第2話

(2)



 かっぱ横丁というのが梅田にあって、そこに古書街がある。

 僕は週末になると古書を漁るためにここを手始めに天神橋へと下り、やがて日本橋へと足を運び、それから自分の棲み処へ帰るのが休みのルーティンになっている。

 たまに汗をかきすぎれば先に銭湯に行くか、また喉が渇きすぎれば酒屋が営んでいる立ち飲み屋で酒を軽く飲む以外はほぼ大きく変わることは無い。そう、それは梅雨の明けた七月のはじめ、僕はいつものようにかっぱ横丁の古書A店に入り、そのルーティンで棲み処へと帰って来た。

 背にリュックを背負い、その中には買い漁った古書がある。

 その中にかっぱ横丁のA店で買った夏目漱石の「三四郎」があった。僕は学生の頃、国語の授業で漱石の本作には触れたことが有ったが、一度もちゃんと読んだことが無かったので、最初に訪れたかっぱ横丁の古書A店で見つけた『三四郎』をそのまま中身を開くことなく手に取った。

 何となくだが入店したA店の壁に『三四郎』入荷したという張り紙があったからかもしれないのだが、潜在的意識の何かが僕に本を手に取らせたのかもしれないと思った。

 そんなことは特段それが何なのか詮索するほどの事でもない、まぁ気にすることでもない。

 そんな「三四郎」を夕暮れ時に横になりながら開いた時である。

(おや…?)

「三四郎」背表紙は印字された出版社名が消えているほど古い物であり、現在流通している出版社の文庫本ではない。本はカバー付きで本表紙は固い紙でできている。今でいう当時のハード本といっていいだろう。

 僕の本選びの選り好みはどちらかというとこうした古い時代の諸本選びが好きで、正直、本の内容の文学的な趣などの良し悪しは全く別だった。

 それは何というか、

 本の装丁というのか、

 その時代の空気を十分に含んだ本の有りようというか、そう言った佇まいが実は本の中身よりも、僕にとっては大事な「好き」なのである。

 だから僕は張り紙の事は置いといたとしても、この「「三四郎」を見た時、直感的に「好き」で手に取って中身を確認することなく小銭を払って持ち帰ったのである。

 だからブックカバーから本を取り出して中を開いた時、本が意外と重いことにはじめて気が付いた。

 大体、本の重さで手首に重さを感じることなど殆どないのだが、この本はそれを感じるのである。なんだろう、おまけ付きの本と言うのだろうか…。

 僕は不思議な思いを感じたまま、本を数ページ捲った。すると中ほどのページが切り取られ、そこに丁度本とは別に寸分の狂いもなく同じように紙が差し込まれ、文字タイプで書かれているのを見つけた。

(何だこれは…)

 思わずそれを目に止めた僕は速読する。読めばそれは誰かが小説とは全く別の意思で書き留めた言葉なのが分かった。それが数ページ続いている。


 ――しかし、その内容は


(果たしてこれは一体何ぞ?)


 驚きを覚えながら、僕は眼を細めてページを捲って行く。

 すると裏表紙に触れた手が何かに当たる。


(何だ…これは?)


 僕は裏表紙を捲る。すると裏表紙に別の紙が貼ってあり四角い跡が見えた。

 僕はそれを爪で丁寧に捲ると、そこが切り抜かれてカードが差し込まれていた。

 驚いた。

 そのカードは銀行カードである。しかしも今現在も営業している都市銀行のM社のカードであった。

 僕は時代も異なる古書からこうした工夫がされて現代の銀行のカードが差し込まれていたことに非常に驚き、また小説の先程の中ほどの所に書かれたものを読み終えるや、非常に泥土の中で落とした指輪を探すような頭をひねらなければならないような困惑にぶつかったことに気づかされたのである。

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