第17話

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「まずここで発生した火災事件ですがね。正確には昭和64年1月3日、正月の松も明けきらぬ時でした。まぁ平成と昭和が重なったときですね。その時、田名さんはいくつでした?」

「確か…中学生だった筈だから、十五、六ぐらいだろうか…」

「本当にもう近い時代なのに遠い過去の時代のように感じますね。僕はまだ生まれちゃいない。まだ言葉は悪いですが親父の金玉のなかでさぁ」

 はっはっはっと笑い、アフロヘアをもじゃもじゃと掻きなぐる。

「さて、ちょっと下品ないいかたでしたが、本題の続きです。その火災ですが実はですねぇ田中さん、ここって元々長屋が二棟並んでいて、こちら側はL字の長屋でも通りでもなかったみたいですよ」

「本当かい?」

「ええ、僕はね翌木曜日に図書館で働きながらこっそり過去の新聞図書を見ていたんです。勿論、その火事についてですよ。すると、その火災の記事がちゃんと残っていましてね…」

 言ってから彼がほらといってスマホを見せる。

「こいつがその当時の記事です」

 僕が覗き込むと新聞を映した写真があった。

「内容を読むとですねぇ…えっと、――昭和64年1月3日(火)早朝の火災は、並列した私道土間道を挟んだ二棟並びの建ての長屋の内、片側一棟を全焼させ、その火災による飛び火で片側の一棟の端にある長屋一軒を被災させる、とあります。おっとそこでですね…、こう書かれています。警察と消防が火事現場の検証を行ったところ、白井邦夫(無職、47歳)の焼死体を発見とあるんです。つまり白井邦夫はこの長屋、今では庭になっているところにあった長屋に住んでいたということですね…。それで長屋にはこの白井邦夫以外は住んでいなくて、えっとこう書いてあります。――元々、全焼した長屋は坂上の大宗派の寺門の所有であるが古く改装予定だった為、住人は故人だけだった、と」

 僕は彼の話を静かに傾聴している。この長屋で火災があったことはここに入居する時不動産会社から聞いていた。しかし、そこまで詳しい内容は知らなかった。

「そうか…、じゃぁこの長屋は元々L字型の通りじゃなくて、二棟の長屋が並列していたんだ」 

「ですね、それはね…、僕ねぇ、木曜日の仕事が終わってこの坂上の寺に急いで行って、確認したきたんです」

「えっ?そこまでしたの。君??」

「はい」

 彼が鼻下を指で撫でる。

「それで寺の人に聞くとですよ…、この火事でかなり迷惑をかけたみたいでね、その頃はまだお寺の信者さんやお手伝いさんが長屋には住んでいたそうです。だからそこで発生した火事でしょう、もう寺の方総出でめいめい方々に頭を下げて回ったそうです。でも一番幸いだったのは周辺に飛び火して迷惑を掛けなかったことだって言ってました」

 そこで彼がちびりとビールを飲む。

「それから以後ですが…、全焼した長屋は庭と花壇にして、それから被災して半焼した一軒はつぶして隣に新築を立て、あっそうそう…、そう当時の長屋に住んでいた誰かの提案で水かけ地蔵をそこに運び、以後火災が発生しないように願をかけて簡易の祠を立てたそうなんです。それでL字型になってそれが現代に至って僕らが今その場所に居座り、こうしてイカのあたりめをつまみに酒を飲んでるって始末です」

 僕は彼が話し終えるのを待って、息を吐いた。集中して聞いていたため、緊張をしていた。吐き終えて僕は「そうか…」と言って、格子窓から外を見た。月が幾分か雲に隠れている。

「成程、ロダン君。人の棲むところ歴史ありだねぇ」

 僕は雲隠れする月を見ながら呟いた。

「ですね。それでこれを頂きました」

 その声に振り返ると彼がどこから出したのかA4サイズの紙を持っている。それがひらひらと揺れ動いていた。

 眉間を寄せるようにそれをじっと見る。

「なんだい、そりゃ…??」

 揺れる紙の動きが止る。

「こいつですね。じつは当時の長屋の借入人名簿なんですよ」

「名簿?」

 僕は驚いて彼の方へ寄る。

 彼はそれを先程の小さな四つ折りの紙片の横に並べると、指を指す。

 それは長屋の見取り図になっていてそこに人物の名前が書かれている。恐らくそれが賃借人だと思った。

「さぁ田中さん、こいつを見てみましょうや。さて初めに全焼した方の長屋ですが…」

 ごくりと唾を飲む。

「はっはっ、そう、緊張されなくても。さて…、うん、ありますね。ここに『白井邦夫』、えっと確かに他の部屋には誰も居ないですねぇ。さて反対ですが…」

 彼の指が反対の長屋に向かって動いて行く。

「どうやら、五軒のようですね、白井邦夫の長屋の向かいからですが『佐伯百合』…、『田畑健司』『蓮池純也』『木下純一』『藤堂光男』…、と書かれています」

 名前を呼びながら指が順に人名を指してゆく。

「この人たちが当時の住人なんだ」

 彼が頷く。

「この人たちは今も生きているのだろうか?」

 僕は呟く。恐らく生きては居まい。そう思った。

「実はですね。生きているですよ」

「えっ!!」

 僕は顔を上げて彼を見る。見上げると彼の指が指している。

「ほら、ここに『蓮池純也』ってあるでしょう?実はですね彼、この坂上の寺の現住職、法主さんらしくてね」

「本当かい?」

「本当も本当、あの火災の事をよく覚えていましたよ。まぁ元々寺の見習いで来ていたのに、あの火災以後、日々精進して寺の本部、本山に認められて今は大出世ってやつです」

 彼が言いながらアフロヘアを撫でる。

「それで、まぁその当時の事を知っているもんだから長々と話されるんですよ。僕は仕事帰りで疲れているのに…困りました…本当に」

 アフロヘアが揺れている。しかしそれが

 不意に止まった。

「ですが、おかげで考えなければならない次の『答え』に簡単にたどり着きました」

「考えなければならない次の『答え』…?」

「ええそうです」

「そいつは…、何だい」

 アフロヘアから手を放して、彼は『三四郎』を手に取る。

「ええ、X氏の指し示す『女』つまり、それは『不倫相手』で『内縁の妻』であり、『蠱惑的な妻』で『守銭奴』である『女』の事です」

「あっ…そうか、そうだね。白井邦夫がX氏の妻の不倫相手であれば『女』が居るわけだよね…」

「そうです。それを探さなければならない」

 ロダンが呟いて、指を指す。

「それがここにいる『佐伯百合』なんです」

 彼の指先がその人物の名前に触れた。その時、雲に隠れていた月が顔を出したのか部屋に月明かりが格子窓から差し込んできた。

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