第十九話 初めてひと目もはばからず必死になった日
トオリと一緒に最寄駅の近くまで移動した。
郊外とはいえ、駅周辺なら、喫茶店 が数件はある。
家の中で、トオリと二人でいたら、どうにも落ち着かなく、話しに集中できそうになかった。
だから、結局、キヨトは、「どこか・・カフェか何かで話しませんか?」とトオリに提案した。
幸いまだ七時を回ったところだから、チェーン系のカフェは、まだ開いている。
適当なカフェを見つけて、そこに入る。
トオリは、やはりサエが言っていたように、この世界に慣れているのだろうか。
サエとは違って、外で人や車にすれ違っても、特段怯えたり、変な挙動を見せることはなかった。
二人がけの席に、相対して座り、真正面からあらためて見ると、トオリはやはり美しい女にしか見えなかった。
頭ではトオリが男だってわかっているが、美人な女性と二人でいるように、緊張してしまう。
コーヒーカップを持ち上げて、口元に運び、ソーサーに戻す・・・そんな何気ない行為ですら、トオリの所作は女性のようにしなやかな動きをしている。
トオリは、キヨトの戸惑いがちの表情に気がついたのか、
「驚きました?僕の雰囲気こないだと大分変わりましたよね?」
「え・・いや・・・は、はい・・すみません・・・ジロジロ見てしまって・・」
「いえ・・・僕はどちらかというと基本的には女性でいる方が好きなんですよ。最初は、男性でいこうと思ったんですが、やっぱりどうも・・馴染みません。でも・・・この世界は、やっぱり色々と不便ですよね。性別も自由には変えられないですし・・」
トオリは、平然とした様子で、突拍子もないことを言い出す。
この問題に立ち入っても、また頭が痛くなるだけだ。
トオリの言ったことは、とりあえず、聞き流すことにした。
考えることは、サエの居場所だけだ。
「あの・・それで・・サエは・・」
「ああ・・そう・・・サエの居場所が知りたいんでしたよね。それにしても・・・キヨトさん。」
トオリは、神妙な顔をして、キヨトをじっと見つめる。
そして、一拍開け、
「あなたは、そんなにサエのことが好きなんですか?」
と、問いかけてきた。
「・・・そ、それは・・好き・・かどうかは・・その・・よくわかりません。ただ・・・話したいだけです・・」
トオリは、無言のまま、キヨトのことを数十秒じっと見ている。
「なるほど・・・凄いな・・やっぱりこの世界の人間の感情は・・・僕はあなたが羨ましい」
「え・・どういう意味ですか?」
「・・・人との関係を真剣に考えて、自然に感情が湧き上がる・・僕はずっとあなたのような人間になりたかった・・」
「あの・・・すいません・・言っていることが俺にはよくわからないです・・」
「そう・・でしょうね・・・この世界ではあなたのような人はごく普通です。だからこそ羨ましい。僕がこの世界に来た目的もまさにそこにある・・・」
「あの・・・それより・・・サエは・・サエは・・いったいどこに?」
「ああ・・すみません・・つい興奮して、話しがそれてしまいました。安心してください。サエは、この世界にまだいますよ。ただ・・・サエは、今、色々と・・その・・ありまして・・」
トオリはサエのことになると、言葉の滑りがわるくなり、話しを濁しはじめる。
「なにが・・・あったんですか!はっきり言ってください!」
「そうですね・・なんと言えばいいのか・・サエはこの世界を嫌になってしまった。はっきり言えば、元の世界に戻りたがっているんです。」
トオリの表情にははっきりと困惑の色が浮かんでいた。
「それは・・・どういう・・・そもそも・・あなたたちがいう別の世界っていったい何なんですか・・」
「それは・・トオリさん・・あなたには・・説明することはできません。・・・そもそも、理解できない・・いや、決して受け入れられないでしょうから・・」
「そんな・・どういうことですか!こんな話しじゃ全然わかりませんよ!」
キヨトは思わず、気色ばんで、立ち上がり、大声を上げていた。
駅前のチェーン店とはいえ、このあたりの夜の時間のカフェには、需要があまりないのか、客はまばらだ。
BGMの音が耳に響くくらいに、店内は静かだった。
そのため、キヨトの声はやけに目立ってしまい、客がチラチラとこちらを覗いてくる。
その目には、若干面白がっているような、興味本位な視線が混じっていた。
今のトオリは女性にしか見えないから、若いカップルの痴話喧嘩だと思っているのだろう。
だが、今のキヨトには、そんなまわりの視線はたいして気にならなかった。
そんなことよりも、トオリの口から、サエの居場所をなんとしても聞き出したかった。
「・・・・申し訳ありません。この話しは・・・できないんです。」
キヨトが、語気を荒げても、トオリは、顔色を変えずに、キッパリと断ってくる。
元いた世界に関する事柄については、教えてくれそうにない。
「ただ・・・サエのことは話せます。実は、彼女から、あなた宛に伝言を預かってきています。今日、僕が来たのもそれを直接伝えるためです。」
「サエが・・・・」
トオリは、ハンドバックから、一枚の折りたたまれた紙を取り出す。
それを開いて、キヨトに見せる。
そこには、数行の手書きの文字が書かれていた。
<あなたとの関係やあなたに対して抱いた感情はわたしにとって、とても、新鮮なものでした。
ただ、わたしには、この世界も、この感情も、良いものとして受け入れることはできなかった。>
意味がわからなかった。
サエが、いったい何を言いたいのか。
この文字を頭で理解した瞬間から、何度考えても。
ただ、それでも、その内容は、よくないこと・・つまり、サエには会えないのではないか・・という予感を想起させるには十分だった。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「これは・・いったいどう意味なんですか!」
トオリは、物哀しい顔を浮かべながら、一言つぶやく。
「サエも・・・結局その他大勢の人と同じだった・・・のかもしれません・・僕はそんなこと信じたくないですが・・・」
キヨトは、頭を抱えて、テーブルに突っ伏す。
感情が抑えられなかった。
怒り、悲しみ、絶望、混乱、頭の中は負の感情が巻き起こり、グチャグチャだった。
「・・・いったい・・何なんだ・・あんたたちは・・いつも・・わけのわからないことを言って・・・こっちの心をかき乱して」
そして、思わず、呪詛を吐いていた。
トオリに言ってもしようがない。
本当に、この憤りをぶつけたい相手はサエだ。
だが、今、この場にはトオリしかいない。
トオリはキヨトを、ただ無言で見つめていた。
その表情が、哀れみの色を帯びていたのなら、この感情を発散するために、大声で、トオリに喚いていたかもしれない。
だが、トオリの表情は、見慣れたものだった。
キヨトが、同級生の高校生に向ける眼差しと同じ種類のものだった。
憧れと嫉妬。
奇妙なことだが、トオリの美しい顔には、そうした感情が明白に表れていた。
「やはり、人はこうでなくては。キヨトさん。あなたのように、人と接して、こうした生き生きとした感情を持つのが、本来の自然な人間なんです。サエも、わかってくれればいいのですが・・・」
「・・・また・・それか。あんたは、いったい何が言いたいんだ!」
「・・その感情は当たり前のものではないということです。キヨトさん。きっと・・いえ必ず、あなたにも僕が言ったことを嫌でも思い出す時がきます。それを当然のものとして享受しているあなたたちが羨ましい・・・と同時に憎くもある。」
トオリは、そう言うと席を立った。
「ま、待ってくれ!お願いだから! サエに会わせてくれよ!」
キヨトはなりふりかまわずに、トオリを引き留めようとする。
だが、トオリは、振り返らずに、そのまま入り口の方へと歩いていく。
「ちょっと待って・・くれ!頼む!」
キヨトは足をもつれさせながら、必死にトオリの後を追いかけようとする。
だが、その様子・・・見すぼらしい風体の若い男が美しい女に大声を上げて、引き止めとしている姿が、まわりからは危険なものに映ったのだろう。
キヨトは、体躯が良い好青年風の男に肩を掴まれる。
「なあ・・その辺にしときなよ。」
その男はしたり顔をしていた。
自分が正義の側についていると信じてやまない・・・そんな顔だった。
キヨトは小柄の痩せっぽちな体で、お世辞にも力があるようには見えない。
自分よりはるかに下の相手だからこそ、こんなふうに正義ヅラをして、気持ちよく、介入できるのだ。
その男の全てが、キヨトの勘に触った。
学校にいる、勉強、友達関係、先生との関係、全てをうまくこなす、誰が見ても良いやつ。
キヨトのようなカーストの最下位に位置する者にも表面上は、別け隔てなく接してくれる良いやつ。
でも、肝心なところでは容赦なく侮蔑し、切り捨てるやつら。
そんな、自分がまわりからどう見られているか常に計算しているやつら。
この男は、そんな種類の人間たちに見えた。
そう・・キヨトが一番嫌いな連中だ。
この世の中がマトモで三文ドラマのハッピーエンドに満ちていると心の底から信じてやまない連中。
薄っぺらい善意に満ちた連中。
サエの件で、キヨトの頭は既に大分デキあがっていた。
だから、何かにこの鬱積した感情をぶつけてやりたくてたまらなかった。
キヨトはいたって自然に、この好青年に殴りかかっていた。
その瞬間、好青年の作り物のような柔和な笑顔はいたって人間らしいものになっていた。
つまり、驚きと怒りに満ち溢れた鬼気迫る顔をしていた。
その歪んだ顔を見た時、愉悦がこみ上げてきた。
キヨトの拳は、不意をつかれた青年の顔に命中する。
だが、所詮は素人の腰が入っていないパンチだ。
驚き以外に、物理的にはたいしてダメージはなかったらしい。
青年は、「この・・イカれ野郎!」と、キヨトの両肩を乱暴に掴んで、揺さぶり、地面に体ごと転がそうとする。
キヨトは、懸命に抵抗するが、なにせ体格差がかなりある。
すぐに、地面に引き倒されて、蹴りを入れられる。
頭に、腹に、男は手当たり次第に、蹴りを入れてくる。
従順なペットに突如として、噛まれて、激情した飼い主のように、男の怒りは止まない。
体全体に、鈍い痛みがする。
亀のように、うずくまり、耐えることしかできなかった。
随分と長く感じられたが、おそらく実際には、一分も満たない時間だったはずだ。
さすがにこの異常な事態に、事なかれ主義のパート店員も無視を決め込む訳にはいかなかったようだ。
「ちょ、ちょっと!何やってるんですか!」
学生らしい若い男の店員がなおも暴行を続けている青年に向って、金切り声を上げる。
続いて、責任者らしい壮年の男が騒ぎに気づいて奥から飛び出してくる。
その二人が、青年の体を掴んで、キヨトから引き剥がす。
体の衝撃がおさまり、キヨトは酷く痛む体にムチを入れて、なんとか立ち上がる。
青年はなおも興奮しているのか、体を抑えている店員二人になにやら喚いていた。
そこから少し離れたところでは、もう一人の店員が、スマホでどこかに電話をしている。
その様子を見る限り、警察に通報しているようだった。
ここまでの騒ぎになってしまった以上、警察の介入は避けられそうにない。
キヨトはこれ以上、大げさなことになる前に、その場から立ち去りたかった。
なにより、トオリを追いたかった。
店員がこちらに目を向けたようだが、いきり立っている青年の対処でキヨトに構っている余裕はないようだ。
ヨロヨロと店を出て、あたりを見回す。
トオリの姿は既にどこにもなかった。
「クソ!どこ行ったんだよ!」
キヨトは、ひと目をはばからず、大声を上げてきた。
そして、トオリがもはやいないことを知り、心の中に諦めと絶望の感情が強まってきた。
それは、キヨトの張り詰めていた緊張の糸を断ち切るのに、十分な効果があった。
体のあちこち、特に無防備に蹴られた腹のあたりが耐えられないほど、痛み出す。
立って息をしているのも、辛い有様だった。
キヨトは、店の入り口の扉にもたれかかり、その場に座り込む。
「お、おい・・だい・・」
誰かが、キヨトに駆け寄ってくる気配を感じた。
だが、それを最後にキヨトの意識は完全になくなった。
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