのです。」
サエは色々と話してはいるが、結局のところ肝心なことは何にも喋ってはいない。
「でも・・それじゃ・・」
キヨトは、もどかしい気持ちを抑えきれずに、さらにサエを問いただそうと語気を強める。
「キヨトさん・・もう・・・その話しは止めにしませんか。」
サエはくるりと後ろを向いて、キヨトと距離を取る。
そして、再び向き直ると、
「それよりも・・・わたしもあなたに、聞きたいことがあるんです。」
と、興味津々といった様子で、キヨトを見る。
「キヨトさん。昨日のあの行動・・・わたしにキスをしようとしたんですよね?なぜそうしようとしたんですか?」
突然のサエの問いかけに、キヨトは、激しく動揺した。
恥ずかしさ、気まずさ、罪悪感・・・そうした感情が入り混じり、頭の中は混沌状態になってしまう。
「・・その・・そ、それは・・・」
「わたしの体に興奮したんですか?でも・・それなら、もっと前からそうしていたはず・・・なぜ昨日だったのですか・・」
サエは、心底不思議でたまらないといった様子をしている。
また・・・目眩がする。
確かに今、現実の社会にいて、目の前の人間と話しているのに、とても非現実的な感覚。
サエと話していると、自分の常識や価値観が大きく揺さぶられる。
「・・こ、恋人だから・・そうしたんです・・その突然・・だったのは・・すみません・・」
キヨトはシドロモドロになりながら、そう言い訳をする。
「・・・恋人・・だから・・・なるほど。でも・・やっぱり、それは昨日のあの衝動的な行為の理由には少し弱い気がします・・・」
サエのこの話し方や態度。
どれも、トオリを彷彿とさせる。
サエは、まるで人の感情をあまり見たことがない珍しい代物のように扱う。
そうしたサエの仕草に、トオリの影を感じたからだろうか、一瞬怒りと嫉妬が心を覆う。
「そう・・昨日も・・そんな目・・をしていました。そう・・・キヨトさん・・・あなたは、わたしに対して怒っていました。」
サエは、目ざとくこちらの変化に気づいたようだ。
そして、食い入るようにこちらを見つめてくる。
「でも・・・なぜです?・・・わたしなにか怒らせることをしましたか?」
「そ・・それは・・・その・・あの・・あなたが・・トオリさんと・・」
「トオリがあなたのわたしに対する怒りと何か関係があるんですか・・・」
何なんだ・・いったい・・・サエは・・・そんなこともわからないのか・・・
バカにしているのか・・それとも・・本当にそう思っているのか・・
どちらにせよ・・このサエの感情のこもっていない問いかけが、酷く神経を刺激し、イライラさせる。
「・・・トオリが何かあなたにしたのですか?」
サエはまだこの馬鹿げた問いかけを続ける気だ。
さすがに、キヨトの堪忍袋も限界に来た。
キヨトは思わず怒りを爆発させていた。
「しましたよ!・・あなたと、トオリさんは俺の前で、あんなに・・・仲良しそうにして!だから・・・俺も・・・そうしようと・・」
さすがのサエも、キヨトの突然の怒鳴り声に驚いたようだ。
一瞬、体をビクリとさせて、目を大きく見開く。
「・・・なるほど・・嫉妬?・・・というものですか・・・言葉は知っていたけど・・実際に目にするのは初めてです・・・でも・・・キヨトさん・・・あなたは、やっぱり・・・この世界の人間なんですね・・」
サエは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして、いきなりキヨトを抱き寄せると、そのまま唇を重ねてきた。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
だが、すぐに、サエの柔らかい唇と、体の感触が伝わり、それは、恍惚感へと変わっていった。
「どう・・ですか・・嫉妬はおさまりましたか・・・」
サエはまたも場違いな表情をしている。
このボタンを押したら、どんな動きをするか、そんな単純な好奇心に満ちた表情を浮かべている。
サエはおかしい。
だけど、その表情を見ても、キヨトはもはや恐怖を感じなかった。
ただ、目眩だけが激しくなる。
そして、同時にまるで体がこの場にいないような浮揚感が高まってくる。
視界はゆらぎ、現実もまた揺らぐ。
キヨトは、サエをきつく抱きしめて、唇を貪る。
ひとしきりキスをすると、どちらが促すでもなく、二人はそのままゆっくりと床に倒れ込む。
興奮・・・そう確かに興奮している。
だが・・・いつもマスターベーションをやる際の興奮と何かが違う。
サエの体を下に見ながら、まるで、キヨトは幽体離脱をしているようなそんな錯覚に見舞われる。
自分の体が・・いや・・この社会から・・・解放されているようなそんな気が・・・
そう・・・この名状しがたい気持ち・・・これは開放感なのだろうか・・・
深夜の公園にいる時、見知らぬ地に初めて言った時、それと似た感覚だが、まるで強度が違う。
それは率直に言って、とてつもなく奇妙だった。
美しい女とセックスをしているからなのか・・
いやそうではない・・・
既に女とセックスはしたことがある。
それはプロの女だったが、こんな感覚にはならなかった。
いや・・・そもそも自分のしている行為〜金を出して風俗嬢とセックスをしていること〜が、あまりにも客観視できてしまい、ソレは現実そのもので、とても興奮などできなかった。
結局、大金を払っても、最後までイクことすらデキなかった。
でも、今のこの感覚は・・・
現実から離脱し、サエに溶け合うようなこの感覚。
金を払っていないからか?
いや違う。
この女が、サエが、キヨトの常識から逸脱しているからだ。
今こうして体を重ねていることも、なぜそうなったのか、まるで理解できない。
その、理の・・・計算の・・・範囲外の行為をするサエを恐ろしいと思うけれど、同時に魅了される。
俺はずっとこの社会から、解放されたかった。
俺を縛って、苦しめてきたこの強固で安定した社会の外を見せてほしかった。
このウンザリする社会から、解放して欲しいとずっと願ってきた。
「別世界から来た」と言う自分の考えの埒外の女と今まさに一体なっているからこそ、自分もこのクソみたいな社会から脱出できたかのような錯覚に襲われる。
だから、こんなにも開放感が全身を覆い、こんなにも興奮している。
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