第六話 誰かに話しを聞いてもらえるという幸せ

 さっきと同じようにまた話を合わせるべきだろうか。

 いや・・・こんなにも話がまるで噛み合わないのだ。

 朝まで一緒にいたら早晩ボロが出てしまう。


 それより、正直に話した方がマシなんじゃないか。

 女はイカれているにしても、精神は安定しているように見える。突然、奇声を上げたり、暴れまわるとは思えない。


 だったら、仲間だと嘘をついて、バレるより、あなたの仲間ではない・・・イカれていない・・・と伝えて、家から出ていってもらった方がいいだろう。

 キヨトは、一拍おいて、わざとらしく咳払いをする。


 そして、覚悟を決めて、

「あの・・・その・・・自分はサエさんのいう仲間ではないです。別の・・世界から来たわけじゃないですし・・」


 と、努めて冷静な口調で話す。

 女の方を見ると、大きな丸い目を見開いて、唖然としている。

 そして、今まで落ち着いていた表情が一変して、やや興奮気味に、


「そんな・・・だって・・・あの人は言ってたんです。転移者は、この野蛮な世界に馴染めないから、家に閉じこもっているって・・それに・・精神を病んでしまう人も多いって・・それに・・それに・・・あなたはいつも公園で、パンしか食べてなかったじゃないですか!」


 と、まくし立ててくる。

 女は叫んでいる訳ではないが、キヨトにはやけに大きな声に聞こえた。

 夜は車さえ滅多に通らない住宅街にあるマンションでは、この程度の声でも十分に騒音になってしまう。


 キヨトは、隣の住民が、今の声を聞いて不審に思わないだろうかと、ヒヤヒヤしてしまう。


「お、落ち着いてください。別に・・騙す気はなかったんです・・その・・なので・・サエさんがここにいてもしかたがないんですよ・・・」


 もう・・・いいだろう。

 頭のイカれた女の相手をするのもここまでだ。

 さっさと妄想の世界にでも帰ってくれ。

 ただでさえ、俺の人生は今トラブルだらけなんだ。


 これ以上、厄介事を持ち込まないでくれ。

 だいだいパンってなんだよ。

 なんで、公園でパンを食べていただけで、こんなことに巻き込まれないといけないだ・・・


 予想がつかない女の行動に気を使い、ずっとビクビクしていたためか、キヨトの気力はすっかり消耗していた。

 精神的に疲労すると、目先のことしか考えられなくなる。

 はっきりいって、後のことはもうどうにでもなれという心境になっていた。


 このイカれた女がとりあえず、今おとなしく出ていってくれるなら、もう何でもいい。

 キヨトは思いつくままに女が喜びそうなことを話す。


「その・・・仲間ではなくても、サエさんの力になれるかもしれませんよ。えっと・・サエさんが元の世界に帰れる手伝いをします。それに・・・家にいるのが嫌だったら、いつでも・・・夜でも・・この家に来てもいいですから・・・」


 キヨトの提案を聞いた女は落ち着きを取り戻したのか、再び冷静な表情を浮かべる。

 そして、ソファーに座り、何やら思索をしている。


 言っていることは支離滅裂だが、この女は基本的には感情を表に出すタイプの人間ではないらしい。

 キヨトが仲間でないと知った時以外は、終始表情も口調も淡々としている。


「・・・あなたの話しを聞かずに、勝手に仲間だと誤解したのはこちらの落ち度です。そのことについては謝罪します。それに・・あなたが協力してくれるというのは、わたしにとっては魅力的な話しです。こちらの世界では、わたしの味方は現状一人しかいませんし・・・でも・・・」


 女は、立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 そして、目の前に来ると、


「あなたは、本当にわたしの言っていることを信じているのですか?」


 と、大きな目で、こちらの目を覗き込んでくる。


 女の顔は、キヨトの目の前・・鼻先がくっつくのではないかという距離にある。

 165センチほどしかない小柄なキヨトと女の背丈はほとんど一緒だ。

 だから、この状態になると、まさに目と目が合い、わずかな動きも・・・そして、心の中も見透かされているように感じてしまう。


 それに何よりも、どうしようもなく緊張してしまう。

 こんなに近くまで女と接近したのはキヨトの人生ではじめての経験だった。


「その・・す、全てを信じている訳じゃないです・・ただ・・・サエさんが孤独で困っているのはわかります。自分もずっと一人で・・孤独で・・両親も嫌いですし・・家にいたくなかったですから・・」


 自分が話した言葉が、信じられなかった。

 こんなことを・・・誰にも言ったことがない情けない本音を、見知らぬ女、それもどう考えてもイカれている女に吐露してしまうなんて・・


 女は、なおも無言でこちらの目を数秒じっと見る。

 そして、顔を離すと、


「・・・わかりました。協力してくれて、感謝します。」


 と、深々とお辞儀をする。

 キヨトは、「えっ・・あ・・」と、あっけに取られながら、その場で、呆然としてしまう。

 いつの間にか背中は汗だくになっていた。


「ああ・・そうそう・・呼ぶ時に、名字だと、どうしても違和感があります。あなたの名前は何というのですか?」


「え・・あ・・キヨトです。」


「では、キヨトさん。よろしくお願いします。」


 女はそう言うと、キヨトの横をするりと通り抜ける。

「えっ・・」と、キヨトが呆然としていると、女はそのまま玄関の方へと向う。

 そして、「明日からよろしくお願いします・・」と言い、扉を開けて、そのまま外へと去っていった。


 キヨトは、そのまま数分ほど、一人呆然としながら、その場に突っ立っていた。

 

 まさか・・こんなにあっけなく出ていってくれるとは・・・さっきまであんなに家に帰るのを嫌がっていたのは何だったんだ・・・

 いや・・それより・・

 

 我に変えると、急いで玄関に向かい、わずかに扉を開けて、左右の廊下を見る。

 女の姿も・・・人影もない。

 そのまま扉を閉めて、鍵をかけて、さらにチェーンをかける。


 今まで、防犯などということを意識したことはまるでなかったが、明日からは絶対に鍵をかけようと心に誓っていた。

 そして、その場で、思わず、安堵のため息を漏らす。

 あとは、女がこの部屋から出ていった姿を住民に見られていないのを祈るばかりだ。


 いったいあの女は何だったのだ・・・

 いやイカれている女の目的など考えてもしかたがないか・・・

 鍵さえかけていれば、あの女が再び夜、ここにやってきても問題はない。


 それに・・・あんな妄想症状が出ている女だ。

 記憶の方も、だいぶあやふやになっているんじゃないのか。


 自室に戻り、ベッドに寝転ぶ。

 あの奇妙な女に振り回されて、ひどく疲れた。

 だが、それもなんとかなった。


 けど・・・何故・・俺は・・あの女にあんなことを・・・

 

 誰にでもいいから本音を吐露して、自分の話しを聞いてもらいたかったのかもしれない。

 認めたくはないが、あの時・・女に自分の心情を話した時・・妙に気分が晴れ晴れとした。


 そして、その余韻は今も残っている。

 ふと、外を見る。

 窓から見える景色は除々に明るくなりはじめていた。

 朝が近づきつつある。


 そして、それは、キヨトにとっては眠るにつく合図でもある。

 いつもは、暗鬱とした気分で、朦朧とした意識の中、なかば無理やり眠っていた。 

 だが、今日は不思議と自然に・・眠ることができそうだった。


 疲れによるものなのか・・・それとも、あの女のおかげなのか・・・

 キヨトは、そのまま久しぶりの穏やかな眠りへ落ちていく。


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