第七話:絶望と希望の狭間

 意識が闇に包まれたと感じた次の瞬間。

 突然目の前が一変し、炎に包まれた公園と、激しく炎が燃え盛る音が聞こえた。


  ──これが……記憶の中、なの?


 炎の燃える音、熱を、そこにいるかのように感じるこの状況。それはまるで、今そこに自身が存在するかのようなリアルさを佳穂にもたらしていた。

 彼女の目に映るのは、業火に包まれた神麓かみふもと公園こうえんの歩道と、遠くに見えるドラゴンの姿。

 そう。佳穂の記憶の中にもある、戦場と相手がそこにあった。


  ドサッ、ドササッ


 不規則に歩道に何かが倒れる音。それに反応し視界が動くと、そこには佳穂、御影、霧華の三人が意識を失い倒れた姿があった。


『佳穂!? 御影!? 霧華!?』


 エルフィが慌ててしゃがみ込み、三人の安否を確認する。


  ──私達、こんなに傷だらけだったんだ……。


 他人の目線で見る自分達の傷ついた姿。火傷やけど裂傷れっしょうが残るその身体に、佳穂は本当に自分達が危機的状況にあったことを知り、背筋がぞっとする。


『何をしたのですか!?』


 声を荒げたエルフィは、しゃがみ込んだまま隣に立つ人物を見上げた。

 そこにいたのは……。


  ──速水君!?


 佳穂は驚きを隠せなかった。そこには記憶にない人物──ブレザーに身を包み、遠くを見つめる、雅騎の姿があったからだ。


「悪いけど、三人には眠ってもらったよ」

『何故そんなことを!!』


 エルフィは怒りを隠そうともせずそう叫んだ。雅騎はそんな彼女を、至って冷静な顔で見下ろしている。


「放っておいたら、あんたも三人もドラゴンアイツに向かっていくだろ」

『当たり前です! あのドラゴンを放っておけば、被害が広がると言ったはずです!』


 正義感に溢れた言葉を耳にして、雅騎は呆れたようにため息をく。


「あのさぁ。こんな身体で無理させてどうするんだよ」


 怒りを隠しきれないきつめの言葉。それは佳穂が知っている彼からは考えられないものだった。


『ですが、彼女達はまだ戦う意志を見せていました。ですから……』


 そんな彼の言葉に気圧けおされたのか。

 戸惑いをあらわにしたエルフィに、雅騎は僅かに困ったような表情をし、頭を掻く。


「あんただって、分かってるはずだろ。このまま戦わせても犬死いぬじにだって」

『そ、そんなことありません! 彼女達は……』


 彼の言葉を認めたくないと、歯痒さを見せながらも抵抗しようとするエルフィに、


「あんたは!」


 雅騎は、強く叫んだ。


「三人を死なせたいのか!? ずっと一緒にいたいんじゃないのか!?」


 怒りを隠そうともせず、彼は恫喝どうかつする。その、必死さすら感じる言葉に、エルフィはギリっと奥歯を噛み締めると、何も言い返せずうつむいてしまう。


  ──エルフィ……。


 二人のやり取りを見て、佳穂は気づいた。

 自分達の勇猛さが、エルフィを苦しめる無謀さであったことを。


 確かに自分達は、人々を守る使命感で、自らの命をかえりみず行動していた。

 だが。この勝てる見込みが非常に薄い状況下において、その行為は死に場所を探す人間と何ら変わらない。


 エルフィは佳穂の言葉、信念と共にあろうと必死だったのだろう。だが同時に、彼女が命を落とすかもしれない、というジレンマも抱えていたはず……。


 佳穂が感じ取った気持ちと同じものを、雅騎も感じていたのか。

 彼は真剣な眼差まなざしのまま、語り始めた。


「分かるさ。あんたがみんなの意思をんでやりたい気持ちは。でも今はその時じゃない」


 真剣さの中にも、淋しさを感じさせるその言葉に。エルフィは、自身と同じ葛藤を抱えていることに気づいたのだろう。


『……申し訳ありません。助けていただいたというのに』


 彼女は静かに、感謝の言葉を述べる。

 突然の言葉にむず痒くなったのか。彼は気恥ずかしげに目を逸らすと、また頬を掻く。


「そりゃ、あんな状況は放っておけないさ」


 そう言うと、雅騎はゆっくりとドラゴンに向け歩き出した。

 エルフィの視線が、咄嗟に彼の背中を追いかける。


『何をするつもりなのですか!?』

「あいつを倒さないといけないんだろ?」

私達わたくしたちでも傷つけることすらままならなかった相手なのですよ!?』


 エルフィから先の信念とは別の、彼を心配する言葉が飛ぶ。

 雅騎はそれに反応するように、一度歩みを止めた。が、振り返りはしない。


「本当は、四人とも眠ってほしかったんだけどな」

わたくしは天使ですから、多少異能の力に耐性もあります』

「やっぱりそうなのか。まあ薄々感じてはいたけど……」


 天使の翼をたずさえ、白きローブをまとうエルフィの姿。

 それは雅騎が自身で思い描く天使イメージと合致していたのだろう。


『とにかく危険です! わたくしは佳穂達だけでなく、貴方も死なせたくはありません!』


 悲痛な声で訴えるエルフィ。そんな彼女の声に、雅騎の雰囲気が和らいだような気がした。


「あんたは、優しいんだな」

『えっ!?』



 雅騎の恥ずかしげもない台詞に、エルフィは戸惑いの声を上げ、


  ──は、速水君……。


 同時に自身が言われたわけでもないのに、佳穂も思わず照れるように顔を赤らめた。


「正直、勝てるかは五分五分。ただ今日は随分とし、俺にはもあるから、なんとかなるさ」

? ?』


 エルフィはその謎掛けのような言葉に、頓狂とんきょうな声をあげてしまう。


  ──どういうこと? 、はなんとなく分かる気もするけど……。


 佳穂もまた、彼の言葉に疑問を持った。


 を佳穂はどう捉えたか。

 それは、磁幻獣グラジョルトが現れる時に増加する粒子、磁流グラフォルの事、と考えていた。


 元々、磁幻獣グラジョルトが現れる前には、この磁流グラフォルと命名された粒子濃度が上昇する、という法則がある。

 この粒子は普段この世界に存在する。

 しかし、普通の人間だけでなく、特殊な力を持つ佳穂達、天使であるエルフィでさえその存在を感じることができないほど、この世界の者達からすると希薄な粒子なのである。


 二十年ほど前、磁幻獣グラジョルトの出現増加に伴い、彼女達が関連する組織が法則を探るべく研究を進めた結果、この磁流グラフォルの存在、そして粒子濃度の法則が発見された。

 佳穂にはこの知識があるため、はこれではないか、と紐付けることができた。


 しかし、もうひとつの言葉はどうにも理解に苦しむものだった。

 炎に囲まれ、こちら側がただ体力を消耗する状況になどない。むしろこの炎の元凶であり、耐性を持つであろうドラゴンのほうが圧倒的優位だと、戦いの中で痛感したのだから。


 何故そう答えたのか、強く疑問に思ってしまったからこそ。佳穂も。エルフィも。気づく事ができなかった。

 地の利のない彼が持っている、知の利を。


「ま、一度任せてみてよ」


 エルフィの疑問には答えず、雅騎は再び歩き出す。

 彼女は無意識に彼を追いかけようと、立ち上がり数歩前に出た。しかし……。


  ジャラリ


 足元から、鎖が擦れた音が届く。

 エルフィはその音に気づき、歩みを止めた。

 その音だけで、佳穂もまた理解する。そこにある、エルフィと自分の脚を繋いでいるであろう、金色こんじきの鎖の存在を。


 二人の距離が近い時にはまったく映りもしない。しかし距離が離れると薄っすらと浮かび上がり、最後にははっきりと具現化され、二人が離れぬよう繋ぎ止める鎖。

 これこそが、二人が力の融合ファルキュエルで繋がれし証。

 そして、佳穂が意識を失い倒れている以上、今の彼女がこれ以上雅騎に近づくことはできなかった。


『無理はなさらないでください!』


 不安げにエルフィは叫ぶ。その声に雅騎は右手を上げて応えると。そのままゆっくりと走り出し、加速し……。


  ──消えた!?


 雅騎の姿を見失ったのとほぼ同時に、彼が遠間とおまのドラゴンの頭を踏んで跳躍する姿が目に映った。

 

 その瞬間。

 視界がまるでズームするかのように、ドラゴンと雅騎の姿を間近に捉えた。

 エルフィの持つ天使の力、遠見の力フォルケイドだ。


 遠見の力フォルケイドは名前の通り視力を高めている……のではなく、実は意識をその空間に近づけている。そのため視界だけでなく、ドラゴンの唸り声が、まるで側にいるかのように佳穂の耳に届く。


 跳躍した雅騎はドラゴンを背に、綺麗に歩道に着地する。ドラゴンは頭を踏まれた怒りからか。天を仰ぎ大きく咆哮した。


「さてと……」


 振り返りながら雅騎は呟く。

 と。いつの間に取り出したのか。彼は白く輝くピンポン玉程の石のようなものを、左手の親指と人差し指の間にひとつ、挟んでいた。それを軽くてのひらで握り込むと、まるで手品師が見せる動きのように、滑らかに手を開いていく。

 すると、どんな原理なのか。そこには各指の間にひとつずつ、同じ石が計四つ挟まれていた。


 そんな呑気な動きの雅騎に対し、ドラゴンが怒りに任せ炎の玉を口から放つ。

 彼はそれを斜め前に跳躍し避けると、そのまま一気に懐に入るべく、勢いよく駆け出し間合いを詰める。

 腹下に入らせるものか! と言わんばかりに、ドラゴンが前方に迫る雅騎に対し、大きく左腕を振るう。


  ──危ない!


 思わず佳穂が緊張でこわばる。

 が。そんなことはお構いなしに、雅騎は勢いをそのままに姿勢を低くすると、間一髪その腕をかいくぐっていく。


 そして石をひとつ右手に持ち変えると、ドラゴンに向け──ず、相手の腹下付近の地面に掌打しょうだで打ちつけた。


 ドラゴンは彼を押しつぶそうと、覆いかぶさるようにのしかかってくる。その動きを察し、雅騎は咄嗟にドラゴンの脇腹を強く蹴り、後方に低く跳躍すると、バク転しながら一気に距離を取ってみせた。

 ドシィィンという重々しい音。

 ドラゴンは、悔しそうな表情もせず、視線を彼に向け、口からチロチロと火花を見せる。


  ──良かった……。


 雅騎の無事にほっとする佳穂。

 だが、その後も続く彼の戦いに、佳穂もエルフィも気が休まることはなかった。


 ドラゴンの右斜前にひとつ。背後の尻尾側にまたひとつ。と、石を不規則に地面に埋め込んでいく雅騎。

 しかしそれはドラゴンの豪炎、爪撃そうげき、噛みつき、尻尾での鞭打べんだなど、激しい攻撃を掻い潜りながらの作業でもあった。


 紙一重で攻撃を避け続けながら進められる行為。

 それは見ているだけの佳穂とエルフィにとって、心臓に悪い緊張感が続く。

 そんな中、ふと佳穂は気になることに気づいた。


  ──御影に、似てる?


 やや大げさで無駄が多く見えるが、華やかさと繊細さを感じる素早い動き。相手へ踏み込む際の低い姿勢。

 武器の有無こそ異なるが、雅騎のその動きは、まるで御影を見ているかのようだった。


  ──どういうこと?


 佳穂はその理由を考えようとした。が、そんな猶予も与えず雅騎はドラゴンの左側面に駆け込んでいく。


 放たれる放射状のブレスを大きく迂回し避けると、炎が途切れた瞬間に一気にドラゴンに向け踏み込み。その勢いのままドラゴンの左脚後ろ側に最後の石を埋め込むと、一気に身体を切り返し、滑るように相手後方へと移動する。


 背後を取らせまいと、追いかけるようにドラゴンが立ち上がり身を翻した。その瞬間。

 地面に埋めた石が青白い光を放った。


「頼むぜ!」


 誰に何を願ったか。

 雅騎はそう口にすると、片膝を突いたまま両手を大地に突きたてた。それに呼応し埋め込んだ四つの石を繋ぐように、地面に円形の複雑な魔方陣が描かれていく。

 それが陣を形成し、一際大きく輝いた次の瞬間。


 魔方陣が、消えた。


『失敗!?』


 思わずそう口にするエルフィ。が、次の瞬間。違和感に気づき、空を見上げた。


  ──これは?


 佳穂も、エルフィを通じ感じ取る。

 それは、の変化。

 先程まで彼女達が感じていた空気は、周囲で燃え盛る炎の熱さでとても乾いたものだった。しかし、魔方陣が展開された直後に感じたものは、今までとは異なる湿った空気。

 何時の間にか空は厚い雲に覆われ、先程まで見えていた月の姿は何処にもない。

 そして……。


  ポツ。ポツ。ジュジュッ


 突然、空から降り出したもの。それは……雨。

 その勢いは少しずつ強くなり、周囲を一気に湿らせていく。

 雨の強さに比例し、燃え盛る炎から水蒸気が生み出され、一気に周囲を包みはじめる。


 ドラゴンもまた、突然の雨に天を見上げ、やや戸惑うように周囲をキョロキョロと見回した。

 水蒸気と強い雨は、木々が燃えさかることで出来ていた業火の壁も、少しずつ弱めていく。


「後はここから、か」


 雅騎の声に、エルフィが彼を見た。

 水蒸気が霧のように視界を邪魔するため表情をみ取りにくいが、立ち上がった彼の表情がやや青ざめているように感じる。


  ──速水君……大丈夫なの?


 佳穂は嫌な胸騒ぎを覚えながら、不安そうにその動向を見守った。


 雅騎は大きく肩で息をしつつも、再びドラゴンに左半身を前にして立つ。

 右脚をやや後ろに引き、格闘家が構えるような姿勢で右手に拳を作る。すると、その拳に白銀色しろがねいろの光が宿った。

 その光を感じ取ってか、ドラゴンも再び雅騎を視界に据えた。


 お互い大きく息を吸ったその直後。その息を先にいたのはドラゴンだった。

 先手の火球。雅騎は先程までのチキンレースを繰り返すように、前に踏み込みながらそれを掻い潜り、またも一気にドラゴンに踏み込む。


 今までは避けながら地面に石を埋め込むことに終始していた彼だが、ここからの行動は違った。

 ドラゴンの攻撃を掻い潜るのは変わらない。しかし、彼はその攻撃を避けながら、ついに反撃の一手──ドラゴンへ右手での掌打しょうだを繰り出したのだ。


 正面から腹に一撃。

 しかし。ドラゴンはそれを受けても「効かんぞ」といった顔で雅騎を睨み返すと、腹下にブレスを放つ。

 咄嗟に後方に跳躍する雅騎。

 刹那。ジュワァァァツ! という激しく水が蒸発する音と、水蒸気がドラゴンを包んだ。


 間一髪。なんとかその炎を避けた雅騎は、着地しながら雨に濡れた歩道の上を、水しぶきをあげ滑っていく。

 二十メートルほど滑ったであろうか。なんとかそこに踏みとどまると、間髪入れず、彼は再びドラゴンに向け駆け出していった。


 ドラゴンの攻撃を避けながら、脚や腕、頭部に対し、光る右手の拳で攻撃しては離れる。そうやって攻めを持続する雅騎だが、一向にドラゴンが怯むような有効打は生まれない。


 更に。先程までと違うもうひとつの異変に、佳穂は気づきはじめた。

 それは、彼がドラゴンの攻撃を回避しきれていないという事実。


 先程まで雅騎は、相手の攻撃をほぼ避け続けてきた。

 だが、雨が降り出して以降、直撃ではないにしろ、攻撃してきたドラゴンの腕を蹴り返す事で回避したり、制服を爪で切り裂かれつつ、その攻撃を凌ぐようなシーンが目に見えて増えてきたのだ。


 その理由は大きく動き回り戦うスタイルのせいで、雨により濡れた地面に足を取られるといった、地の利で不利な部分もあるだろう。

 しかし。同時に肩で息をする雅騎の姿から、それが疲弊からくるものだということは、佳穂にも一目瞭然だった。


  ──無理しないで!!


 雅騎の無事を祈り、見届けることしかできない佳穂。

 それはエルフィも同じだった。無意識に両手を組み、祈るような仕草でその戦いを見守る。


 今まで以上に苛烈な戦い。

 雨により周囲の炎はかなり小さくなり、暗がりが強くなる。それはより、ドラゴンが吐く炎を際立たせていた。


 炎が照らす雅騎の姿。時に彼が避けた地面に火柱が上がり、周囲に水蒸気が立ち昇る。

 同時に鼻を付く焦げた臭い。目に飛び込む映像、音、感覚から、佳穂は少しずつ気持ちが強張こわばっていく。

 それは彼女も経験した、ドラゴンという相手への恐怖心が生むものだった。


 雅騎の動きから脳裏に重なる、御影とドラゴンの対峙中の姿。


 彼女も序盤は軽快に動き、隙あらばドラゴンに攻撃を叩き込んでいた。しかし、周囲の炎による熱や、攻撃が効かない事に対する焦り。そして過酷な環境下で長引く戦いに疲弊し。少しずつ攻撃を避けきれない事が増えていった。


 それを、時に盾としてかばい、自らも火炎に襲われながらも戦ったあの時の顛末てんまつが、記憶の最後。各々の抵抗も虚しくドラゴンの豪炎を前に、何も出来なかった最後のシーンに繋がっていく。


 今見ている雅騎も同じ状況に晒されている。そんな気持ちが、佳穂の心をより強く痛める。


  ──速水君……駄目……。


 目を背けたいが、エルフィの記憶の共有フォネルカスの中ではそれはできない。

 その状況が彼女の理性を削り、不安と恐怖を大きくしていく。


 二人が見守る中、雅騎は普段以上に大きく跳躍した。それはドラゴンの頭上をも超える大きな跳躍。ドラゴンはそれを顔を上げて追いかける。


「そろそろ、だな!」


 雅騎は両手を天に突き上げる。と、次の瞬間、右手だけを覆っていた白銀の光が、両手に広がり、大きな光球を形成した。

 跳躍が頂点に達した時。雅騎はドラゴンに向け両手を突き出す。刹那。てのひらに広がっていた光球が勢い良く放たれた。


 ドラゴンはそれを見つめるが、避けようとはしない。それはこれまでの戦いから「相手の攻撃は自分にまともに効かない」と判断していたからだ。

 光球が直撃し、ドラゴンの頭から首にかけて光の爆発が起こる──が、無傷。

 ただ流石に多少まぶしさがまさったのか。ドラゴンは一瞬雅騎を見失い反撃できなかった。


 そんなドラゴンの頭部を、またも踏みつけ雅騎は再び大きく跳躍する。

 そして空中で反転すると、彼は大きく身体を屈めるような姿勢で地面に着地──できなかった。その瞬間、ずるりと足元だけが前方に滑る。


「しまった!」


 身体の勢いを殺せず、水しぶきを上げながら後転するように転がりだす雅騎に、エルフィは思わず両手を口元に当てた。

 何度か転がる中で、彼は腕や足で踏ん張り勢いを殺そうと試みる。

 結果、やや滑りながらもなんとか踏みとどまった雅騎。だがその状態では、すぐに次の行動には移れない。

 その隙を狙ったかのように、ドラゴンが大きく口を開くと、勢いよく豪炎の球を吐き出した。


『危ない!』


 直感的に避けられないと察し、エルフィは悲鳴に近い叫びを上げた。


  ──速水君!


 同じように叫ぶ佳穂。

 その瞬間、目に映る雅騎の姿が脳内で何かと重なった。

 それは記憶の最後。地面に倒れ伏し、ドラゴンの業火が迫りくる中、何もできなかったあの時の自分の姿。


 雅騎は死ぬ。あの時の私達のような、絶望と恐怖を感じながら。


  ──いやぁぁぁっ!!


 佳穂は必死に手を伸ばす。しかし、そこから天使の力が放たれることはない。

 エルフィもまた、彼の距離を詰める事もできず、ただその光景を見せつけられることしかできない。


 失う悲しみ。抗えない悔しさ。助けなければという本能。

 そんな数々の気持ちが入り混じり、佳穂の感情が抑えられなくなった瞬間。


  ドォォォォン!!


 雅騎はブレスを避けることもできず、そのまま業火に包まれた。

 絶望的なその光景に、エルフィはがくりと膝をつく。


  ──速水、君……。


 佳穂もまた、目の前の事実を受け止めきれなかった。そして、乱れた感情が失意の中に消えた時。ぽっかりと空いた心を埋めるように、突然脳内で多くの光景が蘇る。


  ──「大丈夫か?」


 笑顔を向ける雅騎。


  ──「いや、ちょっとそこで寝ててさ」


 頬を掻き困ったような顔で返す雅騎。


  ──「……今は、理由なんかより、やるべきことがあるんだろ? 御影」


 真剣な眼差まなざしで御影を見つめる雅騎。


  ──「皆がこうやって戦ってたってことは、過去にもこういうやつらと戦ってたって事だよな?」


 目線をドラゴンから外さずに、質問をする雅騎。


  ──「……まあ、何とかなるか」


 何か決意を固めた雅騎。


 そう。それは、封じられていた彼との時間。


  ──ああ……。


 思い出した記憶。

 だが、今は雅騎を失った今、それを喜ぶことなどできはしない。


 茫然自失のまま、涙を流す佳穂。

 彼女達は業火に包まれたその場所を、ただ見つめることしかできなかった。

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