第5話 紫苑の語り

 僕は耳まで真っ赤になった。さっき自分の子供とか思ったくせに自分の作品のことを忘れていた。ああ。作者として失格だ。落ち込んでいると別のことに思い至る。自分の書いた話のことを艶っぽいと言われた。自分の書いた小説にリアルで感想を貰えるなんて一生ありえないと思っていたのに。


 そりゃ、投稿サイトでコメントを貰えることはある。それだってとても嬉しいし励みになっている。でも、小説を書いていることなんて誰にも言っていないし、そもそもそんなに親しい相手もいない。だから、絶対にそういう経験はありえないと思っていた。なのに、この目の前の女性は僕の小説を読んだことがあって、その読了感を伝えてくれているのだ。


 テーブルの向こうに座る女性は僕のことをじっと見ている。

「僕の書いた話が艶っぽい、そう仰いました?」

「ええ。後朝のひとときを描いたものですわよね」

 僕は叫びだしたい衝動を必死に抑える。


 この人は僕の読者なんだ。やった。まだ夢の続きなんじゃないかと思うが、これは現実なんだ。じわじわと喜びがあふれ出す。そして、今更ながらもう一つの事実に気が付いた。僕のリアル読者は女性なのだ。この僕の家に妙齢の女性がいる。急にその事実が気になってそわそわし始めてしまった。


 女性はそんな僕のことを面白そうに眺めている。

「やはり。新巻さんって骨の髄まで物書きなんですね」

 え? そんな風に見えるのかな? 実は僕の小説をとても評価してくれているとか?


「そ、そうですか?」

「ええ」

 女性はクツクツと笑う。

「だって、先ほどまであれほど怯えていたのに自分の小説の話になったら、すべて忘れてしまうんですもの」


「あ……」

 そうだった。感想を貰えて有頂天になっていたけれど、その前にはまた僕に命の危険が迫るかもしれないという話だったんだ。その時に僕の身を守るためのものがこの古ぼけたノートパソコンだとかなんとか。


「えーと。僕の書いた小説の登場人物を呼び出すことが出来るそうですけど……」

 我ながら物凄く非現実的な話をしている自覚はある。だけど、さっきの巨漢は確かに僕の話に登場人物だった。

「そうよ」


「話の指定とか、登場人物を選んだりはできないんでしょうか?」

「それはできないわ。あなたはそういう面ではまだまだ駆け出しのひよこのようなもの。使いこなすのは難しいでしょうね。10面体2つでランダムに選ばれた作品から誰か一人を呼び出すことしかできないでしょうね」


 その話を聞いて、再び言いようのない恐怖が僕を襲う。

「僕の話にはごく普通の高校生しか登場しない作品も多いんだ。そんな作品から選ばれたらどうなるんだ? 今日はたまたま強い男の人が選ばれたけど、そうじゃなかったら……」

 思わず声が震えてしまう。


「呼び出された者はいかなる形であれ、あなたを全力で守ろうとします。あなたは彼らの創造主ですからね。新巻さん。あなたは彼らにとっては神に等しい存在です。たとえ自らの身と引き換えにでもあなたを生き延びさせようとしてくれるでしょう」

「引き換え? どうなってしまうんだ?」


 女性は目を伏せる。

「教えてくれ。いったいどうなってしまうんだ?」

「そうですね。あの説鬼の手にかかった者は消えてなくなります」

「消えてなくなる?」


「そう。お話の中から消えてなくなってしまいます」

「そんなことになったら、話が滅茶苦茶になるじゃないか」

「そうとも限りません。物語の中の登場人物にだって、こういういい方は酷ですけれど軽重があります。居なくなっても気づかれない登場人物はいるのですよ」


「そんな」

 まるで自分のことを言われたかのような息苦しさを感じてしまう。

「実際にそうやってお話からひっそりと消えた登場人物はいるのです。誰にも気づいて貰えないだけで」


「作者からも忘れられてしまうのか?」

「ええ。そして、その登場人物が主人公だったり、重要な役割を担った人物だったりした場合は、その物語自体がこの世から消滅します」

「そんな馬鹿な」


「でも、悲しいけれど、これは事実なのです。そうやって消えていったお話がいくつあることか」

 女性の顔が愁いに沈む。そして、顔を上げるとはっとした表情になった。


「こんな遅くなってしまって申し訳ありません。そろそろお暇致します」

「待ってくれ。もっと色々教えて欲しい」

 女性は困った顔をする。

「少しおしゃべりが過ぎました。心配しなくても次の逢魔が時までは1月あります。私もあまり遅い時間まで殿方と一つ屋根の下にいるというのは……」


 僕は両手を前に出して振る。

「決して、そんな疚しい気持ちはないです」

「そうでしょうね。でも、あなたにも休息が必要です」

 女性はすっと立つと玄関に向かいだした。


 僕には腕をとって引き留める度胸なんてない。心の中に色々な疑問が渦巻いていたが見送ることしかできなかった。意を決して、最後に一つだけ質問をする。

「お名前を伺ってもいいですか?」

「私? そうね」


 女性は首を傾げ、しばらく考える。

「紫苑とでもお呼びください」

 そう言うと玄関の扉を開けて出て行った。

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