第16話 不機嫌掛ける2

 僕はみゆうさんよりも小さくなっている。みゆうさんというのは僕にお誘いの仲立ちを頼んだ女性。小さくなっているのは僕の横に紫苑さんがいて針を含んだような目で僕を見ているから。僕は何も畏まる理由はないのだけれど、今日の紫苑さんはちょっと機嫌が悪い。


 僕の横に座ってみゆうさんの名前を聞いたっきり口を開かず、紫苑さんは僕とみゆうさんを交互に眺めている。場所は僕の店。ハンバーガーショップからタクシーで乗り付けた。僕たちの座っている4人掛けのテーブルに当たるように少しだけ照明をつけている。いたたまれなくなって僕は逃げるように席を立つ。


「コーヒーを淹れますね」

 カウンターの向こうでマシンを操作して、エスプレッソを3杯作る。いい香りが広がって僕はちょっとだけ落ち着いた。とっておきの生チョコレートを2つずつ小皿に載せてテーブルに運ぶ。二人は相変わらず無言を貫いている。


 コーヒーの香りで少しだけ改善した僕の気持ちはたちまちのうちに逆戻り。それでもここは僕のホームグラウンド。色んなお客さんの相手をしなくちゃいけない経験が役に立つ。努めて平静を装った。

「エスプレッソとプチフールをどうぞ」


「ありがとう」

 これは紫苑さん。

「すいません」

 みゆうさんも頭を下げる。


 3人でエスプレッソの香りと味を楽しんだ。はた目には会社の同僚か何かでカフェで寛いでいる図なのだが、現実は程遠い。多少は穏やかな空気にはなったものの相変わらず、みゆうさんはふくれっ面だし、紫苑さんも目は笑っていない。僕が一体何をしたというのだろう?


 仕方がないのでいつもの状況報告からしてみる。

「お陰様で今回も無事に強力な助っ人を呼ぶことが出来ました」

「あら、そう。今回は誰だったの?」

「それが、なんというか僕です」


 紫苑さんは形のいい眉をあげた。

「その。実験的に2人称で書いた話がありまして。一時期流行ったゲームブック風といいますか、読者が選んだ選択肢で話が変わっていくやつです」

「ああ。あのイギリスを舞台にしたやつね」


「読んでもらえました?」

「最初のひっかけは酷かったけど、そこそこ楽しめたわ」

「ありがとうございます」

「それで、登場人物が自分自身なわけね」

「実際の僕に比べると勇猛果断ですけどね。いかにも男らしいというか」


 僕らの会話を聞いていたみゆうさんが声をあげる。

「どういうこと? 二人とも話を合わせて私を騙そうというのね?」

 恋する女性の目を覚まさせるのは容易ではないらしい。

「で、この子は何なの?」


 紫苑さんは最初からみゆうさんに対してつっけんどんだった。ハンバーガーショップで最低と言ったみゆうさんに僕が身を乗り出して抗議しようとしたところ、横に影ができる。見上げたら柳眉を逆立てた紫苑さんが冷たい目で見下ろしていた。そこでちょっとした騒ぎになって店員に注意され、とりあえず僕の店までやって来たという次第。


「みゆうさんも説鬼に襲われてたんだ」

「あら。そうなの? それじゃあ、この子も作家の端くれなんだ。ふーん」

 紫苑さんは僕に対する態度を軟化させる。

「そういうことだったのね。新巻さん。自分の頭の上の蠅も追えないのに他人の世話を焼く余裕があるのかしら?」


「まあ、その通りなんだけど、気がついたら体が動いてまして……」

「あまり感心はしませんわね。このノートパソコンをお預けしているということをお忘れなく」

「はい。すいません。やっぱり、これが説鬼の手に渡ったらまずいのでしょうか?」


 紫苑さんはうっすらと笑みを浮かべる。

「相手が説鬼なら問題はないわ。これを操作したところで何も呼び出せないでしょ?」

「そういえば、そうですね」

 僕はほっとする。自分の行為が危機を招くのだとしてら赤面ものだ。


「あまり、ほっとしないで。私は説鬼なら問題はないといっただけよ」

「え? ということはつまり、手に渡ったら事態が悪化する相手がいるんですか?」

 敵は説鬼だけだと思っていたのに、どうやらそうではないらしい。


「例えば、この子が説鬼の手にかかって死んだとして」

「ちょっと、何勝手に人を殺してんのよ」

「お黙り!」

 あまり大きくはない紫苑さんの言葉がまるで質量を持つかのようにみゆうさんを圧倒する。


「闇に飲み込まれると、ちょっと面倒になるわね。まあ、この子じゃちょっと資質が足りなそうだけど、一応は説鬼に目を付けられる程度のものはあるようだし。そういう意味じゃ、やっぱり、新巻さん。あなたにお礼を言わなければならないわね。助かったわ」


「あ、いえ。そんな褒められるほどのことは僕は全くしてないので。100メートルぐらい走っただけですから」

「謙遜しなくていいわ。結果が全てだから」

「はあ。お役に立てたなら嬉しいです」


「でも、変ね。媒介する物なしに説鬼が実体化するなんて」

「これの影響では?」

「いえ。100メートルは離れすぎているわ。ちょっと調べないと。それじゃ、今日は失礼するわね」


 紫苑さんは慌ただしく席を立ち、僕はその背中に声をかける。

「あ、それじゃ、一つだけ。説鬼って知能はどれくらいなんですか?」

「そうね。幼稚園児ぐらいかしら。それじゃあ」

 紫苑さんは店を出ていった。


 と思ったら、すぐに顔だけ突っ込む。

「あなた。来月の晦日前は新巻さんと一緒にいなさい。死にたくなかったらね。まあ、私にはどっちでもいいけど」

 再び扉をバタンと閉める。え? 後は俺任せ?

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