第十二話 働くことが羨ましい世界
案の定・・いや正直に言えば少し期待していた・・サエは、マンションの外に出ると、さきほどの強気な表情が嘘のように一変した。
必死に平静を装ってはいるが、顔は明らかにこわばっている。
それでも昨日よりはマシだったが、あいかわず誰かの支えがないと、外は怖くてたまらないようだった。
実際、サエは、外に出るなり、腕を絡めてくる。
昨日と違って、両腕が露出しているから、サエの柔らかい肌感がダイレクトに伝わってくる。
サエは、怖くてたまらないといった表情をしているから、そんな相手の弱みに漬け込んで、体に触れているようで、後ろめたい気持ちになってしまう。
だが、一方で、この状況に心地よさを感じているのもまた事実だった。
人から頼りにされるという経験は自分の自尊心をこんなにも満たしてくれるものとは思わなかった。
それに、女に・・・こんな美人に・・・
こんなことなら、夜ではなく昼に外出してもよかった。
何も知らぬ者が今のキヨトを見れば、可愛い彼女と連れ立って歩いているとしか見えないだろう。
国道沿いにあるファミレスに近づくにつれて、サエの恐怖はましているように思えた。
最初は人が怖いのかと思っていた。
だが、サエの様子を見ると、どうやらそうではないらしい。
人というより・・・むしろ、車を酷く恐れている。
車が通り過ぎる度にサエはビクリと体を動かして、顔をうずめて、しがみついてくる。
そのことに気がついてから、なるべくサエを車道から離して、歩道の隅っこを歩かせるが、それでも、車への恐怖感はたいして減らないらしい。
「あの・・本当に大丈夫ですか・・」
「・・だ、大丈夫ですから・・・」
もう何度目かになる同じやりとりを繰り返す。
ファミレスにたどり着いた時は、サエは息も絶え絶えといっても言い過ぎではないほどだった。
はじめの内は、デート気分で、意気揚々としていたが、時間が経つにつれて、そんな浮ついた気持ちはなくなり、その分サエが倒れてしまうのではないかという不安が増していった。
だから、よろよろとしているサエをサポートしながら、ファミレスに入った時は、正直ほっとした。
夜中に、10代の少女が青ざめた顔で、同じく10代の男にしがみついている・・・
客観的に見れば変な光景だ。
対応に来た二十代くらいの女の店員は、こちらを見た時、怪訝な顔を浮かべる。
だが、それも一瞬のことで、すぐに疲れ切った表情を隠そうともせずに、慌ただしくキヨトたちを席へと案内する。
時間は、21時前といったところで、夕食の時間には少し遅い。
客の数はまばらだった。
だが、ホールにいる店員の数は2人ほどしかいないため、店員たちは終始忙しそうにしている。
店員たちも、変な客をイチイチ気にしている余裕はないのだろう。
四人がけのテーブルに案内されて、席に座った時、サエは、「はああ・・・」と、大きな安堵のため息を漏らしていた。
とりあえず、ドリンクバーを注文して、適当なお茶をコップに入れて、サエの前に置く。
サエは、そのコップの中身を少し警戒しながらも、恐怖と不安で、喉が相当乾いていたのか、一口飲んで、安全だとわかると、そのままゴクゴクと勢いよく飲み干す。
「あの・・・落ち着きましたか?」
「・・はい・・なんとか・・・」
サエは眉根を寄せて、まだ厳しい顔つきをしているが、それでも先ほどよりは大分マシになっている。
「それは、よかったです・・・あの・・食べ物はどうしますか?・・その・・肉が入っていないものもある・・と思いますよ・・」
「そうですね・・何でも・・肉が入っていないものなら・・」
そうはいったものの、実際まったく肉が入っていないものをメニューから探すのはかなり骨が折れる作業だった。
結局、具がほとんど入っていないパスタとサラダくらしか見つからなかった。
そして、サエと同じメニューを注文する。
本当は、別のものを食べたかったが、こないだのサエの様子から考えて、目の前で、ハンバーグを食べる訳にはいかない。
ネットでググったら、ヴィーガンは、動物由来の食べ物を一切口にしないらしいが、サエのこの肉嫌いはソレとは違うような気がする。
サエは、そういう理屈で、肉を嫌っているのではなく・・・なんというか・・もっと本能的に、生理的に、いや・・・体に染み付いた慣習として、嫌悪しているように見える。
サエは、外をぼんやりと見ながら、「やっぱり・・あの人はすごいな・・こんな世界でも一人で行動しているんだから・・・私も・・」と、つぶやいている。
「あの・・その人が・・一緒にいた仲間・・の人ですか?」
「え・・はい・・そうです。本当に・・頼りになる人です。あの人がいなかったら・・私は・・この世界で・・」
サエの話しを聞いていなかった訳ではないが、その人物の存在がにわかに気になってきた。
その頼りにしている人とは・・誰なんだ。男なのだろうか・・
暗い感情がゆっくりと心に広がっていく。
その人は男ですか、それとも女ですか?
今すぐにでもそう聞きたい衝動に駆られたが、それではあまりにもあからさま過ぎる。
それに、そう聞いて、「はい。男です。私の彼氏です。」とでもサエに言われたら、一人舞い上がっていた自分があまりにも惨め過ぎて・・・きっと平静を保っていられないだろう・・・
さきほどの店員の女が、注文したメニューを持ってきた。
やはり、ひどくせわしない動きだ。
ずっと忙しくしているせいなのか、店員の顔は、酷く疲れ切っている。
店員は、それでも、ぎこちない笑顔をこちらに向ける。
顔を無理やり歪ませて、接客用の笑顔を浮かべているところを見ると、こちらもなんだかいたたまれなくなってしまう。
自分もあと数年経ったら、どこかの職場でこうなるのだろうか・・
「あの人・・辛そう・・いや・・あの人だけじゃない・・この世界の人はみんな・・・あんな顔をしている・・働いているのに・・」
「え・・」
サエは、店員たちに対して、同情の眼差しを向けていると思っていた。
だが・・気のせいか・・その視線はどこか羨ましそうだ。
「・・その・・働いているから、辛そうな顔をしているんじゃないですか?」
「そう・・・でしたね。この世界では・・あの人も同じようなことを言っていたけれど・・・実際に目にすると・・すごく変な感じ・・です・・」
サエが奇妙なことを言うのにはもう慣れている。
とはいえ、どう反応すればよいのかは相変わらずわからない。
働くこと=辛いこと、というのが常識だ。
それが変とは?いったいどういう意味なのだろう・・・
ネットやSNSの世界では、自分の好きなことをして、金を稼いでいる人はいくらでもいる。
そういう生き方も出来るのだろう。
でも・・・キヨトが現実社会で、見てきた人たち・・両親、学校の教師、ここの店員・・・は、みな嫌々働いていた。
だから、キヨトは、ネット上で活躍するインフルエンサーたちに憧れると同時に、嫉妬を覚える。
要は選ばれたもの、何かしらの才能がある者にしか、できない生き方なのではないか・・・
俺には無理なのではないか・・・
いや・・違う・・俺にもできるはずだ・・・
そう思って、学校を休んで、そうした現実社会から自分を隔離した。
でも・・実際、自分は単なる引きこもりだ。
何も才がない者は、つまるところ少々我慢してでも、レールに乗った人生こそ最も簡単に、幸福に生きられる・・・コスパがいいのではないか・・
そんな疑念が無視できないくらい、キヨトの中で大きく育っていた。
サエは、同じ年代なのに、そうした悩みを抱えるキヨトとはまるで、別世界の住民のようだ。
働くことが羨ましい・・・
サエは、自然に・・キヨトが働くことは辛いことだと思っているのと同じように、そう感じているように見えた。
確かにサエは、「別世界から来た」と初めて会った時にそういった。
だが・・・
余計なことは考えない方がいい。
サエは、あくまでときおり変なことを言うちょっと天然過ぎる美少女・・なのだ。
いいじゃないか・・それで・・
だから、キヨトは、サエの変な言動に、「そう・・ですか」と、返事にならない返事を返す。
そう・・・これでいい。
料理を食べているサエを見ながら、そう思う。
客観的に見て、サエはいたって、普通の可愛い少女だ。
そして、俺はその美人な女とこうして、2人きりで夜に、食事をしている。
美女とデートをしたことがある・・・
そういう経験をしたことがなにより重要なのだ。
RPGで言えば、レベルが上がったようなものだ。
それだけで、自尊心が満たされる。
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