第十六話:その嘘は誰のため
雅騎が自転車を走らせ続けて二十分ほど。
彼が辿り着いた目的地。それは
夏ともなれば、日中多くの海水浴客で賑わう海岸。
しかし。既に秋も深まったこの時期。ましてもうすぐ日付の変わる時間帯ともなれば、雅騎以外誰もいない、非常に静かな場所となっていた。
「へぇ、綺麗なもんだなぁ」
砂浜を歩きながら、思わずそんな事を呟く。
海の上に下弦の半月が輝き、穏やかな海がその光を受け止めている。
潮風はほとんどなく、波が寄せては返す優しく静かな音だけが、この世界を支配する。
この時間に
……いや。もう既に一人ではない。それは彼も理解していた。
『そこの人間』
海を眺めていた雅騎は、突然後ろから何者かに声をかけられた。
やや低い、しかし落ち着いた女性の声に反応し、彼は静かに振り返る。
そこには何時の間にか。雅騎の言葉を借りるなら、天使が三人並んで立っていた。
二人は女性、一人は男性。三者三様に天使の翼を背中に携え、その身体は薄っすらと神秘的な光で包まれている。
中央に立つ女性は、袖のない白きローブを纏い、左腕に草花を模した装飾の腕輪を付けた、金髪のセミロングの女性。
両側に並ぶ二人も同じようにローブ姿だが、胸には凝った装飾の入った金属製の胸当て、そして腰から脚を守るように、やや長めの金属の
『レイア様、こいつですか?』
三人の中で最も長身で、
『ダメでしょファルト。ちゃんと
そんな彼を
『リナ。気にしなくてよい』
そして。中央のレイアと呼ばれた女性は、そんな言葉を意に介さず、じっと雅騎を見つめていた。
「えっと……。これ、コスプレの撮影会か、何か?」
雅騎はちょっと戸惑った表情を浮かべ、そんな
しかし。彼の台詞など気にすることもなく、中央の女性は淡々と話し始めた。
『私の名はエルフィレイア。回りくどい事は好まぬ。貴様に率直に尋ねよう』
そう名乗ったレイアは、重々しく低い声で、続けてこう言葉を放つ。
『貴様は、天使と何らかの関係があるな』
「は? 天使ぃ!? 流石に冗談だよな? な?」
だが、心の中では。ひとつの疑問が浮かんでいだ。
──エルフィ、レイア?
そう。エルフィの名を冠する彼女の顔立ちは、どこか彼の知るエルフィを感じさせるものだったのだ。
『隠しても無駄だ。お前の身体に残るエルフィアンナの
「いやいやいやいや! ちょっと待った!
大げさに驚いてみせる雅騎。知らぬ名前、知らぬ単語を並べられ、しかも急に我々は天使だと言われれば、普通の人間なら当然の反応だろう。
だが。そんな彼に対しレイアは、多少の
『まだ隠し通そうというのか。人間とはいえ罪人を
まるで犯人だと決めつけるような、鋭い視線。
「いや、だって知らないものは……」
雅騎はそんなレイアに、己の無実を伝えようと必死になる。が。
『もうよい』
彼女はより強く表情に
『ファルト。リナ』
従えていた二人に声を掛けた。
『『はっ!』』
呼びかけに応えるように。二人は同時に返事をすると、上空へ飛び立つ。
雅騎から距離を取り、挟むように位置を取ると。二人は何か聞き慣れない言語を詠唱し始めた。
ありえない光景に戸惑いを演じながら、雅騎は冷静な心でそれを観察する。
詠唱を続けながら、二人は静かに両手を高々と掲げた、その瞬間。
「な、何だ!?」
突然の地鳴りと共に、大理石でできたような四角い石柱が、光輝きながら海面や砂浜から次々と飛び出してきた。
それらの動きが止まった瞬間。石柱の先を結ぶように、青白い光の線が走ったかと思うと、空に複雑な文様を
そして。その魔方陣の外周に沿って、各柱の間や天井を半透明の光の壁が覆い尽くした。
まるで現実離れしたような光景に、雅騎は思わず唖然とする。
『これは
「
全く理解できないその単語を覚えるかのように、無意識に復唱する雅騎。
『そう。天使以外の存在を寄せ付けず、貴様が逃げられぬようにするための結界だ』
そんな彼に対し冷酷な眼差しを向けたまま、レイアははっきりと現実を突きつけた。
逃げ場も助けも封じた、と。
『それだけじゃないぜ。これは俺達天使の力をより強くする結界でもあるんだ』
『元々、敵を確実に仕留めるためのもの、なんですが……』
続けて上空にいる二人もそう口にする。それは、雅騎に今の状況を知らしめるため。
──これ、多分……。いや、絶対にヤバい。
彼は思わず身震いした。
その原因は、今の自分がこの結界に囚われた状況になったことで感じた、力の強さ。
「つまり俺を狩る、って言いたいわけか」
冷や汗をかきながら、そう雅騎が問いかけると。
ファルトはニヤリと笑い。
リナは申し訳なさそうな顔をし。
レイアは静かに頷いた。
──戦いは避けられない、か。ってなると……。
雅騎は彼女達を見ながら身構えると、
──もしもの時は……。
心で
『貴様に最後のチャンスをやろう。エルフィアンナは何処にいる?』
未だ戸惑いを
声を受けた雅騎もまた。どうせ無駄だろうと思いながら、呆れるようにひとつ、ため息を
「だから、何も知らないって言ってるだろ」
『そうか』
彼女は残念そうに静かに目を伏せると、次の瞬間すっと手を正面に伸ばす。
細身の刀身には、時折稲妻にようなものがチラチラと走っている。
『これ以上、嘘で固めると言うのなら……』
彼女は静かにその剣を手に取ると、上段に構えると、刹那。
『駆け抜けろ!
袈裟斬りするように、勢いよく振り下ろした。
瞬間。剣から放たれた雷を纏った衝撃波が、轟音と共に砂煙を巻き上げながら、雅騎へ襲いかかる。
直撃はしない。彼はそれを感じ取るも、その風圧に思わず両腕で顔を庇い、その場に踏み留まるよう力を込める。
雅騎の脇を掠める斬撃。
「ぐっ!!」
僅かに触れし稲妻から、身体に一瞬だが電撃が走る。
その威力に、彼は思わず顔をしかめた。
雷光はそのまま海上で
振り返った雅騎は、それを目の当たりにして、改めて彼女の力を感じ取る。
『話せばよかったと後悔するまで傷つき、苦しむ覚悟はできたと言うことでよいな!』
レイアの強い
再び剣を構える彼女に対し、雅騎は脱兎の如く、波打ち際に向け走り出す。
空からその様子を見ていたファルトは、呆れた顔でレイアと同じように、光を集め一振りの槍を手元に呼び出した。
それは炎を纏う穂先を持つ、やはり独特な装飾が施された長槍。
『人間ごときが逃げられると思うなよ!』
槍を頭の上でくるくると回転させたかと思うと、
『焼き尽くせ。
大きく槍を薙ぎ払った。
そこから生まれたのは炎の斬撃。それは一気に雅騎の頭上を超え、先に波打ち際に着弾する。
瞬間、激しい炎を伴う大爆発が雅騎を襲う。
「うわっ!!」
彼はその衝撃で、大きく後ろに吹き飛ばされた。
空中で一回転し、砂浜を滑るように受け身をとった雅騎。だがその視界の先に、まるで瞑想するかのように、目を閉じ杖を両手で構えたリナの姿が映る。
波の装飾が刻まれたその長杖。その先の蒼き宝石から水が
『
「ちっ!」
掛け声とともに長杖を雅騎に向けると、二体の水竜は勢いよく急降下し、彼に襲いかかった。
避けようとした瞬間。先の爆発で受けた傷の痛みが、一瞬身体を駆け抜ける。
しかしそんな身体の悲鳴を無視し、雅騎はなんとかそれを避けた。
だが。彼がいた場所に双竜が衝突した瞬間。
「くっ!」
激しい水の炸裂から生まれし多数の水弾が、雅騎の身体にぶつかり。その身がまたも吹き飛んだ。
砂浜を転がりつつ何とか受け身を取る。が、そんな雅騎を三人は素早く取り囲む。
彼女達の連携に軽く舌打ちしつつ、彼は改めて身構えた。
その後も雅騎はひたすらに、ファルトとリナの攻撃を紙一重で避け続けた。
しかし。
どんなに攻撃に備えたとしても、相手を攻めなければ、戦いに勝つことは出来ない。
息を切らし。傷を増やし。動きが鈍っても続く防戦。
だが、そんな危機的状況にあっても。雅騎は避けるのを諦めず、また攻めることを諦めきった戦いを続けていく。
そんな不可思議な光景を見続ける内に、レイアの心に、疑問が生まれ始めていた。
──何故、仕掛けてこない。
何らかの力があるのであれば、己の命を守るため反撃を試みるはず、とレイアは考えていた。
とはいえ。上空に仕掛ける攻撃がなければ、ファルトとリナへの反撃はできない。
であれば、地上にいるレイアに挑みかかる選択肢もあるはずだ。彼女相手に戦えば、他の仲間の攻撃を
それが、戦術に長けたレイアの判断だった。
しかし雅騎はそのどの選択も選ばず、降参する事すらもしない。
──誰かを待っている? いや、それは……。
考えられない。そう彼女は感じていた。
レイアが雅騎を発見したのは、あの
だが、そこからこの戦いの
──本当に、何も知らないというのか?
傷つきながらもただ防戦を戦い抜く、一人の人間を見つめながら。レイアの心が、僅かに揺らぐ。
エルフィの
それは、レイアにとって雅騎が彼女と関わりがあったであろう、唯一無二の真実であり、事実である。
しかし、その事実を以ってしても。ここまでひたすらに事実を否定し、反撃もせず。しかし生を諦めず攻撃を避け続けるだけという、ありえない選択を取れるものなのか。
過去に見てきた人間であれば、ここまで命の危機を感じさせれば、口を割るか、闇雲に反撃し、返り討ちにあっていたはず。
それほどに人間とは弱く、脆い存在だとレイアは経験から決めつけていた。
だからこそ。雅騎と他の人間との違いが、彼女に迷いを生んでいた。
この心の迷いは、攻撃を続けるファルトとリナにも同様に生まれていた。
彼ら二人はレイアからの命令で、雅騎の命までは奪うなと言われていた。
しかし。気づけば二人にとって、この戦いは
このままでは命令に反し、彼の命を奪ってしまうかもしれない。
だが。レイアより戦いを止める声も掛からない。
そんな歪んだ状況が生みし戸惑い。それが彼等の心を迷わせていく。
雅騎の決意ある行動が、偶然にも天使達の動揺を誘うも。反撃をせず、ただ攻撃を避け続けた結果。
火傷。切り傷。打ち身。
昼間癒えたはずの傷は、再び彼の元に戻っていた。
そして。そんな傷だらけの雅騎の身体は、早くも限界を迎えようとしていた。
予想外の展開が続いた事で、集中力が切れてしまったのか。
ファルトは何度目かの
が、その無意識がいけなかった。
彼が無意識に技を繰り出す。
それは、相手を倒すために
『しまった!』
ファルトが思わず叫ぶ。
繰り出されたのは、今までより強大な炎の斬撃。
雅騎は瞬時にその危険さを理解し、咄嗟に回避行動に移ろうとした。が──移れない。
表情が
「くそっ!」
雅騎は動け! と言わんばかりに歯を食いしばり、痛みで硬直した身体を奮い立たせると、無理やり地面を蹴る。
が、その行動はファルトの無意識の本気の前では遅すぎた。
左脚に炎の
そのせいで受け身もままならず、そのまま砂浜を数回転がると、光る結界に背中から激突した。
「ぐあっ!!」
背中に走る衝撃が、己の意識を世界から分断しようとする。それを辛うじて強き意志でねじ伏せると、雅騎は痛みを堪えながら、自らの脚を見た。
直撃を受けた左脚の
脚先を動かそうとすれば、眠気も覚めるような激痛を放つ。
その痛みこそ、彼の身体が降伏を示した証。
雅騎は痛みを堪え、顔をしかめながら視線を上げた。
その眼に映りったのは、ゆっくりと歩み寄ってくるレイアの姿。
彼女の脇に、ファルトとリナがすっと地上に舞い降りる。その表情には、何処か
『正直に答えよ。もう後はないぞ』
レイアはある程度の距離を離した所で足を止めると、心にある
その言葉に返事はせず、雅騎は痛みを噛み殺しながら、彼女を睨む。
──まだあいつ等は、エルフィ達の居場所を知らない……。
彼は理解していた。
己の存在こそが、レイア達がエルフィに繋がる手掛かりであることを。
だからこそ。
──つまりここで俺が死ねば……。
彼は、戦いの前に考えていた、もしもの時の決意を新たにする。
『最後にもう一度問う。エルフィアンナはどこだ?』
「……知らないって、言ってるだろ」
苦しげに放たれた雅騎の言葉。それは、彼の本気の嘘。
自身が勝手に誰かを想い。誰かのために嘘をつく。
雅騎は、それを迷わず選んだ。
それが例え、自身の死に繋がるものだとしても。強き心は変わらない。
彼の苦しそうな、しかし真剣な表情に。レイアは静かに
『そうか……』
彼女もまた、心の中で決断する。
そして静かに目を開けると、改めて雅騎を見つめた。
『ファルト。リナ』
『ま、待ってくださいレイア様! 彼は本当に何も知らないかもしれないじゃないですか!』
彼女の真意を察し、慌ててリナはそう声を掛けた。
その迷いは確かにレイアの心の片隅にもあるもの。しかし、その決意は硬い。
『彼が罪人でなかったとしても、私が
『ですが!!』
『先輩。覚悟を決めましょう』
何とか食い下がろうとするリナを、ファルトが制した。
雅騎を人間ごときと小馬鹿にしていた彼は、もうそこにはいない。
レイアの意思を全うするのが己の使命。そんな覚悟を決めた、淋しげな目を見せ、男はそこに立っている。
そんな彼の姿に、リナは雅騎に申し訳なさそうな表情を見せると、静かに頷いた。
レイアが雅騎から距離を取るように空へ羽ばたく。
それに続き、ファルトとリナも空に舞い上がる。
『貴様には悪いことをしたやもしれん。だが、これは私が選んだ道』
しっかりとしたレイアの声が耳に届く。
雅騎は視線を彼女達から逸し、空に輝く半月に向けた。
『最後に貴様の名を聞かせてもらおう』
「……死ぬ奴の名前なんて、知っても意味はない。だろ?」
最後の問い掛けにも、雅騎は応えようとしなかった。
手がかりがなくなれば、エルフィを発見する可能性は低いはず。
だがもし、レイアとエルフィが
それは雅騎にとって、あってはならないこと。
だからこそ。レイアの心に、己の名を刻ませるわけにはいかなかった。
『……そうか』
己の迷いを奥歯で噛み殺し。レイアはそう呟くと、剣を構えた。それに呼応するように、ファルトとリナも武器を構える。
雅騎は痛みで失うことすら許されない意識を、三人に向けた。
槍に炎が。剣に雷が。そして長杖より水の双竜が、それぞれ生み出され。
そして。
『
『
『
三人はほぼ同時に、各々の技を、全力で繰り出した。
「これでやっと、
迫る技を見ながら、雅騎は淋しげな笑みを浮かべると、静かに目を閉じた。
そして。
三つの技はほぼ同時に直撃し、今までにない激しい爆発と衝撃を巻き起こす。
その中で生き残る事。それは、抵抗を捨てた彼では、成し得ることのできないものだった。
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