第34話 選択
10メートルほど先の空中に半透明の壁が立ちはだかった。1辺2メートルほどの六角形のパネルが無数に連なっている。近づいてみると上方にも伸びていた。離れていると見えないが近づくと光の透過度が変わるようだ。1メートルまで近づくと表面を虹色の線が無数に走っている。
チリチリとうなじが逆立つ感じがした。さらに近づこうとするみゆうさんを制止する。
「まって。これ以上近づかない方がいい気がする」
「そう?」
あくまで、みゆうさんはのんびりしたものだ。僕はみゆうさんの手を引っ張って連れ戻す。地面から小石を拾ってポイっと投げた。透明な壁にぶつかったと思うと閃光が走り、バンという音と共に小石はばらばらに砕け散った。周囲に砂礫がばらばらと落ちる。
「ああ。びっくりするじゃない」
いや。僕が止めなかったら、今頃はみゆうさんがこうなっていて、びっくりするどころの騒ぎじゃないと思うんだけど。その点を指摘する。
「そうね。マスターありがと」
軽い。まあ、みゆうさんらしいと言えばみゆうさんらしいかな。周囲を確かめてみて歩く。この半透明の壁は長々と張り巡らされている。全周を巡ったわけではないけれど、どうやら、結構狭い範囲に閉じ込められているのだということが分かった。気を付けてみればなんとなく壁がある場所がわかる気がする。
それでも明確に分かるのは10メートルぐらいからだ。僕たちはそこまで速いわけじゃないけれど、マラソン選手なら10メートルなんて2秒もかからない。気が付かずに走っていたら何が起きたか分からないうちに真っ黒こげか、体がバラバラになってしまいそうだ。
「これからは迂闊に走り回るわけにもいかないか……」
「人体に影響があるかどうか分からないですよ。意外と平気かもしれないし」
「みゆうさん試してみます?」
「そこはマスターが率先してやるところじゃないかしら?」
「遠慮しておきます」
「あの化け物たちにも効果があるのかしら?」
「どうですかね。あったとしたらどうなんです?」
「なんとかしてぶつかるように仕向けたらいいんじゃないかなあ」
「低いところにでもロープ張っておきます?」
まあ、現実的じゃあない。そんな下準備をする暇もないし、説鬼やシオマネキはすり抜けちゃうという最低な展開だってありえる。しかし、もう30分以上は経ったと思うのだけど、一体いつまでこの場所にいることになるのだろうか。
「新巻さん?」
「なんでしょう?」
「いつまでここにいるんでしょう?」
「さあ、僕も同じことを考えてました」
この役立たずという視線が痛い。そんな目つきをされましても。
「まさか、ずっとこのままというわけじゃないでしょうね?」
「前に説鬼は30分ぐらいしか実体化できないって紫苑さんが言っていたけど」
僕は念のためにノートパソコンを確認する。折りたたんだ隙間から光が漏れていた。ということはまだ臨戦態勢なわけだ。
「紫苑さんがそう言っていたですか? なんかあまり信用できない気がするんですよね」
「それは言い過ぎじゃないですか?」
「だって、あの人はこの場所に来たことあるんでしょうか?」
「それは分からないです」
「でしょ? マスターに全部事情を話してないし、なにか裏事情があるんじゃないですかね。それか、マスターに嘘をついているとか?」
さすがに失礼じゃないかと思って口を開こうとする。
「失礼ね」
そう、失礼だ……、あれ?
「紫苑さん!」
気が付くと紫苑さんがすぐ近くにいた。安堵すると同時に疑問がわく。
「どうして、紫苑さんがここに? まだ異変は終わってないはずなんですが」
「そうですね。まず、私は新巻さんに謝らなければならないです」
「なんのことです?」
「私があなたにお話ししたことは真実の一部でしかありません」
「そうだ。その女は君を騙して利用しようとしているのだ」
反対側から黒の男爵が現れる。今日はとってもにぎやかだ。
「さっき、また来月って言いませんでした?」
僕のセリフに男爵は哄笑した。
「まったく君は面白い男だな。何を言うかと思えばそんなことか。そうさ。事態は私の想定よりも速く動いている。もう遊びは終わりだ。さあ、私と来たまえ。君の求めている真相を教えようじゃないか」
「新巻さん。その男の言葉に耳を傾けないで」
僕は紫苑さんを手で制す。黒の男爵に向き直った。
「先に一つだけ答えてください。とても簡単なことです。僕の作品のなかで一番のお気に入りはなんですか?」
「なに?」
「僕が呼び出すのは、僕の作品の登場人物です。当然、どんな話があるかはご存じでしょう?」
黒の男爵は沈黙する。僕はにっこりと笑顔を向けた。
「残念ですね。あなたに与することはできません。お引き取りを」
「なぜだ? その女に騙されているのに? 色香に惑わされおって」
「違いますよ。僕は物書きです。どちらを選ぶかと言われれば、読者を優先するに決まってるじゃないですか。確かに紫苑さんは全部を語っていないでしょう。でも、それはあなたも同じだ」
僕は息を整える。
「懐柔の仕方を間違えてるんですよ。僕が欲しいのは、富でも名誉でもない。僕の作品の読者です。作品を読んで感想をくれるだけでいい。できれば応援もしてもらえると嬉しいけど。だから僕は紫苑さんを選びます。合理的じゃないですって? そうかもしれません。だから何です?」
「やっぱ、ちょっとイカレてるかも」
みゆうさんのつぶやきは無視する。どうせ買収をするつもりなら、書籍化を提案すれば乗ったかもしれないのに。僕は怒りに身を震わせる黒の男爵を油断なく見据えた。
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