第五話:奇跡で繋がれし二人
人は普段より寝すぎてしまうと夜眠れない、というのはよく聞く話であるが。
ましてや。家のように落ち着くわけでもなく、就寝を早々に強制される病院ともなると、尚更なのかもしれない。
四人で屋上で話した日の深夜。既に零時に差し掛かり、満月が南の空に
別室の御影と霧華が眠りについていたその時間。佳穂は未だ寝付く事ができなかった。
──困ったなぁ……。
寝付けない時に無理に眠ろうとしても、中々うまくいかないもの。
普段家でできる勉強や読書といった時間つぶしすらできない悪循環が、より彼女の寝付きを悪くする。
佳穂はスマートフォンにイヤホンを挿し、そこから流れるポップな邦楽を聞いて気を紛らわそうとした。しかし持て余した時間のせいで色々と考えが巡ってしまい、より頭が冴えていく。
こんな状況は、入院患者であれば
──確かに無事だったのは、嬉しい事よね……。
昼間、四人で話した時の事を思い出す。
記憶をなくしていた事実は、あの場で吹っ切れた。そう思い込んでいた。
しかし。持て余す時間が悪いのか。はたまた耳に聴こえる音楽が切ないバラードに変わったことがいけないのか。佳穂は急速に、割り切っていたはずのモヤモヤとした思いに、改めて
──助けてくれたのは、誰なんだろ?
佳穂がモヤモヤしている理由は、ただその一点に尽きる。
彼女は助けてくれた相手が善人であると信じきっていた。
無論そこに一切根拠はなく、どちらかといえば佳穂の性格からくる性善説に近い考えなのだが。
そんな相手を思い出すべく、自身の記憶を何度か
「エルフィ、起きてる?」
『はい』
佳穂の呟きに呼応し、エルフィは彼女の横になっているベッドの脇に姿を見せた。
それに合わせて佳穂もベッドで上半身を起こす。
「エルフィも、眠れないの?」
『そうですね』
佳穂の質問に、静かにエルフィは答えた。
「そっか……。あのね。今日の昼、目が覚める前に夢を見てたの」
『夢、ですか?』
「うん。エルフィと初めて会った日の夢」
佳穂のその台詞に、エルフィは僅かに心苦しさを表情に浮かべた。
が、丁度月明かりの逆光が、佳穂にそれを気づかせる事はない。
「あの日エルフィがいなかったら、私はもう生きてなかったかもしれないのよね」
『それは私も同じですよ。佳穂』
あの日の事を思い出しながら、しみじみと、静かに言葉を交わす二人。
その出会いは半年前の佳穂の自動車事故──そう。彼女が夢に見ていた、死を目前に控えたシーンに
* * * * *
彼女達二人の出会いは、完全に偶然だった。
あの日の夜。
怪我を負い逃走を余儀なくされていたエルフィは、傷だらけの身体で飛来──いや、その時には既に羽ばたく力もなく、地上に向け落下していた。
その結果、
傷だらけで動く事もままならず、地に伏しつつも何とか起き上がろうとするエルフィに向かい、一台の車が突っ込んでくる。
いや、厳密には突っ込んでなどいない。運転手からすればそれは、普段通りの安全運転なのだから。
この認識の差は、天使と人間という存在の差にあった。
天使を普段見かける人間はまずいない。その理由は天使の数が絶対的に少ない、という側面もあるが、もうひとつ、存在の構造が違うというのが大きい。
人が住む世界──便宜上人間界と呼ばれるこの世界で生きる人や動物、植物などは、この世界で物理的に形を成している。
対して、天使はこの人間界では、より精神的な意識体としての側面が強い種族だ。
意識体とは、意識化にのみ強く存在し、肉体が存在しないこと。人間界で例えれば霊や魂といった存在に近いのだ。
勿論、存在が近いとはいえ、実際天使の波長はそれらとは異なる。
そのため霊感が強い人間であれば見ることができる、というわけでもない。
人間は天使を見たと、多くの書や絵にその記述を残してきた。だが、実際に人間が本物の天使を認識すること自体、非常に稀な事なのだ。
しかし。同時に厄介なのは、天使とは霊や魂と違い、人間界では完全な意識体ではない、ということ。
天使がこの人間界に存在するにあたり、姿としては意識体の側面が強く、存在を確認することは非常に難しい。
だが、同時に天使は人間界の
つまり、人間界では『姿は見えないが肉体を持つ者』。
結果としてエルフィはあの瞬間、非常に危険な状態にあった。
普段であれば己の力で何らかの回避策を取ることも容易だったであろう。
しかし、その時の彼女は傷付き過ぎていた。車を避ける力もなく。荒い息をしながら。危機を察しても諦めることしかできない。
彼女は苦々しい視線を車に向け、絶望と共に死を待つ運命……の、はずだった。
その運命を変えたのが佳穂だった。
たまたまその道を通りかかった佳穂の目には、何故かエルフィが映っていた。
姿から人ではないと感じ。彼女の服や翼に染み出す血の跡から傷が深いと判断し。車が迫り彼女が危ないと察した、その瞬間。
本能というべきか。
はたまた、課せられた使命でもあったのか。
佳穂は迷いなく、その危険な空間に身を投じ、エルフィを突き飛ばしていた。
結果起こる現実。それが彼女が夢で見た展開に繋がる。
命を助けられたエルフィ。身代わりになるように道路に傷だらけとなり、血まみれの姿で倒れている佳穂。
お互いを知っているわけでもない。相手が人成らざる者であることも分かっていたはず。それでも迷いなく自分のために命を差し出し、消えかけそうな生命を相手の無事を喜ぶ事に使う。
そんな彼女の優しさは、エルフィの心を大きく揺さぶった。
──この人間を助けたい。
エルフィは強く願う。
だが、あの時。彼女は自身を維持するだけでも精一杯であり、目の前の少女を助けることも難しい状況だった。
それでも、彼女を救うことができるのか。
……脳裏にひとつだけ、手段が浮かんだ。
それはエルフィにとって利益などなく、存在も危ぶまれる選択。
普段であれば、良しとはしなかったであろう。
しかし。
運命に導かれたのか。
はたまた、そんな宿命を背負っていたのか。
佳穂と同じように。エルフィは彼女を救うため、迷いなく
──
それは天使自身を人間に宿す行為である。
授かる力は宿した天使により様々だが、そもそも天使を宿すということは、人間に天使自身の生命を宿す事と同じ。
お互い瀕死であったとしても、強大な天使の生命を宿す事で、人間側は飛躍的に回復することができる。
エルフィ自身を佳穂に宿し、生命を繋ぐ。
この選択をエルフィが取ったことで、結果として佳穂は救われたのだ。
そして。
そこにはもうひとつの奇跡が起きた。
本来
だが彼女達は、力のバランスこそ異なれど、奇跡的に、お互いが生きる事を許されたのだ。
ただ。その代償として、二人の身体は生命の鎖で繋がれた存在となり、お互い遠く離れることができなくなってしまったのだが。
* * * *
『……私を救ったことを、後悔していませんか?』
この半年間。不安で言葉にできなかったことを、エルフィは小声で尋ねてみる。
佳穂はその質問にちょっと驚いた後、普段と同じ笑みを浮かべた。
「全然。むしろ助けたはずなのに、結果助けられちゃって、エルフィも不自由になっちゃったでしょ。それは今でも申し訳ないなぁって思うけどね……」
笑顔ではあるが、言葉から僅かに佳穂の心苦しさを感じる。
エルフィはそんな彼女の優しさにはにかむと、ベッドの空いた場所に腰掛けた。
二人の身長差のため、エルフィは自然と佳穂を見下ろす形となる。
『良いのですよ。私も貴女を助けたことに後悔などしていませんから』
エルフィは聖母のような微笑みを浮かべ、佳穂の頭を撫でた。
予想外。だが嫌ではないその行為に、恥ずかしげに佳穂は
「でもほんと、助けた相手がエルフィで良かった」
『何故ですか?』
「優しくて、いい人だから」
それは紛れもない本音。
だが、同時にそれは、
『人では、ないのですけどね』
恥ずかさをごまかすように、冗談交じりにエルフィが言葉を返すと、互いに相手の顔を見て、笑みを交わした。
「……昨日、私達を助けてくれた人も、優しい人だったのかな?」
『どう、でしょうね』
突然。佳穂は自分が考えていた疑問に話題を切り替える。
だが、あまりに唐突だったせいなのか。エルフィが言葉を濁すと、彼女ははっとして、ばつの悪そうな顔をした。
「あ、ごめんね。記憶がないのにそんなこと聞かれても困っちゃうよね」
愛想笑いをしながらごまかす佳穂だったが、エルフィの言葉が続かない。
その違和感に気づき彼女を見上げると、真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
なぜそんな表情をしているのか。
佳穂はその意図が分からず、声を掛けられない。
木々が風でそよぎ揺れる音と、虫達の鳴き声。窓の外から聴こえる音のみが周りを支配して数秒。
『……気になりますか?』
普段より低い声で、エルフィがそう尋ねる。
「まあ……気にならない、って言ったら、嘘になるかも」
言葉を選びながら話していた佳穂は、掛け布団の上に正座を崩す姿勢で座り直した。
『もし記憶が戻ったら、佳穂はどうするのですか?』
「ええと……聞いても笑わない?」
『はい』
エルフィの返事に、佳穂は数秒沈黙した後、再び彼女を見上げると、こう続けた。
「お礼が言いたい、かな」
『……それだけですか?』
「うん」
『記憶を消した相手であっても、ですか?』
「助けてくれたのは変わらないもん」
矢継ぎ早の質問にも、迷いなく答える。
そんな彼女の答えに、エルフィは目を細め、笑みを
「ま、まあ、流石に相手が悪人だったらちょっと考えるけどね」
空気が普段と違うエルフィにどう接すればよいか分からず、佳穂は歯切れ悪くそう口にすると、視線を逸し、窓の外の月に向くように目を背ける。
苦笑する彼女の本音を聞き、エルフィの心が痛む。
だが、本音を知ってしまったからこそ。
ゆっくりと。
心の天秤が、ある一方に傾いた。
それもまた、心痛める茨の道。
だが。
──申し訳ございません。
目を閉じ、何者かに謝罪した彼女の心には、ひとつの決意が生まれ始めていた。
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