第27話 がるがる
バチバチと火花が飛び散っているかのような張り詰めた空気に僕は息を飲んで成り行きを見守っていた。そして、30分ほど前の何の考えもない発言を海より深く後悔している。この雰囲気の中、僕が口を挟むわけにはいかないので、目の前の皿に置いてあったアップルパイを口に運んだ。
サクリとした触感に続いて、リンゴの香りが広がる。甘酸っぱい味と丁度良い硬さのリンゴの煮加減。ちょっと忍ばせておいたマスカルポーネ入りのカスタードクリームとの相性もいいと思う。その余韻の残る中、カップを取り上げて一口飲んだミルク入りのアッサムティの味も悪くない。
一般的に見れば魅力的な女性二人と美味しいお菓子でお茶をする。それだけ聞けば傍目には羨ましい限りの光景なのだろう。まあ、その両人がお互いの喉首に食らいつかんという勢いでにらみ合っていなければの話だ。その女性というのはもちろん、紫苑さんとみゆうさん。
僕はどうしようかと迷ったものの、その言葉を口にする。
「ええと。紅茶冷めますよ」
その途端に凶悪な視線がお互いから外れて僕の方に向く。どうやら、この発言は失敗だったらしい。
「あ、アップルパイも召し上がってください。結構自信作なんです」
もうこうなったら空気を読めない男を演じ切るほかはない。僕は無邪気な笑顔を装った。
「走りの紅玉が出ていたの煮てみました」
見たものを石に変えるゴーゴンばりの目で僕を見ていた4つの目がついと外されて、それぞれの前に置かれているお菓子に向かった。すばやく二人の間に視線が交わされる。僕はほっと息を漏らしそうになるのをぐっとこらえた。どうやら一時的な休戦協定に至ったらしい。
二人はフォークでアップルパイをぐさりと突き刺す。まるで僕に刺されたようにひゅっとなった。そのまま口に運ぶとがぶりと噛みつく。みゆうさんはともかく、紫苑さんが割とワイルドに頬張る姿は意外だったが、別に不快ではなかった。何もお見合いの席というわけじゃない。気取らずに食べてもらった方がアップルパイも本望だろう。
ミルフィーユほどではないにしても、アップルパイはお上品に食べるのが難しいお菓子だ。パイ生地はフォークで切るには硬いし、中の煮リンゴはスルリと逃げてしまう。フォークでつつきまわそうものなら、ぐちゃぐちゃの雪解けの地面のような美しくないものが皿の上にべちゃっと広がるのが落ちだ。
二人の喉がコクリと動く。
「美味しい」
「これやばい」
異口同音に出た賛辞に僕の顔はほころんだ。
僕のオリジナルレシピではないのが残念なところだが、褒められて悪い気はしない。所用で東京に行ったときにホテルで売っていたアップルパイを食べて感動し、僕の舌を頼りに再現した品だった。兄弟までとは言えないにしても従弟ぐらいの近さにはあると思う。
ミルクティを飲んで二人の顔の棘が消えたところを見計らって、僕は聞きたかった質問をする。また、みゆうさんが話を始めたら今日のナゼなにコーナーが終わってしまう心配があった。
「えーと。今日は、あの異空間に変な男性が現れました」
表面上は紫苑さんの様子は変わらない。出来の悪い弟子を見るような視線で僕に一瞥をくれる。
「僕に仲間にならないかと誘いをかけてきました。相手は紫苑さんのことを御存じのようでしたけど」
「モノクルをした紳士というには険のある男性でしょ」
紫苑さんはあっさりと言った。
「あ、やっぱり知り合いなんだ。何者なんですか?」
「あなたは黙ってて」
ぴしゃりとみゆうさんの差し出口を封じると紫苑さんは僕の方に向き直る。
「それで、新巻さんは何と返事をしたの?」
「急には何ともいえなくて」
「そうでしょうね。でなければ、今、こうしてお茶をしていられないもの」
「どういうことですか?」
「どうもこうも、了承したら、あなたはあの男の手下になってここには戻れなかったということよ」
「え? そんなことは言ってませんでしたが」
「そりゃそうでしょ。新巻さんに全てを正直に話す男じゃないわ」
「それで、紫苑さんとはどういう関係なのでしょうか?」
「敵よ」
「えーと。それは説鬼を操っている黒幕ということでしょうか?」
紫苑さんは弾けるように笑い始める。
「そんなに変なことを言いました?」
「いえ。新巻さんにはそう見えるのね」
僕はちょっとむっとする。
「だって、紫苑さんは詳しいことを僕に教えてくれないじゃないですか」
「ごめんなさい」
しおらしく謝ってはみせるが、話をずらしてはぐらかした。
「あの男。私のことを悪しざまに言ってたでしょ」
僕は黙っていたが、横でみゆうさんはうんうんと頷いている。
「新巻さん。すべてをお話しできないのは悪いと思っています。ただ、今はその時ではありません。あの男、黒の男爵は私の敵ですが、説鬼を操っているわけではありません。このことだけはお伝えしておきます」
「三つ巴ということですか?」
「まあ、そういうことになりますね。しかし、思ったよりも新巻さんに目をつけるのが早いですわね」
そう言って紫苑さんは考え事を始めるのだった。
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