第四話:私達は、生きている

 上社中央病院かみやしろちゅうおうびょういん

 七階建ての真新しいこの病院は、ここ上社町かみやしろちょうだけでなく、近郊でもかなり大規模な病院である。


 そんな病院の屋上へと続くスロープを、三人はゆっくりと上っていく。


「ふぅ……」

「霧華、大丈夫?」


 車椅子の隣で、肩で息をしながら歩みを進める霧華を見て、佳穂は心配そうに声を掛ける。

 彼女の優しさに、珍しく霧華は僅かに笑みを返すと。


「心配しないで。貴女だって車椅子とはいえ、まだフラフラするんでしょ」


 そんな言葉で、目覚めたばかりの彼女を気遣った。


「うん。でも私は御影に押してもらってるだけだし……」

「とはいえ、佳穂が一番疲弊ひへいしていたのは確かだからな。無理はさせられん」


 佳穂の乗った車椅子を押す御影が、普段通りの明るい声をかける。

 そのままスロープを上がり終えた所で、南側のフェンスに車椅子を寄せ固定すると、佳穂を挟むように、御影と霧華は両脇に立った。


 屋上から見える景色は、秋晴れの穏やかな空と、少しずつ紅葉に染まり始めた美しい木々達によって、癒やしの空間を提供している。

 そんな中。遥か南数キロ先に見える神麓公園かみふもとこうえんだけが、木々や施設が焼け焦げ、警察や消防が現場検証のため封鎖しているという、折角の秋を邪魔するような姿で存在していた。


 穏やかな風が一瞬強くなり、三人はそれぞれ頭を抑える。


「ちょっと肌寒いわね」

「流石にこのパジャマではな」

「そうだね」


 強い風はすぐに止んだ。

 三人は一度顔を見合わせると笑みを浮かべた。そして誰が合図するわけでもなく、自然に遠くの神麓公園かみふもとこうえんへと目をやった。


「私達、生きてるよね?」


 ぽつりと、佳穂が口にする。


「当たり前だ」

「……でも、どうやってあの状況で生き残ったの?」


 肯定を返した御影に、佳穂は先程病室で覚えた違和感を続けて口にした。

 そう。彼女の記憶は途中で消えていた。それは完全に四人が追い詰められ、ドラゴンが最後のブレスを叩き込もうとする絶望的な光景の直後である。

 感覚的にはすうっとフェードアウトし記憶がなくなった、と言ったほうが自然だろうか。

 佳穂の疑問に、霧華が残念そうな表情でため息をく。


「やっぱり貴女も記憶がないのね」

「霧華も?」

「ええ。勿論御影もよ」

「残念ながら、な」


 各々同じ状況と知り、三人はやはり、といった顔をする。

 佳穂は軽く周囲を見回し、自分達以外に誰もいないことを確認した後。


「エルフィ」


 彼女の名を呼んだ。

 刹那。佳穂の身体をうっすら光のオーラが包んだかと思うと。その光はふわっと彼女から上方に浮かび上がり。そこに天使の翼をはためかせた、透き通ったエルフィが姿を現した。

 彼女の実体は徐々に透明度を失い、ほぼ視認できるほどの姿になったところで、ゆっくりと佳穂の後ろに舞い降りる。


「エルフィも、昨日の記憶はないの?」

『……はい。皆さんと同じですね』


 佳穂の質問に、少々うつむき加減でエルフィも答える。その回答を予想していたとはいえ、三人は落胆の表情を隠せなかった。

 霧華はまぶたを閉じ、顎に手を当て、顔を少し上に向け考え込む。


「とりあえず記憶が消えた理由はさておき。まずは仲間から聞いた状況から整理していきましょうか」

「何か分かったの?」

「ええ。それもそれで、ちょっと不可思議なのだけど」


 また少し、強い風が吹く。他の三人は風を避ける仕草をするが、霧華は姿勢を変えず公園の方を向いたまま、風が吹いていないかのように瞑想にふける。

 そして。少しして風がまたそよ風に戻ったところで、ゆっくりと口を開いた。


「私達が経験したドラゴンとの戦いで、公園が火災になったのは記憶にあるわよね?」

「あの炎の中での苛烈な戦いを忘れるはずなどない」


 強い口調で御影が言葉を返す。


「仲間達が駆けつける前、かなり遠間でも分かる位の火の手に包まれた公園を見ているわ。そして途中から突然、公園付近で雨が降り出したらしいの」

「雨……。私達の記憶にはないよね」

「そうだな。しかも昨日は快晴だったはずだぞ」


 お互いの記憶を再確認するように、佳穂と御影は顔を見合わせた。


「ええ。そして降り出してから少しして、突然公園に落雷があったそうよ」

「落雷だと!?」


 御影が思わず叫ぶ。

 落雷を間近で経験したものなら分かるだろうが、耳をつんざく轟音や光は、眠っている者を目覚めさせるに十分なものだ。しかし御影の記憶の中には勿論、その光も音も一切残ってはいない。


「それでも目覚めなかったってことは……」

「余程の気の失い方をしていたか……。または強制的に眠らせられていた、という可能性もあるかもしれないわね」

『確かに可能性はあると思います。ですが……』


 佳穂の後ろから、エルフィの声が届く。


『天候に関しては最近は急に変わることも多くあります。また落雷も、急な夕立で充分起こりうる話です。これらは自然な話にも感じますが……』

「勿論よ。だけれど……」


 霧華は瞼を開き、眼鏡を一度手で上げ直すと、三人を視界に収めるように体ごと向き直った。


「後にも先にも雷鳴も稲光いなびかりも、その一度きりだったそうよ」

「一度だけ? 雷ってだいたい何度も鳴っているほうが多いよね?」


 佳穂の不思議そうな声に、霧華は頷いてみせる。


「しかも落雷の跡は噴水のあった辺り。つまり私達がドラゴンと戦っていたあの場所にあったそうよ。そして仲間が着いた時には既にドラゴンの姿は跡形もなかった。つまり……」

「落雷でドラゴンが倒れたというのか?」


 御影も考え込みながら、推測を口にする。それに霧華は三度みたび頷く。


「可能性は、高いと思うわ」

「だ、だが。そもそも我々はドラゴンのブレスでられる直前──」

「そのことだけど」


 戸惑いを隠せない御影の言葉を遮ると、霧華は淡々と説明を続ける。


「私達が発見された時、ドラゴンと戦っていた噴水跡からかなり離れた場所に倒れていたそうよ」

「それは本当なのか?」

「ええ。しかもその場所は、私達がドラゴンと対峙していた向きの背面側だったのよ」

「偶然後ろに飛ばされるって、普通に考えたら起こり得ないよね?」

「そうね」


 霧華は再び身体をフェンス側に向け、遠方の公園を見つめる。


「公園には私達が倒れていただけ。仲間が他の人影を目撃した報告もないわ。だから結局、推測しかできないけれど……」


 霧華は認めたくない、といった複雑な表情を浮かべた後、少し間を開け、


「誰かが私達を助け記憶を消した、と考えるのが、やはり自然だと思うわ」


 そう彼女なりの推論を口にした。


「……ということは、我々の活動を誰かに見られた、という事なのか?」

「そうなるよね。だけど……」


 御影の質問に、佳穂は言葉を濁し少し考え込む。


  ──助けられた人から記憶を消されているとしたら……。


「もし本当に、助けてくれた人がいたんなら。きっとその人はいい人だと思う」

「人の記憶を消すような相手がか?」


 佳穂の憶測に、ちょっと怪訝そうな顔する御影。

 そんな彼女に、佳穂は真面目な顔で頷いてみせる。


「……確かに、佳穂の言うとおりかもしれないわね」


 同じように考え込んでいた霧華は、珍しく根拠が薄い意見に同意した。

 一人意見が食い違った御影は、表情を変えず霧華を見る。


「何故そう思うのだ?」

「記憶を消せるというなら、勿論悪意を持って使われる事は十分に考えられるわ」

「であろう?」

「でも考えてみて。もし悪意を持った相手だとしたら、あんな危険な戦いにわざわざ介入するとは思えないのよ」


 三人の覚えている記憶の範囲でも、御影が先にと表現したとおり、恐ろしく強大な力を持った相手に、非常に苦戦した記憶ははっきりと残っている。しかも炎の壁に囲まれるような、逃げ場にすら困る劣悪な状況下でだ。


 その危険さを肌で理解していた彼女達だからこそ至った推測。それは御影でも確かに、わざわざ飛び込みたいような状況でない事は十分理解できた。

 だからこそ、霧華の意見に納得はできる。だがそれでも。自分の意見が否定される事への不満が拭えない。


『例えばですが。より強大な力を持つ悪意ある者がドラゴンを使役しえきしようと合間に入り、己を知られたくないと記憶を消した、という可能性もありえますよね』


 御影の感情をみ取ったのか。エルフィが彼女の気持ちを納得させる発言をする。

 霧華は振り返ることなく、「そうね」と短く返す。だが。


「でも、それならわざわざ私達を助ける必要はないと思うわ」


 その先に続いたのは、肯定ではない。

 とはいえ、それもまた納得はいくものだったためか。


「確かにドラゴンが目的なら、それこそ私達が死んでいる方が都合がいいかも……」


 霧華の解釈に、佳穂も納得したように頷いた。


「御影の言いたい事もわかるし、結局どんなに私達が考えても、この話は推測の域を出ないわ。ただ……」


 一瞬の間を置き、霧華は言葉を繋げる。


「私達は生きている。その事実だけは変わらない」


 その言葉を待っていたかのように、風がまた強く吹く。

 しかし。彼女達はその風から身を避けようともせず、ただ遠間の公園を見つめ続けていた。


「そう、よね……」

「つまり。くよくよ考えても仕方ない、というわけだな」


 霧華に続き、佳穂と御影が気持ちを素直に言葉にする。が、流石に御影の言葉は楽観的すぎると感じたのだろう。

 ふぅっとため息を漏らすと、霧華は呆れたように彼女を見た。


「御影みたいに考えすぎないのはどうかとは思うけど、今は同感ね」

「霧華も相変わらず、一言余計だぞ」

「……フフッ」


 御影に視線を向けた霧華は、久しぶりの彼女の不貞腐れた顔を見て、思わず小さく笑う。

 そんな珍しい霧華を見て、佳穂とエルフィも釣られて笑みを浮かべた。


  ──そうよね。今は生きてることに感謝しよう。


「何故そこで笑うのだ」

「ごめんなさい。貴女らしいと思っただけよ」

「……どう聞いても馬鹿にされている気がするのだが」

「そこはご想像にお任せするわ」


 笑いをこらえきれない霧華と不満げな御影。普段と同じ二人の小気味良いやりとりに、佳穂は日常に戻ってきたという安心感を覚えたのだった。


* * * * *


 時を同じくして。

 上社町かみやしろちょうから遥か遠く。移動に半日は掛かるほど離れた山奥の霊園。


「よっ。遅れてごめんな」


 秋晴れに染まる空の元。

 薄手の茶色いジャケットと紺のジーンズに、白いシャツを着た雅騎が、手桶と仏花、線香を携え、ひとつの墓の前に立ち、声を掛けた。

 しかしそこには言葉を返す誰か居るわけではなく、墓石だけが鎮座するのみ。

 そこには『白姫しらき家之墓』と掘られている。


 ──白姫しらき深空みそら

 そう。雅騎を助けた少女は、ここに眠っている。


 墓前には既に仏花が供えられていた。雅騎はそれが、昨日の命日に墓参りをした、深空みそらの家族が供えたものと気づき、目を細める。


「しっかしさぁ」


 雅騎は慣れた手つきで手桶を置き、柄杓で水を掛け、墓掃除を始めた。

 彼の顔や手には、多少手当はしてあるものの、切り傷や擦り傷、火傷の跡などが生々しく残っている。


「今まで夢にもほとんど出てきたことないのに。まさかあんな時に出てくるってさ」


 そこにいないはずの、しかしそこにいるかもしれない深空みそらへ、さも存在するかのように彼は語り出す。


「どうせなら落ち着いて、ゆっくり深空みそらちゃんと話したかったのに」


 想い出の相手へ、本音を伝えるように語る内に、色々と何か思い出したことがあるのだろうか。

 彼は無意識に、優しさと淋しさが入り混じる笑みを浮かべた。


「まあでも。お陰でみんなも助けられたし、俺も無事だったよ」


 持ってきた仏花を継ぎ足し線香を供え終えると、足を閉じたまま腰を落とし、ゆっくり目を閉じ墓に手を合わせる。

 枯れ葉が風で舞い上がる。が、雅騎はそれに微動だにせず。暫しの時間、目を閉じ拝む。

 合掌からしばらくして。彼はゆっくりとまぶたを開くと、笑顔を墓石に向けた。


「ありがとう」


 そう言って雅騎は立ち上がると。


「とはいえ。当分ああいうのはゴメンだけどな」


 帰り支度をしながら、彼は思わず苦笑し、そう本音を口にした。


 速水雅騎は知っている。


 自分が異端の力を持っていることを。

 知られれば人々の奇異の目を向けられることを。

 奇異の目を向けられる事への辛さを。

 そして。

 だからこそ自身の心に、目立たず、知られず、人並みに静かに暮らしたいという願望があることを。


「じゃ、またな」


 雅騎は踵を返すと歩きだす。

 と、その矢先。一度彼が歩みを止め、ふっと寂しそうに笑う。


「謝らなくたっていいさ」


 名残惜しい気持ちを抑え、ゆっくりと霊園を歩み去っていく雅騎。

 背後に彼女の気配がしたような気もするが、振り返りはしない。


『ごめんね……』


 雅騎が最後に耳にしたように感じた深空みそらの言葉。

 彼がその言葉をとがめることはない。

 しかし。

 この謝罪の真意を彼が知るのは、もう少し先の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る