第六話:月夜に真実は映るのか
エルフィはゆっくりと目を開くと、佳穂を見つめた。
『佳穂』
自分を呼ぶ声に、彼女はエルフィに視線を向ける。
彼女の表情に浮かぶ真剣さは変わらない。だが、どこか普段と様子が違う。
久しぶりに彼女を天使だと強く意識させる、凛とした表情を向けられ、佳穂は思わず返事を飲み込んだ。
『貴女は、先の戦いの真実を知りたいのですね?』
視線を逸らさず、強い意志を感じる口調で話し出すエルフィ。
彼女が自分のために何か決意をしたであろうことを、その言葉から察する。
気後れしていた気持ちを、
「……うん」
僅かな間の後の、短い肯定。
普段ならエルフィに尋ねたいことは山ほど浮かんだに違いない。しかし、佳穂はそんな雑念を捨て、ただ素直に答えだけを告げた。
向けられた眼差しに秘められた
『私は、貴女が望むのであれば、その望みを叶えてあげたいと思っています。ですが……』
一瞬の間を置き、エルフィは打って変わって申し訳なさそうな顔をする。
『私はある方と約束をしました。あの時の事を他言しないと。……それでも、私は佳穂に記憶を取り戻し、あの時のことを知ってほしいと思っています』
やや迷いがある淋しげな表情。
佳穂はそんな彼女の内にある葛藤を、ひしひしと感じ取ってしまう。
「無理は、しなくていいんだよ?」
思わず心配そうな表情で、エルフィに助け船を出す。
しかし、
『大丈夫です』
彼女は首を振って応えた。
『まず話をする前に、貴女達を騙したことを謝らないといけませんね』
「騙してなんてないよ」
謝ろうとする彼女に対し、佳穂は間髪入れず否定の言葉を挟む。
戸惑いを見せるエルフィに、彼女は純真無垢な笑顔でこう言った。
「私達のために隠してくれてたんでしょ」
騙すと隠す。
その違いは紙一重である。しかし佳穂は敢えてそう言い換えた。
それはエルフィの自責の念に対し、重々しく捉えないでほしい、という気持ちからではない。
──エルフィは気を遣って行動してくれたんだよね。きっとそう。
それは彼女の推測でしかない。しかし、佳穂にとってはそれがエルフィへの絶対的な
「だから、謝る必要なんてないからね」
ありがとうとは口にしない。
だが、その想いは佳穂の屈託のない笑みから十二分に感じられる。
この半年で何度もエルフィを慰め、励まし、信じてきてくれた彼女の変わらぬ意思を感じ。エルフィは改めて良い意味で呆れ、強く尊敬した。
『ありがとうございます』
今まで何度も彼女から言葉にされ、自身も何度も口にした言葉。エルフィは改めて、それを佳穂に送る。
言葉を貰い嬉しそうな顔をする佳穂に、エルフィも釣られて嬉しそうに目を細めた後、またも申し訳なさそうに苦笑する。
『少々話が逸れてしまいましたね。本題に入りましょうか』
「あ、そういえばそうだね」
道を正すエルフィの一言に、佳穂は授業を真面目に受ける生徒のような顔で彼女を見返す。
「えっと。エルフィは記憶がある……って事だよね?」
『ええ。その上で改めて伺います。貴女の記憶が欠けているのは理解していますね』
「うん」
『その記憶は、消された訳ではないのです』
「え?」
エルフィの突然の告白に、佳穂は思わず驚きの声をあげた。
『術者の言葉を借りるならば、封印したのだそうです』
「じゃあ、封印を解ければ……」
『記憶は取り戻せるはずです。ですが……』
少し言葉を濁すエルフィに、佳穂は思わず顔を覗き込む。
『私は、それを解呪することはできません』
「そうかぁ……。まあ、エルフィならそれくらいは試してくれてるよね」
何となく予想はしていたが、佳穂は彼女でも解呪できなかったと捉え、落胆をする。
しかし、それは事実とは多少異なっている。
『いえ。術者の事を想い、行動できなかったのです』
「そうなの?」
『はい……』
「そっか……」
エルフィは、佳穂がここで自身を責めるのではないかと少しだけ不安になった。
しかし彼女はやはり、どこか独特な感性を持っているのだろう。
佳穂はエルフィに、嬉しそうな笑顔を見せた。
「ちょっと安心した」
『え?』
「だって、そこまでエルフィが想ってあげる相手なんだもん。その術者さんも悪い人じゃないはずだよね」
こういう時、いつもエルフィは感じる。佳穂という人間の勘所の良さを。
そして、場を和ませようとする雰囲気が、本当に不思議なくらい、自分を優しく包み込んでくれると。
「つまり。約束もあるからあの時の事を口にできないし、記憶の封印も解きたくないって事よね?」
『できることなら、ですが……』
「術者さんの気持ちに沿いたいんでしょ。だったらそれで大丈夫だよ。ね?」
そんな励ましの声を掛けつつ、佳穂は彼女なりに何とかならないかを模索し始める。
だが、封印を解く心当たりがあるはずもなく、自発的に思い出そうにも、記憶は何度振り返ってもそこで消えてしまう。そんな八方塞がりな状況に、ただただ頭を捻るばかり。
一生懸命考え込む彼女を見ながら、エルフィは自分と術者しか知り得ない、あるやりとりを思い返す。
──あの方は、ここまで予見してくださっていたのでしょうか?
あれは術者なりの優しさだったのではと今更に感じ、エルフィは少し胸を痛めた。
勿論その話の真偽はわからない。また、予見したと思ったこともあくまで推測でしかない。
ただ、彼女も佳穂に感化されたのだろうか。術者の残した言葉が、偽りだと思うことはできなかった。
『あの方との約束を少しだけ
エルフィは心を決め、そう告げる。
「え? ほんと?」
予期せぬ希望の言葉に驚いた佳穂が、食い入るようにエルフィを見ると、彼女は静かに頷いた。
『私の見た、貴女の消された記憶の後を共有し、体験してもらうのです』
「記憶を共有し、体験する?」
普段あまり耳にしない単語の組み合わせに、佳穂はきょとんとしてしまう。エルフィはそんな彼女の反応に、表情を変えず言葉を続ける。
『はい。私達はそれを
「
ピンとこない佳穂は、意味もなくそれを復唱してしまう。
『
「それって、誰かに話すのと同じようなものじゃ……」
『ええ。ですが、直接話はしていません。……
「そんなことないよ! 約束は破ってないもん」
やや弱気なエルフィに、佳穂は笑顔でフォローする。
ただ、エルフィが心の中で、その行為が術者への背信となることに強く心を痛めていることまでは、察することはできなかった。
そんな折。佳穂はふとある事が気になった。
「えっと……それって、封じられた記憶の時間を見せる、というわけじゃないの?」
そう。記憶を共有できるなら、失った記憶の部分を見せればよいのでは、と疑問に思ったのである。
そんな素朴な質問に、エルフィはやや表情を曇らせた。
『貴女と私は、本来互いに同じ時間を過ごした記憶を持っています。もし、互いの記憶を共有した場合、貴女の中で記憶の
「記憶の、
やや重みのある言葉に、佳穂は一瞬背中に冷たいものを感じた気がした。
『はい。それは佳穂が
「でも、私の記憶は封じられているよね?」
『封じられているうちは良いのです。ですが、もし記憶の封が解けた時。結果として共有された
淡々と語られていくエルフィの説明。
その内容から感じられる危うさが、佳穂の心に現実として重くのしかかる。
『人間は決して天使ほど強い存在ではありません。
「それって……普通じゃいられなくなっちゃうかも、ってこと?」
『ええ』
「そんなに、危険なの?」
『はい。残念ながら……』
佳穂がその行為の危険さを感じ、思わずそう聞き返すと。エルフィはやや伏し目がちに、肯定してみせた。
『ただ、記憶を封じられた部分の後に、貴女が意識を失っていた記憶がない時間が存在します。その部分のみ共有することができれば、記憶の
「それは間違いないの?」
心から来る不安からか。強く念押ししてしまう佳穂に、エルフィは申し訳無さそうに首を横に振った。
『
弱気な返事を返したエルフィは、すっとベッドの横に立つと、窓の外の月をしばし見つめる。
そして。ゆっくりと振り返ると、彼女は寂しそうな笑みを浮かべた。
『ごめんなさい。貴女を思うあまり、危険な行為に及ぶところでした』
自身の危険な賭けに佳穂を巻き込もうとした事を痛感し、エルフィの決意が揺らぐ。
瞬間。
佳穂は、強く後悔した。
──エルフィなりに頑張って考えてくれてるのに……。
確かに危険な話かもしれない。だが、エルフィは術者との約束を少しでも守りつつ、しかしその中でも
佳穂はその気持ちを
『今の話は忘れて下さい。別の方法を考えましょう』
そうエルフィが口にした刹那。
佳穂は正座のまま姿勢を正すと、静かに息を
バチン!
「いったぁっ!」
佳穂は、自分の頬を両手で強く叩いていた。
『佳穂!?』
彼女の突然の行動に、エルフィは思わず強い動揺を見せる。
だが、彼女はそれに反応は返さず、次に「よし!」と両手を握り気合を入れると、改めてエルフィに真剣な目を向けた。
「お願い! その
『え?』
「私、忘れてた。エルフィは優しいから、術者さんにも私にも両方に気を遣いながら、色々考えてくれたんだよね」
『佳穂……』
急変した彼女の反応に戸惑いを隠せないエルフィに、佳穂はニコッと笑ってみせた。
「それに、共有してもらえば記憶は思い出せなくても、誰が助けてくれたか分かるんでしょ? だったらやらない理由ないもんね」
『確かにそうですが……良いのですか?』
立場が一転し気後れするエルフィに対し、佳穂は取り戻した笑顔のままこう応えた。
「うん。私、エルフィなら大丈夫って信じられるから」
その笑顔と言葉は、揺らぎ消えかけていたエルフィの決意と勇気に、改めて火を灯す。
「で、どうすればいいの?」
俄然やる気に包まれた佳穂が、興奮気味にエルフィに尋ねる。
そんな彼女にエルフィは、笑みを浮かべこう諭した。
『まずは貴女の気持ちを落ち着けないといけませんね。横になりましょうか』
「あ、うん……」
相当気持ちが逸っていたのを、その一言で察する佳穂。
エルフィがクスクスと笑うのを見て、ちょっと気恥ずかしくなり。そそくさとベッドに横になり、布団を被る。
その横に、エルフィがゆっくり腰掛けた。
「それで、どうすればいいの?」
布団から半分顔を出し、佳穂が問いかける。
『貴女は目を閉じて、体の力を抜いてください。それこそ、睡眠する時のような感じで結構です』
「エルフィはどうするの?」
『私はこのまま、貴女に
「
『私も人間相手では初めての経験なのでそこはわかりません。ただ、天使同士の場合、共有された相手は夢心地のまま睡眠状態となるので、そのまま朝を迎えるかもしれませんし、すぐ目覚めるかもしれません』
「そっか」
エルフィのちょっと困った顔に、佳穂は心配をかけまいと、普段通りに笑顔で応える。
「あと、何か聞いておくべきことはある?」
『はい。
「わかった。他には?」
『あくまで私の経験を共有されるだけですので、その記憶に介入する事もできません』
「うん」
『最後に。私が共有する部分の記憶を見終えるまでの間、
淡々と説明してきたエルフィだが、最後のひとつだけは、多少重々しい声で説明をした。
「……ん。わかった」
もしかしたら、自身が辛くなるようなシーンがあるのかもしれない。
そう感じとった佳穂は、静かに気持ちを引き締めた。
『では、そろそろ始めましょう。目を閉じ横になってください』
「うん。……あ」
『どうかしましたか?』
「もしものために……」
首を傾げたエルフィに、佳穂はまたニッコリ微笑んでこう言った。
「お休みなさい」
その言葉に釣られ、エルフィも思わず微笑み、
『お休みなさい』
優しくそう返す。
その言葉を耳にした佳穂は目を閉じる。
それを見届けたエルフィは、形容し難い、しかし耳に心地よい言語を呟きながら、佳穂の顔の上に
佳穂は淡く温かな空気を肌越しに感じつつ、急速に意識が失われていくのを感じていった。
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