第十五話 言葉は通じるのに理解できない相手

 二人の様子は、ある意味で、予想していた通り・・ではあった。

 だが・・・それでもキヨトにとっては、大きなショックだった。

 サエはキヨトにしていたように、トオリへ体を寄せて、腕を組んでいた。


 その行為は、外にいるのが怖いというサエの性質によるものだから、ある意味で彼女のトオリに対する気持ちとは無関係なことだと頭ではわかってはいる。

 だが、それでもキヨトにとっては、やはり裏切られたような気分になってしまう。


 それに、客観的に見れば、今の二人は完全に恋人同士に見える。

 しかも、美男美女のカップルで、自分などよりはるかにお似合いで釣り合っている。


 これ以上は見たくないと思いながらも、体は脳とは違う行動をする。

 キヨトは、なおも二人の後を付ける。

 これでは、本当に・・・単なるストーカーか変質者だ・・


 そう思っても止められなかった。

 結局、マンションの入り口まで、かなりの距離を取りながらも、ずっと二人の後ろを歩いていた。


 二人は・・・どういう関係なんだ・・・

 考えてみたら、あの二人は一緒の家に住んでいるのだ。

 同世代の男と女が、同じ家の中にいる・・


 ただの友達同士なんてことがあるだろうか・・

 嫌な考えばかりが、頭に浮かぶ。

 そして、心の中には、ドス黒いモノが、浸透して、気分はますます暗くなってくる。


 二人がマンションの中に入っていくのを、キヨトは遠目に、見ながら、思わず深呼吸をする。

 少しでも、心を落ち着かせたかったが、キヨトの脳の命令は、やっぱり心には届かない。


 不快、苦痛、憎悪、嫉妬・・・そんな感情が混ざり合って、グチャグチャになった混沌状態のままだ。

 その場に、そのまま数分とどまった。


 これくらい経てば、さすがに二人も部屋に帰っているだろう・・・

 こんな状態で、二人とマンション内で遭遇したら、普通に会話できる自身はなかった。


 二人を目の前にしたら、この行き場のない暗い感情を、原因となっている相手にぶつけかねない・・・

 そんな行為はリアルの世界ですべきではない。


 スマホを見る。

 帰って、この世界で発散しよう・・・


 マンションのエントランスの自動扉が開いて、キヨトは思わず固まってしまった。

 脳が相手の顔を認識する0.1秒にもみたない一瞬、

 なんだ・・・すごい美人がいるな・・

 と、まず思い、少しだけ気分がよくなった。


 だが、すぐにその感情は書き換えられる。

 脳の顔認識の演算が終わり、相手の正体が、誰かわかったからだ。

 目の前にいる人間はトオリだった。


 遠目に見ている時は気づかなかったが、この近距離で見ると、本当にトオリは女性のように見える。


 「どうも。キヨトさん。」


 トオリは、微笑して、普通にあいさつをしてくる。

 まるでキヨトが来るのを待っていたかのような態度だった。


 「・・・・ど、どうも・・」


 反対に、キヨトの頭は、まだ状況を理解するのに混乱状態だった。

 

 なんで・・ここに・・待っていた・・何故・・サエは・・


 「サエは先に帰りましたよ。待っていたのは、僕がキヨトさん・・あなたと話したかったからです」

 トオリは、相変わらず、微笑みを浮かべたままだ。


 その美形の顔に張り付いた笑みが、キヨトの心を刺激して、マイナスの感情が一気に吹き出てくる。

 トオリは、いきなり一步前に近づいてくる。


 「な・・」


 一瞬、トオリが殴りかかってくるのかと思った。

 それほど、近い距離だった。

 本能的に危険を感じたキヨトは後ずさりして、トオリと距離を取る。


 「あ・・すいません。そうか・・男なのか・・男性が男性にこんな距離まで近づくのは暴力を誘発する挑発的行為になるんでしたね。」


 トオリの発した言葉の意味は、理解はできるが、その文脈は意味不明だから、余計に不気味に感じてしまう。

 英語がわからなくても、奇妙には感じない。

 だが、日本語で話しているのに、わからないのなら・・不気味だ。


 だが・・・そのことはサエと共通する。


 「な、なんなんですか・・」


 キヨトは、声を裏返して、抗議の声を上げるのがせいぜいだった。

 トオリから、粗野な暴力の匂いはしない。

 顔が女性的ということもあるし、体格も華奢で、それに、なんとなく知性的な感じがある。


 それでも、何か危険な感じがする。

 その行動や言動が予想できないからだろうか。

 人は未知なモノを恐れる。


 トオリは、興味深そうに、こちらの顔を伺う。


 「すみません。別に驚かせようとした訳ではないんです。ただ・・その興味があるというか。キヨトさん。僕らの後をつけてましたよね?なぜですか?」


 トオリは、唐突にそう切り出してきた。

 非難するような口調でもなく、馬鹿にしたような口調でもなく、本当に疑問でたまらないといった様子で・・・

 

 それが、またキヨトの頭を混乱させる。

 なんだ・・この男は・・


 「・・・いや・・つけていたというか・・その・・たまたま一緒になっただけです・・その・・変な感じになってしまって・・すみません。」

 「そう・・ではない気がします・・・僕もこの世界に来て、それなりの時間が経っていますから、それくらいのことはわかります。キヨトさん・・・あなたは、僕のことを不快に思っている・・そうですよね?」


 「いや・・なんで・・そうなるんですか・・会ったばかりなのに・・」

 「そう・・そうなんです・・僕とキヨトさんはさっき会ったばかりなのに、なんで、僕は嫌われているのか?そう思って、必死に考えてようやくさっき気が付きました。昔見た映画に似たようなシーンがあったので、助かりましたよ・・古い作品は、やはりタメになります。

 キヨトさんは、僕に嫉妬しているんですよね?いや・・正しく言うのなら、僕とサエが恋人同士だと思って、僕にサエを取られまいと、僕を嫌っている?そうじゃないですか?」


 トオリは、悩みに悩んだ数学の問題がついに解けて、いざ答えを見ようとばかりに、期待の眼差しをその目に宿している。

 このときには、もうトオリに対する嫌悪感などなくなっていた。


 ただ、この場から、逃げ出したくなるほど、怖かった。

 トオリが言っていることは全て論理的だ。

 だが、酷く狂気じみている。


 そこには、相手の気持ちを考える、空気を読むという、自然な動作が欠落している。


 「あ・・あの・・そんなことは・・・」

 「本当ですか?いや・・ああ・・そうか。そんな気持ちを僕に正直に話す訳ありませんよね。はあ・・やっぱり僕もまだ全然ダメだな・・」


 トオリは頭を左右に振って、やれやれと一人勝手に落ち込んでいる。


 「あの・・」

 「・・キヨトさん。安心してください。サエと僕はそんな関係ではないですよ。その・・サエと僕は・・その・・・この世界の言葉で定義するのなら・・・そうだな・・師弟関係のようなものですから。」


 トオリは、にっこりと笑う。

 その笑顔はトオリの美しい外見とあわさり、さながら映画のワンシーンのように映えて見える。


 だけど、キヨトにとっては、その顔は酷く気持ちが悪いものに思えてしまう。


「僕はまたしばらく家を開けます。だから、僕のことは気にせずに、サエとまた遊んであげてください。・・・あなたは、サエにとっては、今必要な人だから・・・あの人と・・サエと仲良くしてやってください・・」


 トオリはそう言うと、こちらの返事も聞かずに、さっさとマンションの中へと入っていく。

 トオリが何を考えているのか、まるでわからなかった。

 しかし、最後の言葉だけは・・妙に感情がこもっていて、自然に感じられた。

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