第10話 責任の押し付け
え? まさか、この不思議な雰囲気だけど、お淑やかそうな紫苑さんが諸悪の根源だったの? それじゃあ、あの日僕が無視をすればこんな目に会わずに済んでいたという事なのか? でも、紫苑さんはそんなに悪い人には見えないし。僕は上目遣いで紫苑さんの顔を見る。
「ひどいじゃないですか」
口にしたのはそんな恨み節。
「そうですね。いきなり巻き込んだことはお詫びします。でも、それをお預けするのは新巻さまが相応しいのです」
「それはどういうことですか?」
「最初からお話しますね」
紫苑さんによるとこういうことだった。あの説鬼と呼ばれる怪物は未完に終わった作品の登場人物たちの怨念が形をとったものらしい。そして、傍迷惑なことにその恨みを仲間を増やすことで解消しようとしていた。つまり、作家を消してしまえば、当然執筆中の作品は未完になる。
そして、本来は説鬼は実体を持たず、作家に憑りついてじわじわと弱らせていくものらしい。ただ、最近はその数が増えすぎて直接この世界に干渉するようになった。紫苑さんたちは説鬼による被害を軽減するべく、作家との絆を強めて登場人物を呼び出せる道具を作り出す。それが例のノートパソコン型のもの。
ただ、この装置の作用機序は説鬼が実体化するプロセスとほとんど同じで、この世と物語世界の壁を薄くしてしまう副作用がある。そのためにノートパソコンの近くには多くの説鬼が実体化してしまうということだった。
「納得はできないですけど、なんとなく話は分かりました。でも、どうして僕なんです? 他にも適切な人はいると思いますよ。例えば、薮坂さんなんてどうです? 本人はぼやかしてますけど、現役の警察官ですよ。体脂肪が5%以下で測定できないぐらいのマッチョらしいし僕なんかより絶対に強い」
僕は卑怯にも小説の投稿サイトで知り合いの作家さんを売るようなことをした。でも、実際に僕なんかよりは適任だと思う。
「この世界の物は説鬼には通用しません。ですからご本人がいくら体を鍛えていて、武器を所持されているとしても意味が無いのです」
「でも、僕じゃなくったっていいじゃないですか。どうしてよりによって僕のような……。ひょっとして、僕なら万が一説鬼に殺されても惜しくないからですか。確かに僕はそんなに読者もいないし、底辺なのは認めますけど、ひどくないですか?」
「別にそんなことは思ってないですよ。そんな被害者妄想丸出しにしなくても……」
「だったらどうして僕なんです? 納得のいく説明をしてください」
「そうですね。例えば、新巻さんのおっしゃった方を選んだとしましょう。ヤブサカさまでしたか。字はどのような?」
木の生い茂った場所に坂道の坂と答えると紫苑さんは目を閉じる。眉間に細かな皺をよせて何やら集中しているようだ。
眼を閉じている女性の顔をジロジロとみるのも申し訳ないので、すっかり冷めてしまったカレーライスをかき込む。汁気が多いタイプなのでほとんど飲み物感覚で流し込んだ。スプーンを置いて、コップから水を飲んでいると紫苑さんが目を開ける。
「薮坂さまですと、生存確率は35%以下しかありませんわね」
「え? どうして?」
「サイコロで作品が選ばれると申し上げましたわよね。藪坂さまは現在35作品あげられています。出目が36以上だった場合は、何も召喚されません。一度サイコロを振ったら次のチャンスは10分後。実際にはそのチャンスはないでしょう」
「ということは、僕が選ばれたのは多作だから?」
紫苑さんはにっこりと笑う。
「おっしゃる通りです。新巻さんは御作が100を超えていらっしゃいますから、少なくとも召喚されないという事故は防げます。それでも、このお勤めを藪坂さまにおしつけたいと思われますか?」
本当なら押し付けたい。でも、確率が3倍も違って自分はカラくじ無しと言われるとそれを言うのは憚られた。そんなことを言ったら絶対に紫苑さんに軽蔑されるだろう。もの凄い侮蔑の視線を向けられるに違いない。そこに喜びを見出すにはまだ僕は修行が足りなかった。
「そうは言いませんが、それでも僕じゃなくたって他にも一杯作家なんて……」
ぐちぐちと文句を言ってしまう。やっぱり軽蔑されるんだろうなと思っていたら、紫苑さんはつと手を伸ばしてきて僕の手の上に手を重ねた。冷たくてすべすべした白魚のようなきれいな手。
「もちろん。それだけじゃありません。新巻さんなら安心してお預けできると考えたから選んだのです」
微笑みを浮かべた紫苑さんは僕の手をポンポンと軽く叩く。
「新巻さんはこの手で作り出した作品を絶対に途中で放り出したりはされないでしょう? 未完の恨みの寄せ集めである説鬼と戦うには登場人物との強いきずなが必要です。そういう意味で新巻さんはとても信頼されてますのよ」
「信頼って誰に?」
「新巻さんの創り出した人々です。だから、呼び出された彼らはあなたの盾となり剣となる。あなたが選ばれたのはそういうことです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます