第九話 どちらが常識か?
あんな状態のまま、一人で公園に放置したのだから、サエは怒っているだろう。
だから、もう家に帰ってしまっているかもしれない。
道路の街灯が奥のベンチをわずかに照らしている。
そこには、少女の・・サエの姿があった。
その姿を視界に捉えた時、心が弾んだのをキヨトははっきりと感じた。
サエはまだこちらに気づいていないのか、不安げな表情を浮かべている。
そんなサエの様子を見て、一人で公園に残したことに、罪悪感を覚えてしまう。
サエもこちらに気づいたようで、
「キヨトさん!」と、声を上げて、まるで迷子になった子供が両親を見た時のように安堵した表情を浮かべている。
「あの・・・すいません・・・一人で行ってしまって・・」
「・・・本当ですよ・・」
サエは、顔をわざとらしく、一瞬むくれさせる。
どうやら、本気で怒っている訳ではなさそうだ。
「脳が突然オフラインになった時みたいに、不安になりましたよ・・」
「え・・・すいません。」
「でも・・仕方がないです。あんなみっともない状態だったのですし・・」
「あの・・・気分はよくなりました?」
「ええ・・・大分回復しました。」
「それは・・・よかったです。それで・・」
何故、あんな状態になったのか知りたかったが、躊躇してしまう。
病気のことなのだし、かなりデリケートなことかもしれない。
会ったばかりの自分が踏み込んでよいものか躊躇してしまう。
それに・・・サエの視線が先ほどから気になって仕方がない。
さっきから、自分の片手を・・・ビニール袋をあからさまにじっと見ている。
そんなに、お腹が減っているのだろうか・・・
「・・・その・・・適当に食べ物を買ってきましたけど、サエさんも食べますか?」
「ありがとうございます!でも・・・」
サエは一瞬、顔を輝かせるが、すぐにその表情は何かを警戒しているかのように不安げなものに変わる。
「買ってきた食べ物は何ですか?」
「え・・普通のパンですけど。」
「パンですか・・それなら・・・いえでも・・・あの・・ちょっと見せてください。」
「はい・・いいですけど・・」
サエは、ビニール袋に入っている菓子パンを取り出して、それらを両手に取って、じっくりと熱心に、観察する。
その様子は、まるで空港の係員が手荷物検査をしているかのようだ。
たかが、食べ物にここまで神経質になるのは、明らかに異常だ。
サエは、何らかの強迫観念に囚われているのかもしれない。
もっとも、サエは、自分のことを別世界から来たなどと言っているのだから、今のようなオカシな行動を取るのもある意味当然なのだか・・・
サエは、気のすむまで、そのまま一つひとつのパンを顔に近づけて、その大きな目をさらに大きくして、念入りに調べていた。
真剣な様子のサエには悪いが、その仕草はどこか滑稽に・・いや可愛らしく見えてしまう。
やがて満足したのか、「うん・・これなら食べられそうです。」と、ひとり納得している。
「えと・・・ここで食べますか?それとも家・・」
言い終わる前に、サエは既に袋からパンを開けて、口元に運んでいた。
よっぽど勢いよくほおばったのか、両方のほっぺが膨らんでいた。
全部で4つのパンを買ってきたが、結局、キヨトは一つだけしか食べられなかった。
というのも、サエが3つのパンをあっという間に平らげてしまったからだ・・・
「ふう・・・やっぱり一日何も食べないとお腹が空きますね・・・」
サエは、ひとしきり食べて、まんぷくになったためか、満足そうにしている。
人のことを言えた義理ではないが、サエがろくな食生活をしていないのは、よくわかった。
いや・・そもそも、外に出るだけで、あんな調子なのに、よくこれまでひとりで暮らせてきたものだと感心してしまう。
「それにしても・・キヨトさん。この食べ物の選択は適切です。この世界の住民なのに、よくわかっていますね。」
サエは、また妙なことを言いだす。
からかわれているのではないかと疑ってしまうが、サエの様子からは、とても冗談を言っているようには見えない。
「あの・・こないだもそんなこと言ってましたけど・・食べ物に何かこだわりでもあるんですか?」
「こだわり・・という訳ではないですけど・・・あの・・キヨトさんも・・・その・・動物を・・食べたりするのですか?」
サエは一転して、こちらを伺うように警戒した表情を浮かべて、奇妙な質問を投げかけてくる。
「え・・動物・・肉のことですか?・・それは・・食べますけど・・」
「・・・そうですか・・・キヨトさんは・・・この世界の人間なんですもんね・・それなら・・仕方がない・・そう・・仕方がないんですよね・・・」
サエは、その答えに大きく落胆したようで、顔をガックリと下に向ける。
いやそれどころか、体をベンチの端に寄せて、こちらと距離を取ろうとさえしている。
「あ、あの・・・何か・・」
「い、いえ・・大丈夫です・・・この世界ではソレが一般的だとはわかっているのですが・・ただ、まだ慣れないだけです。」
サエは、顔をそむけてしまう。
女の気持ちはわからない・・と思っていたが、今ほどそれを実感したことはなかった。
サエの態度の急変ぶりに、キヨトは頭の中が混乱してしまう。
いったい・・何が地雷だったんだ・・・
つまり・・・サエは、ベジタリアンいやヴィーガンだったということか。
だけど・・・たかが肉を食べるからといって、ここまで拒否されるものなのか。
別にサエは、ツイッターでよく見られる行為・・・口汚くこちらを煽ったり、罵ったり・・はしてこない。
その方が、ある意味わかりやすかった。
キヨトが「肉を食べる」とわかってからの、サエの態度はそういう単純な軽蔑ではなく、もっと異質なものだった。
サエはあからさまにこちらのことを恐れていた。
「人の肉を食べています」と、言ったら、たぶんこんな反応をされるだろう・・・そんな態度だった。
実際、サエの体は小刻みに震えている。
夜とはいえ、もう7月だ。
寒くて震えている訳ではないだろう。
「あの・・・大丈・・」
さすがに心配になり、サエの方に近づくと、
「だ、大丈夫です!あの・・・大丈夫ですから・・」
と、サエは声を震わせながら、まるで汚物を避けるように、ベンチから勢いよく立ち上がり、後ずさりする。
そのサエの仕草は、キヨトの女にまつわる過去の嫌な記憶を刺激する。
こちらがただ良かれと思って些細な善意を示しただけなのに、相手は、過剰に反応して、容赦なくこちらの心を踏みにじってくる。
そう・・女とはそういう生き物なのだ。
サエだって・・・そう・・
いやイカれているのだから・・・なおさらそうなのだ。
ひとりで盛り上がって、いったい何を期待していたのか・・
わかっていたはずじゃないか。
裏切られると・・・
こんな美人な女でも、頭がオカシクて、引きこもりなら、なんとかなるとでも思っていたのか・・・
キヨトは、自分の惨めさにいたたまれなくなり、この場から、一刻も早く逃げ出したくなる。
現実の人と・・特に女と関わると、やっぱりろくなことにならない。
一人でいい。
金とネットがあれば、孤独でも十分過ぎるほど楽しめる。
こんな女にかまっている暇なんてありはしないんだ。
オンライン上で、金を稼ぐ手段を見つけられれば、永遠に引きこもっていられるんだ。
そのことだけに集中しろ・・・ちょっとかわいいだけのイカれた女なんかに時間を割いている場合じゃない。
キヨトの心は急速にいつもの状態〜全ての事柄に対して、冷笑し、期待しない〜に戻りつつあった。
さっさと、この場から、離れて家に帰ろう・・
キヨトが、足を動かしかけた時、
「す、すみません・・・・あの・・まだ・・慣れていないだけなんです・・その・・・嫌な気持ちにさせてしまいましたよね・・」
サエは、申し訳なそうな表情を浮かべている。
たぶん・・・サエは、大分無理をしている。
実際、両足はまだわずかに震えているように見える。
そんな無理をしてまで、こちらの心情を気にしてくれているサエを見ていると、自分のことばかり考えてアレコレと妄想していたことが酷く恥ずかしくなってしまった。
強迫観念なのか、何なのかはわからないが、サエにとっては、「肉を食べる」という行為はそれほど、忌むべきことなのだろう。
俺自身が嫌われたという訳ではない・・・のかもしれない。
「肉を食べる人」というカテゴライズされた人々がサエにとっては、恐怖し、嫌悪する対象なのかもしれない。
俺が・・・「美人な女」を恐れるように・・
「・・いえ・・それより、サエさん・・・大丈夫ですか・・・顔色が・・」
サエの顔はただでさえ色白なのに、今は、血の気が引いてしまい完全に青白くなってしまっている。
「え、ええ・・少し・・・すみません・・・ちょっと色々と考え込んでしまって・・・」
「あの・・離れていますから・・ここに座って・・・ゆっくりしていてください・・」
「だ、大丈夫です・・キヨトさんはここに・・いてください・・その・・少しわたしの話を聞いていてくれませんか・・その方が落ち着きますから・・」
サエは、そのまま、ベンチにもたれ掛かる。
そして、「ふう・・・」と大きな深呼吸をすると、サエは、ゆっくりと話し始める。
「あの・・・なんで・・あんなに動揺したのかと言うと、わたしがいた世界では、動物を食べるというのは、本当にありえない行為だったからです・・その・・・この世界のことはまだよくわからないから・・なかなかうまく説明できないんですが・・・
ええっと・・・そうだ・・・キヨトさんは、人と動物の違いって何だと思います?」
まるで思いもよらない問いかけに、キヨトは一瞬、頭の中が真っ白になる。
想定外過ぎた反応だったために、無難な答えを心の中で、計算する暇がなかった。
そのため、キヨトは、心の中で、浮かんだフレーズをそのまま声にしていた。
「え・・言葉とか・・・動物は・・話せない・・・それに・・・悩みもない・・」
そう・・そこらにいる鶏や豚、牛は今の俺みたいに、アレコレ悩んだりすることはないだろう。
「確かに・・動物は言葉を話せない。でも・・感情はあると思いませんか?この世界にも、ペットはいますよね?彼ら彼女たちが、嬉しがったり、怒ったりしているのは、誰もがわかるじゃないですか?」
話す内に体調が回復してきたのか、サエの言葉は徐々に流暢になり、こちらを責めるような口調になってきた。
「でも・・それはただの単純な反応じゃないですか・・人のような感情じゃない」
サエの調子に合わすように、だんだんとキヨトもムキになって反論をするようになる。
「でも・・例えば、そうじゃなかったら、どうしますか?牛も、豚も、鶏も、人と同じくらいの高度な感情があったら・・・いえ・・・意識があったら・・そんな動物たちを食べるなんて、酷く嫌な気持ちになりませんか?」
「それは・・でも・・・そんなの屁理屈というか・・常識と違うじゃないですか・・だって、みんな肉を食べているじゃないですか・・・一部の変な人たちは違うかもしれないけど・・」
つい本音を言ってしまったと、気づき、口をつぐむ。
サエの顔色を恐る恐る見る。
サエは、平静な態度だった。
ただ大きな丸い目でじっとこちらを見据えている。
初めて会った時と同じような表情・・一見すれば少女のような可愛い顔をしているのに、無表情ゆえに妙に大人びて見える・・・をしている。
そんな表情のサエに見られると、まるで自分の本質を見抜かれているようで、妙に心が落ち着かなくなる。
「・・そうですよね・・この世界ではそっちが常識なんですもんね・・・わたしは当たり前だと思っていたけど・・キヨトさんにとっては・・わたしの考えの方がオカシク思えるんですよね・・」
サエは、怒っているようには見えない。
ただ、何かに気づいたように、ひとり物思いに耽っている。
そして、突然、お辞儀をすると、
「ありがとうございます。おかげで大分気持ちの整理がつきました。まだ・・どうしようもなく違和感はあるし、慣れないけど・・とりあえず、なんとかなりそうです。」
「え・・は、はい・・」
サエの考えていることは相変わらずさっぱりわからない。
さっきみたいに感情をあらわにしたかと思えば、今のように急に冷静になったり・・・
キヨトが呆然としていると、
「食事もできて、お腹もいっぱいになりましたし、今日はもう帰ります。色々とありがとうございました。」
サエは、再びお辞儀をして、さっさと公園からひとりで出ていってしまう。
キヨトはその場にポカーンと立ち尽くしていた。
数分ほど、その場に何もせずいただろうか。
ぼんやりと、公園の入り口の方を向くと、サエの姿が見えた。
小走り気味に、何やら慌ててこちらに戻ってくる。
「あの・・す、すみません・・やっぱり・・・マンションの入り口までは一緒に来てもらってもいいですか・・」
サエは、恥ずかしそうにうつむきながら、そう言う。
本当に・・・予測がつかない・・
それなのに・・・予測がつかないから、不安なはずなのに、妙に心が踊っている。
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