第二十八話 唯一の救い

 「僕はこの現実世界で生きていきたい。たとえ・・・この世界がクソみたいでも・・・這いつくばって生きていきたいと思っている。そこにはあなたにもいて欲しい・・だから・・・」


 サエは、目を大きく見開き、キヨトを見つめる。

 そして、満面の笑みを浮かべている。

 キヨトは、サエの方にゆっくりと近づく。


 お互い、触れ合える距離にまで、接近すると、サエはキヨトの頬に手を触れる。

 そして、互いに唇をかわす。

 「キヨトさん。やっぱり、これが本物の人間なのですね。ありがとう。」


 サエの柔らかい唇の感触が、なくなり、キヨトは、目を開く。

 サエは、既に地面にはいなかった。


 サエの体は中に浮いていた。


 「だから、わたしはこの世界では生きられない。」


 次の瞬間。サエは視界から消えていた。

 サエは、真っ逆さまに地面に落ちていった。




 キヨトは、大学近くのカフェの二人席に座って、人を待っていた。

 約束の時間よりも大分早めについてしまった。

 まわりには、大学の学生たちが、仲間たちと思い思いの時間を過ごしている。


 かつては、彼らを見て、嫉妬をしていたが、今ではそんな気持ちはまるで沸いてこない。

 約束の時間までの十数分、キヨトはスマホを取り出して、ニュースアプリを巡回する。


 いつもと同じ・・・企業や政治家、芸能人の数週間が過ぎれば誰もが忘れる些末な事件を煽りたてた・・・記事ばかりで、取り立てて興味を引くものはなかった。

 だが、唯一、キヨトの目を引いたニュースがある。


 <日本の自殺数が過去最高を記録!>


 人々の不安を煽るセンセーショナルなタイトルをつけた割には、そこまでPVは集まっていないらしい。

 コメントもほとんどついていない。


 それもそのはずで、日本の自殺数は、ここ数年毎回記録を更新しているし、その割には、その伸びは、緩慢で、ニュースとしての面白みや新鮮さはまるでないからだ。


 コメントを見る限り、「高齢化」、「単身世帯の増加に伴う孤独」、「景気の低迷」といったところが理由に挙げられていて、全体としてまあ・・仕方がない・・といった論調だった。


 だが、キヨトは、知っている。

 その理由が、的外れであることを。


 「キヨトさん。お久しぶりです。すいません。お待たせしてしまって。」


 後ろから、聞こえた女の声にキヨトは振り返る。

 キヨトは、その美しい女を見て、落胆を隠せなかった。


 「・・・トオリさん。いえ・・僕も今さっき来たばかりですから。」

 「今日はお呼び立てして申し訳ありません。実は、話しておきたいことがありましてね。僕も、近日中に帰還することを決めました。」

 「そう・・・ですか・・・」


 キヨトは、一応驚いたフリをしたが、実際のところは、そう言われることは予想をしていた。

 そして、今日トオリの様子を見て、その予想は既に確信に変わっていた。


 今や初めて会った時の幻想さは見る影もなく消え失せ、そこにいるのは日々の生活に疲れ切った一人の女性だった。


 夜通し中、サークルの合宿で、夢を語っていた快活な女子大生が、就職して数年立つと、専業主婦になりたいと言っている・・・そんな風に、キヨトには感じられた。

 淡い夢はやぶれて、手頃な現実に落ち着く。

 ナイーブな少女は、社会に揉まれて、現実の女になる。


 多かれ少なかれ誰もが、経験することだし、それはそれで魅力的ですらある。

 だけど、トオリにはずっとナイーブなまま・・・ずっと非現実的な存在でいてほしかった。


 それほど、初めて会った時の記憶は鮮明で、今もその時の強烈な印象がキヨトの心に残り続けている。


 「・・・あの・・トオリさん・・・聞きたいことがあります。コレはあなたたちと関係があるのですか?」


 キヨトはそう言うと、自分のスマホの画面・・・先ほどの自殺に関する記事・・・を、トオリに見せた。


 「・・・どう・・でしょうか・・・確かに最近前にもまして、帰還する人間が増えたことは事実です。ですが・・・そもそも僕たちの数は人口に比して、圧倒的に少ない・・はずです。だから、僕たちが何をしようが、統計に影響を与えるとは思えない・・ただ・・」


 トオリは、眉根を寄せて、考え込んでいる。

 トオリのその様子は、キヨトの目には、言うべきか否か悩んでいるように見えた。


 「なにか・・まだ・・・あるんですか?今更僕は何を聞かされても、驚きませんよ。」

 

 「いえ・・・以前話したことが僕の知っているすべてです。ですが・・・実際のところ、僕は、この計画の全てを知っている訳ではない。旧世代の仮想世界とはいえ、現実世界と変わらない規模の世界を構築するには、それなりの人員と資金が必要です。もちろん、僕もこの計画に携わった一人ですが、あくまでもそれは部分に過ぎない。だから、もしかしたら、僕が思っている以上に、規模は多いのかもしれない。」


 「多い?それは、こちらに来た人の数が?」


 「そう・・ですね。前にも話した通り、記憶を消して来ている人もいます。だから、正確な数はわからない。それに、ある時点で、記憶を呼び覚ますように設定しているのかもしれない・・・」


 「そう・・・ですか・・・」


 不意に記憶が蘇る・・・そんなことがあり得るのだろうか。

 トオリとキヨトは無言のまま運ばれてきたコーヒーを飲む。

 話すべきことは、お互いもうほとんどない。


 「そうだ。トオリさん。僕からも実は、一つ報告があるんです。実は僕、子供が出来たんですよ。」

 「それは・・・おめでとうございます。」


 「ありがとうございます。」

 「男の子ですか?それとも女の子?」


 「女の子です。」

 「それは・・可愛いでしょうね。」


 「ええ・・そうですね。」


 トオリは、カップを手元に起き、やや間を開けて、マジマジとキヨトを見つめる。


 「それにしても・・・キヨトさんは凄いですね。この世界にここまで適応するなんて・・・尊敬しますよ。僕は結局ダメでした。」

 「いえ・・・ただ、僕には記憶がないだけです。だから、頭で理解しても、僕にとっては、やっぱりこの世界こそが唯一の世界なんですよ。」


 「そうですか・・・どちらにせよ。お元気で。もう会うことはないでしょうから。」

 「ええ・・トオリさんも。元気で。」


 これから、自殺しようとする人間に元気もなにもないだろう、言葉をついた瞬間思わず、心の中で、苦笑してしまう。

 トオリとキヨトは、立ち上がり、互いに握手をかわす。


 トオリの後ろ姿を見て、キヨトは何とも物哀しい気分になってしまう。

 トオリを見送り、キヨトは再び席につく。

 今日は、有給休暇を使って、会社を休んでいるから、時間はタップリある。


 スマホをスワイプさせて、妻と生まれたばかりの子供を見る。

 目の前に映っている画像は確かにキヨトの新妻と赤ん坊だ。

 だけど、その画像を見ても、キヨトの心にはたいした感情は湧き上がってこない。


 サエが自殺してから、既に10年の月日が流れていた。

 あれから、色々なことがあった。

 キヨトは、就職し、結婚し、いまや子供までいる。


 まわりからみたキヨトは、まさに一見すれば、順風満帆な人生を送っているように見えるだろう。

 だが、全ては、かりそめ、単に演じているだけだ。


 キヨトは、この世界に一応適応しているフリをしている。

 今こうしてウンザリする社会で、一応マトモな生活を送っていられるのも、全てはある確信があるからだ。


 そう・・・サエとキヨトが言っていた理想郷の世界がもう間もなく到来するだろうという確信を・・・

 世間には、そうした兆候が至るところに現れている。


 AI技術の革新的進化、脳の思考プロセス、脳がどう現実を理解しているのか、そういったかつては、神の領域とされていた分野にすら、人の技術は入り込み、その過程を解き明かそうとしている。


 トオリは、この世界は忠実に元の世界を再現していると言っていた。

 だから、帰還をする必要はない。

 この世界も、もう間もなくサエとトオリがいた世界と変わらない世界になる。


 いや・・そこまで待たなくてもあるいは・・・

 サエが最後に残した言葉が今ではよくわかる。

 俺は、あの時、サエのことを考えていなかった。


 サエのことを本当に思っていたのなら、あの時むしろ自殺を促す言葉を投げかけていたはずだ。

 俺は、自分の欲望のために、サエの利益を犠牲にして、サエをこの世界にとどまらせようとした。


 なにせ、俺はあの時点でさえ、既にサエとトオリが言っていたことを半ば信じていたのだから。

 サエは、俺のそんな自己中心的な本心をいや、人の変えられない本能を見限ったのだろう。


 それは、この社会に生まれた時から生きている俺にとっては、空気のように当たり前のこととして、受け入れられることだ。

 

 だけど、生まれた時から、自分のことを真摯に考えてくれる意識がない人モドキ・・つまりAIと触れ合っていたサエやキヨトにとっては我慢ができないことだったのだろう。


 この世界に来て、初めてマトモに生身の人と接触したサエは、当たり前のように気づいた。

 たとえ、虚構であっても、虚構こそが理想だったのだと。


 だから、サエはこの世界から去った。

 トオリももう間もなくこの世界から去る。

 そして、俺も・・・


 最近、頻繁にめまいがするようになった。

 このめまいの頻度が上がるたびに、キヨトの心は躍動する。

 

 いや・・・このウンザリする社会で、もう少しだけつまらないかりそめの家族生活を送っていた方が、より新世界を楽しめるのかもしれない。


 旧世代の人間たちの方が、こぞって、現実世界を放棄したとかつて、トオリは言っていた。

 それもそのはずだ。

 妻や子供、家族そんなものは個人の幸福としてみれば、本質的にはたいしたことではない。


 ただ、それが幸福だと思わなければ、自分を洗脳しなければ、耐えられないから、そして、代替手段がないから、妥協しているだけだ。

 自分の利益を第一に考えるコントロールが効かない複雑な感情を持つ、人間同士の関係は、決して人の理想たり得ない。


 理想が手に入るのなら、それを拒む人間など余程の変わり者以外、いるはずがない。

 キヨトが、立ち上がろうとした時、また大きなめまいが起きた。


 思わず、顔がほころんでしまう。

 目覚めの時は近い・・

 もうすぐだ。

 俺は、ようやく解放される・・・

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非モテの引きこもり高校生が異世界から来たと主張する美少女に出会い、人生が変わる話 kaizi @glay220

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