第十四話 都合の良い妄想の終わり

 翌日、サエと会った時は、拍子抜けしてしまった。

 なにせ、サエの態度はいつもと何ら変わらなかったのだから。

 

 恋人同士になったのだから、敬語は止めるべきか・・

 さん付けは止めて、名前で呼ぶべきか・・


 そんな風に色々と独りで気を揉んでいたのが馬鹿みたいに、サエは普通にしている。

 思わず、昨日のことは、自分の聞き間違いなのではないかと、不安になってしまう。


 僕らは恋人同士になったんですよね?


 そう聞きたいぐらいだった。

 サエは、窓の近くの床に座り、外を見つめている。

 キヨトはというと・・いつものように数日分のサエの服を洗濯している。


 サエは、脱ぎ散らかしている自分の下着をキヨトに見られた時でさえ、前と変わらず、無反応だった。

 サエのいつもと変わらない冷静な態度が、キヨトの心をざわつかせる。


 恋人になったんじゃないのか・・それなのに、何だよ。この態度は・・

 サエは俺のことを馬鹿にしているのじゃないのか・・

 昨日のことも単にからかわれただけじゃ・・


 そういう被害妄想が頭の中で膨らんでしまう。

 昨日あれだけ高揚したからこそ、その落差が余計に大きく思えてしまう。

 何か会話をしなければと思い、サエに声をかけようと思った時、ガチャ・・と物音がした。


 音は、入り口の方から聞こえる。

 部屋を出て、物音がした玄関の方へと顔を向けると・・

 見知らぬ人間が目の前にいた・・


 あまりにも想定外のことで、体が硬直したまま何も反応できなかった。

 相手も、同じくらい驚いたらしく、こちらを見て、呆然としている。

 対峙したまま、お互いに硬直したままでいると、いつの間にか、後ろから、サエが近寄ってきていて、


 「トオリ!」と、目の前の人間の方へと駆け寄る。

 「サエ!」と、その男もそれに答える。


 サエは、今まで見たことがないくらい、嬉しそうな表情を浮かべて、男と話している。


 「わたし・・・ずっと心配していたんですよ・・・こんなに長い間帰ってこないことなんて、なかったから・・」

 「ごめん。少し・・・色々あって・・その・・ところで・・」


 男は、警戒心を露わにした顔つきで、こちらを見る。


 「ああ・・あの・・この人はキヨトさんです。トオリがいない間、色々とサポートをしてくれたんです。」

 「そう・・か・・それで・・彼は・・」


 「その・・・キヨトさんは、この世界の人間です・・・でも、私を助けてくれました・・・」

 「それは・・・また・・珍しい・・」


 男は、先ほどまでの表情を引っ込めて、興味深そうな目でこちらを伺う。

 そして、こちらの方に歩みよると、

 「サエを助けてくれて、ありがとうございます。おかげで、助かりました。彼女は・・独りでは何もできませんから。」

  とニッコリと笑顔を浮かべる。


 「い、いえ・・そんな・・・」

 キヨトは、男の顔を真正面から見ることが出来なかった。

 なぜなら、男の外見が、恐ろしいほどに美形だったからだ。

 いわゆる男らしい顔ではなく、非常に女性的だ。


 背丈は小柄なキヨトより大分高いが、筋肉質ではなく、滑らかで、細長い。

 だから、はっきり言って、声を聞くまで、キヨトは、目の前の男が女だと思ったくらいだ。

 でも、相手は男だった。


 そして、こうして、目の前で、そんな造形が整った顔で笑顔を向けられると、猛烈に劣等感が刺激されてしまう。

 よりにもよって、サエが言っていた「あの人」が、こんなイケメンだとは・・・


 年齢は、自分より少し上くらいだろうか・・・どちらにせよ、この男と自分、どちらのスペックの方が高いかは火を見るより明らかだ。

 しかも・・・先ほどまでのやりとりを見るに、サエとこの男は、かなり親密な間柄のように思える。


 「トオリ・・・またそんなこと言って・・・私だって、この数週間で、大分独りで色々とできるようになったんですよ。」

 

 サエは、心外だとばかりに、トオリに文句を言う。

 サエのその態度は、いつもと違って、だいぶ砕けたものだった。

 それが、サエとトオリの関係の深さを物語っているようで、何とも嫌な気持ちになってしまう。


 「だと・・いいんだけどね。」

 

 トオリはやれやれとかぶりをふっている。


 「さてと・・キヨトさん。申し訳ないんですけど、ちょっとサエと話さなければいけないことがあるんです・・・なので・・今日は・・・」

 「え・・えっと・・それは・・あの・・・」

 「何かまだ用事でもあるんですか?」

 「いや・・そ、それは・・・あの・・洗濯・・・」

 「洗濯?ああ!!サエのやつ・・・あなたに洗濯までやらせていたんですか?まったく・・何が独りできるようになっただ・・全然できてないじゃないか・・」


 トオリは、これみよがしに大きくため息をつくと、深々とお辞儀をする。


 「色々と迷惑をかけて、申し訳ありませんでした。これからは、僕も帰ってきたので、もうお手数はかけないので・・」

 「い、いえ・・・」


 思わず、すがるようにサエの方を見る。

 しかし、サエも、

 「ごめんなさい。トオリが帰ってきたから、今日は色々と話し合わないといけないんです。だから、また・・」

 と、あっさりとトオリの意見に賛同している。


 これでは、もうこれ以上、この場に留まることはできない。


 キヨトは、仲良く話している2人を横目に、トボトボとサエの家を後にする。

 自分の部屋へと戻り、キヨトは先ほどの男のことを否が応にも思い出してしまう。


 イケメンで、サエとの関係も自分より長い。

 それに・・・トオリは、サエと同じ世界の人間で、仲間らしい・・


 慣れ親しんできたいつものどんよりとした暗い気分が心を覆う。

 キヨトが昨日の夜に抱いていた自信は早くも大きな亀裂が入っていた。


 心配ない・・・俺は、サエの彼氏なんだ。

 サエは認めてくれたんだ・・


 あのトオリという男は、単なる仲の良い友達に過ぎないんだ。

 そう自分に言い聞かせても、気分は一向によくならない。


 スマホを見ると、いつの間にか時刻は10時過ぎになっていた。

 サエの家から帰ってきてから、既に二時間ほど経っていたらしい。


 こんなことをいつまでも考えていても仕方がない。

 このまま家に独りでいても、この拭うことのできない後ろ向きな感情に囚われて、ますますネガティブなことを考えてしまう。


 気分を変える必要がある。

 外へ・・・いつもの公園へ行こう。


 夜の空気を吸って、あの静寂な空間に身を置けば、少しはこの気分も晴れるだろう。

 キヨトは、フラフラと立ち上がり、玄関へと足を向ける。


 近所のスーパーは閉店間近でほとんど客はいなかった。

 何を食べようかと、スカスカの陳列棚をなんとなく見ていると、視界の端に見知った顔が飛び込んできた。


 サエとトオリがいた。

 ほとんど反射的に、回れ右をして、彼らの視界に入らない場所までそそくさと退散する。


 二人とも、こちらを見ていないから、おそらく気付かれてはいないだろう。

 

 だが・・・なぜ・・俺はこんな・・隠れるようなことを・・・

 ・・・嫌だからだ。

 2人が連れ立って、歩いているところを見たくない・・・


 そんな姿を見せられたら、先ほどから考えていた嫌な妄想が現実になってしまいそうで・・・


 結局、何も買わずに、スーパーを後にする。

 だが、そのまま家に帰ることはできなかった。

 どうしても、2人のことが気になってしまう・・・


 今は夜だし、ある程度の距離があれば、後ろをつけていても、気付かれることはないだろう。

 キヨトは、スーパーの入り口から離れたところで、待機する。

 

 見たくないはずなのに、一方で、確認せずにはいられない衝動に駆られてしまう。

 十分ほど、待っただろうか。

 二人がスーパーから出てきた。

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