第二十二話 神の存在を感じる体験よりも奇妙な体験

 土曜日の日中、キヨトは新宿にいた。

 男・・カズヤからのラインには、新宿駅からほと近い場所の住所が示されていた。

 その場所は、貸し会議室が入っているビルの一角だった。


 ラインに記された団体の名前を見つけて、会議室の中へと入る。

 「大きな集まり」とカズヤが言っていたのは、だいぶ誇張していたらしい。

 会議室はせいぜい30人収容するのがやっとのスペースだ。


 それに、あと5分もすれば、集会が始まるというのに、中にいるのは10人ほどがしかいない。

 カズヤは、既に部屋の中にいて、同じ団体の仲間と何やら話していた。


 カズヤは、部屋に入ってきたキヨトに気付くと、「おお〜キヨト。よく来てくれたな。」

 と、手を挙げる。


 キヨトは、カズヤの方へと行き、「どうも。」と、答える。

 あらためて、部屋のにいる人間たちを見回すと、随分とリラックスしているように見える。


 たぶん、ほとんどはカズヤの顔見知り、というかこのグループのメンバーなのだろう。

 キヨト以外で、メンバー以外の人間はおそらく、一人だけ。

 隅に座っているいかにも押しに弱そな男くらいだろう。


 きっと、カズヤたち多数で少数のカモを喰い物にするつもりなのだろう。

 案の定、キヨトと気弱な男は、カズヤに誘導されて、いつの間にか、メンバーに取り囲まれて、最前列へと座らされていた。


 部屋の扉が締められて、やや照明が暗くなる。

 そして、カズヤが、前に立ち、一呼吸置くと、


 「今日はわざわざ集まってくれて、ありがとう!」


 カズヤが、そう不自然なほど、バカでかい声を張り上げて、開会の口火を切る。

 まわりの人間もカズヤに合わせるように、大きな歓声を上げる。

 隣の気弱な男は、その声の大きさにビクっと全身を震わせていた。


 「俺が今日、ここで話したいのは、単純なこと・・なんだ。なあ・・みんな、この社会にウンザリしていないか?

 神経質なほどまでに、気を使わなければならない表面上の友達との関係。いや・・友達だけじゃない。両親や家族との関係だってそうだ。

 両親は、就職のことなんかで、口うるさく文句を言うけれど、結局のところ自分たちと世間体のことしか気にしてない。

 家族も友達も、自分の本質は見てくれない。

 だから、本音は言えず、いつも孤独だ。

 それだけじゃない。

 金の問題だってある。奨学金で通っている人はこの中にいるか?」


 カズヤの問いかけに、何人かが手を上げる。

 そのいずれもが、おそらくメンバーの人間だ。


 「俺もそうだった。奨学金を返さないといけないと思って、必死にバイトをしていたよ。

 両親は頼りにならない、友達だってもちろんそうだ。

 本当に・・・あの時は、辛かった。

 正直、限界まで追い詰められていた。」


 メンバーの人間たちが、大げさにウンウンとうなずいている。

 カズヤの声のトーンが変わる。


 「だけど・・今は変わった。このグループに入ったことで、俺は変わったんだ。くだらない表面上のこと、単なる金の問題や両親やこれまでの友達との見せかけの人間関係、そんなものには何にも価値がないことに気づいたんだ。

 だって、このグループのメンバーこそが本当の仲間であり、一つの共同体、家族なんだから。」


 カズヤの陶酔しきった演説に、まわりのメンバーたちが、「ああ!」「その通りだ!」と、口々に同意の声を上げる。


 「なあ、ユウもそう思うだろう!」


 ユウという名の気弱な男は、突然カズヤから声をかけられて、あからさまに困惑していた。

 だが、まわりにいるメンバーのからの同調圧力に押されて、「え・・あ、はい。」とうなずく。


 「だよな!キヨトお前はどうだ!」


 ますます熱を帯びているカズヤは、当然もうひとりの勧誘対象であるキヨトにも先ほどと同じ調子で声をかける。


 「いや・・全くそうは思わないです。」


 キヨトは、大きな声ではっきりとそういった。


 「え・・」


 何度やっても、この瞬間だけは、面白くてたまらない。

 この空気を思いっきり外して、KYになる瞬間は。

 カズヤとまわりの取り巻き連中のぽかーんとしたマヌケな顔。


 キヨトは畳み掛けるように、KY発言を淡々としかし、はっきりとした口調で話す。


 「お金はもちろん大事ですし、両親も・・・少なくとも会ったばかりのカズヤさんたちのような素性の知らない他人よりは、よっぽど信用できますよ。普通そうでしょ。」


 まさか、反論されると思っていなかったカズヤはシドロモドロになりながら、「いや・・それは・・」と歯切れが悪い返答をするのが精一杯だ。

 綿密にお膳立てをされている場ほど、不測の事態には弱い。


 それは、まるで紅白歌合戦の生放送中に筋書きのない行為をするようなものだ。

 唖然としているカズヤと他のメンバーを尻目にキヨトは、

「話もつまらないので、これで失礼いたします。」と、席から立ち上がり、ひょうひょうとその場を後にする。


 誰もキヨトを止める者はいない。

 所詮は学生がやっているカルトのマネごとに過ぎない。

 暴力を駆使してまで止めるほどの狂信者などいる訳がない。

 それがわかっているからこそ、キヨトもこんな真似ができる。


 キヨトは、ビルから出て、外の空気を吸い、「ふうっ・・」と声を上げる。

 

 何をやっているんだ・・・俺は・・


 こんなことを何回繰り返しているのだろうか。

 大学に入ってから、こうした宗教系や自己啓発系の怪しげなサークルの集まりにもう両手で数えても足りないほど参加している。


 今では、趣味と言ってもいい過ぎではないほどだ。

 キヨトが、こうした集まりに参加する理由は、ただ一つ。

 過去を・・2年前のサエと過ごした際に感じた一連の不可思議な体験を完全に忘れるためだ。


 あの時に感じてしまった異様な感覚は、単に新興のカルト団体がよく使う手段によるものに違いない。

 キヨトはこの2年間、考え続けた上で、そう結論付けた。


 そして、そのこと・・・ようはサエもトオリも単なるカルト団体の信者に過ぎなかったことを証明するために、そうした団体に接触し、足繁く集まりに参加しているのだ。

 

 だが、そんな行為を繰り返しても、キヨトのわだかまりは解消されるどころか、ますます胸に重くのしかかるばかりだった。

 いくらそうした団体のセミナーに参加しても、サエと過ごした時に感じたあの奇怪な体感をすることはできなかった。


 キヨトはこうした集会や合宿に参加することにより、神の存在を感じたことさえあったのにも関わらず・・・・

 それは一度や二度ではない。

 

 カルト団体が行う勧誘方法はだいたいマニュアル化されており、日常生活から乖離された空間に閉じ込められて、意識が朦朧とするまで追い詰められば、たいてい神の声や神秘体験を経験することができる。


 それらの体験は確かに、興味を惹かれるものではあったが、所詮は、マガイモノであり、そうした知識が事前にあれば、酷く人工的で現実的なものに思えた。


 いってしまえばジェットコースターに乗った時の感覚のようなものだ。

 実際のところ、ある程度の知識があり、環境を整えることさえすれば、誰でも神の声と存在のようなものを感じることができる。


 宗教が世界的にこれだけ広く受け入れられているのもそうしたことが一つの要因だろう。

 

 皮肉なことではあるが、キヨトはこうしたカルト団体のセミナーに参加をして、神秘体験を経験すればするほど、より一層サエのことが頭から離れられなくなっていた。

 

 サエは、単なるカルト団体のメンバーに過ぎない、そう思うことができれば、気持ちは楽になるはずだった。

 

 人は、どんな事柄にも原因と理由を求めて、未知なものをなくしたがるものだ。

 だが、サエとトオリの存在はいまだに、キヨトの中では未知で不確かなままだった。


 せめて・・もう一度会うことができれば・・・

 だが、それは叶わぬことだ。

 数千万人の人口がいる首都圏で偶然二人の人間と再開するなどという都合の良いことが起きるはずもない。


 キヨトは、何とも言えぬ思いを抱えながら、新宿の繁華街を目的もなくぶらつく。

 しばらく歩いていると、開けた緑園が目に飛び込んでくる。

 いつの間にか、駅から遠く離れて、新宿御苑の近くまで来てしまったようだ。


 公園か・・・


 キヨトは、特に考えもなしに、入園料を払い、中へ入る。

 どうせ予定などない。

 それに、公園は今でもキヨトにとっては日々の喧騒を忘れられるお気に入りのスポットだった。


 「公園」というワードが、キヨトの記憶を刺激したのか、サエと初めて会った時のことが脳裏に蘇ってきた。

 このところ、あの時の記憶を何度か唐突に思い出すことが多くなった。


 5月の天気の良い陽気だから、御苑の中には多くの人がいた。

 シートを広げて、日光浴を楽しんでいるカップルや、子供とボールを投げ合って楽しんでいる親たちがいる。


 まさに、慎ましく幸せな日常の一コマといった光景だ。

 だけど、キヨトはこうしたモノを見ても、心は晴れない。

 嫉妬・・・もあるだろう。


 結局、キヨトは、どこまでいってもこうした風景の中に溶け込むことができない人種なのだから。

 かつて、普通に高校に通う同級生たちを見た時に感じた気持ちと同じだ。


 嫉妬と侮蔑。

 もっとも、もしかしたら、この一見して普通に見える人々の中にもキヨトと同じように仮面をかぶっている人間がいるのかもしれない。


 平凡な父、母、学生といった役割を演じながら、日々この社会に馴染むことができない違和感を抱えているのかもしれない。

 そんなことを想いながら、キヨトは大きな木の下の影に入り、幹を支えにしてもたれ掛かる。


 それは、全くの偶然だった。

 何かの匂いがした。

 そして、その瞬間キヨトの脳裏には、その匂いを嗅いだ時の気持ちが突然鮮やかに蘇った。


 きっとその匂いがしなければ、キヨトは視界の隅に映っている人物のことを見逃していただろう。

 わずか数十メートル先の木の影に佇んでいる女に。


 キヨトは、次の瞬間には、その木をめがけて、駆け出していた。

 数十メートルに過ぎない距離にもかかわらず、極度の緊張と興奮の中、全力疾走したせいか、キヨトは全身汗だくで、息も絶え絶えだった。


 木々が緑に生い茂り、日光が燦々と照らす季節の中、女の格好は異質だった。

 女は、まるでそんな浮かれた季節に異を唱えるがごとく全身が漆黒のワンピースといった出で立ちだった。


 キヨトは、ようやく息を整えながら、脳裏に浮かんだ人名をつぶやく。


 「・・・トオリさん」

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