第三話:思い出す過去。思い出せぬ何か

 佳穂の耳に、車が脇を急発進する音がした。

 と、同時に遠くで「ひき逃げだぁっ!!」と叫ぶ、男の声が耳に届く。

 彼女はその叫び声で意識を取り戻し、まぶたを開けようとする。しかし、思うように力が入らない。

 それでもなんとか力を振り絞り、僅かにまぶたを開くと。目に映ったのは、傷ついた翼を持った女性の驚く表情だった。


「だい、じょう……ぶ?」


 意識が戻るのと同時に全身に激しい痛みを感じ、同時に額や身体にぬるりとした液体が流れていく感触に気づく。

 痛みで呼吸をするのも辛い。アスファルトの道に横たわった身体を、動かすこともままならない。

 しかし。それでも見知らぬ彼女の無事を見て、嬉しそうに。心配させないように。佳穂は必死に笑みを浮かべた。


『私が視えるのですか!?』


 思わずそう叫ぶ女性に頷く力もない。ただ、必死に命の灯火ともしびを笑顔に変え、心配させまいとする佳穂の姿が、女性を悲痛な表情に変える。


「無事で、良かっ……た……」

『何故私を助けたのですか!?』


 女性の言葉に答えを返せぬまま。佳穂はただ、彼女の無事に安堵した。


 そのせいだろうか。

 緊張の糸が、切れた。


 痛みが少しずつ薄まり、息も絶え絶えになっていく。血まみれの佳穂を群衆が囲み、数人が彼女を救護せんと駆け寄ってくるのが見える。しかし誰も、助けた女性の存在には気づかない。

 少しずつ、何かが抜け落ちていく。

 今までにないふわふわとした感覚。力が抜け、僅かに開いたまぶたもゆっくりと閉じ。再び暗闇の世界が彼女の目の前に広がる。


「わた、し……死んじゃうの、かな……」


 耳に届く周囲の群衆の喧騒も遠ざかっていく。

 そんな中。誰に言い聞かせるでもない、か細い佳穂の最後の言葉。


 それに応える者はいない。

 ……いや、いないはずだった。


『いいえ。貴女を死なせはしません。私の命に替えてでも』


 力強い、そして決意ある声が聞こえた気がした。そしてそれが、佳穂の意識に残る最後の言葉だった。


* * * * *


 どれだけ暗闇の中で過ごしただろうか。

 佳穂の耳に、また何者かの声が僅かに届く。


「……どうしてこんな目にばかり……」

「大丈夫だよ、母さん。お医者さんも命に別状はないって言っているから」

「でも……」


 その悲痛な声の主を佳穂は知っている。何故ならその声は、生まれてからずっと耳にしてきた、大事な人達の声なのだから。


「お父、さん……お母さん?」


 ぼんやりとした意識の中、佳穂がゆっくりと呟く。


「佳穂!?」


 声に反応し、自身の名を呼ぶ両親の声を改めて耳にし、彼女はゆっくりとまぶたを開こうとした。

 瞬間、隙間から飛び込んできた光の眩しさに、思わず顔をしかつつも。少しずつ目を慣らすように時間をかけゆっくりと目を開くと。見覚えのある、白い天井と蛍光灯が見えてきた。


「佳穂!!」


 震えた、しかし嬉しそうな声に彼女が視線を向けると。


「佳穂ぉぉぉぉっ!!」


 目覚めた娘を見て、ベッドの上に身を乗り出すようにして抱きしめてきたのは、母親を慰めていたはずの父親だった。後ろで立ち尽くす母親もまた、嬉し涙を見せている。

 佳穂は二人をぼんやりと見ながら、周囲を見回す。

 そこは四畳半ほどの部屋の、鉄パイプで組まれた無骨なベッドの上。気づけば、自身は普段着ている薄いピンク色のパジャマ姿に着替えさせられ、横になっている。


 約半年前にも経験したばかりの光景。

 そのデジャブ感が、佳穂の思考を急速に覚醒させ。同時に、父に強く抱きしめられている身体に走る痛みを感じ出す。


「お、お父さん。い、痛いよ……」

「あ、ああ! すまんすまん!」


 娘の苦笑いと遠慮がちな声で我に返った父親は、慌てて彼女を解放した。


「ここは、病院?」


 はっきりと意識を取り戻した佳穂が、上半身を起こしながら、両親にそう尋ねると。


「そうだよ。お前が昨晩あった公園の火災に巻き込まれたって連絡を受けたときは、本当に驚いたんだぞ」


 娘の無事に安堵した父親は、先程とうって変わり、笑顔でそう答えた。


「公園の火災に?」

「そうよ。あなたとお友達の霧華ちゃんと御影ちゃんが、一緒に倒れてたって聞いたわ」

「火災……」


 両親の説明を聞き、何となく奇妙な感覚を覚えた佳穂は、思わず首をかしげると、神妙な顔で少しずつ記憶を辿たどる。


  ──そうだ。昨日は二人と、磁幻獣グラジョルトが出そうだからって、神麓かみふもと公園こうえんに……。


 行った記憶はあった。一般人が近づかないよう、御影謹製きんせいの人払いの札で公園の周囲に結界を張り。霧華の仲間に三十分経っても報告がなければ、公園に集まるよう伝え。普段通り周到な準備を整え、公園に入り数分。


  ──上空から、ドラゴンが現れて……。


 噴水の真上に姿を現し、そのまま巨体で押しつぶし。瞬間、噴水は派手に粉砕され、姿を消した。

 今までにも様々な磁幻獣グラジョルトと戦ってきた彼女達。今までにない大きさの相手に不安を覚えながらも、果敢にドラゴンへと挑んでいった。


 しかし。

 各々が繰り出す攻撃を物ともせず、相手は炎のブレスで公園を炎の海にしていく。

 戦い続ける中で、ドラゴンに手も足も出ず、彼女達は傷や火傷を負い、熱さに心身をがれ……。


「あれ?」


 と、瞬間。ある事実にいきつき、思わず佳穂は疑問の声をあげた。その声に両親が顔を見合わせる。


「どうしたの? まだどこか痛い?」


 母親の心配そうな声にはっと我に返ると、彼女は慌てて首を振った。


「ち、違うの。そういえば、御影と霧華は無事なの?」

「ええ。あなたと同じで傷や火傷はあったようだけど、幸い大事には至らなかったって聞いたわ」

「そ、そう。良かったぁ」


 ほっと笑顔を見せる娘に、両親もつられて笑みを浮かべる。

 しかし佳穂のその台詞と笑みが、彼女の戸惑いと動揺を隠す仮面であることまでは、両親も気づきようがなかった。


  ──何で……。何でなんだろ?


 表情には出さないものの、佳穂の中で、ある疑念が大きくなる。


  コンコンコン


 と、そんな鬱々うつうつとした気分の彼女の耳に飛び込む、部屋のドアをノックする音。


「は~い」

「失礼いたします」


 母親の声に反応し、丁寧な挨拶を返す若い女子の声がした。引き戸型のドアがゆっくり開き、そこから顔を見せたのは……。


「霧華! 御影!」


 そこには見慣れた二人が、各々パジャマ姿で並んで立っていた。

 霧華は落ち着いた水玉柄のワンピースタイプの。御影はもこもことした白と黄色のストライプの、どちらも少女らしい格好。

 中々可愛げのある格好、のはずなのだが。御影の顔には絆創膏ばんそうこうが貼られ、霧華の頭にも包帯が巻かれており。残念ながら、愛らしさ以上に痛々しさを強く感じさせていた。


「やっとお目覚めね」


 自身の怪我の痛みも、佳穂の無事に対する安堵も表に出さず、普段通りに平静を装う霧華。そんな彼女の顔を、にんまりしながら御影が覗き込む。


「随分冷たい言い方ではないか。今朝からずっと佳穂の目が覚めぬと、心配していたようには見えんな」


 御影の一言に、僅かに顔を赤らめ、彼女を睨む霧華。だが、すぐ顔を背けると、不貞腐ふてくされた顔で腕を組む。


「貴女だって、心配で随分落ち着きなかったわよね?」

「そ、そんなことはない! 私は佳穂を信じてベッドでドンと構えていたぞ。嘘ではないぞ、嘘では!」


 別に誰かを心配することは恥ずべきことではないと思うのだが。どうもこの二人は異なるらしい。

 秘密の話を暴露され、御影は顔を真っ赤にしながら、必死に否定する。

 二人の温かさと面白みがある態度に、佳穂も両親も思わず笑みを浮かべた。

 そんな中、ふと佳穂は思う。


  ──二人と話せたら、もしかしたら……。


「お父さん。お母さん」


 彼女は両親に顔を向けた。


「ちょっと、外の空気を吸ってきても、いいかな?」


 それを聞いて、両親は思わずお互いの顔を見合わせた後、戸惑った表情で娘に向き直る。


「何言ってるの? あなた今さっき目を覚ましたばかりなのよ?」

「でも……」

「母さんの言う通りだよ。お医者さんも『目覚めても安静にさせておくように』って言っていたし……」


 子を心配する両親の気持ちから来る、数々の否定の言葉。それは至極しごく最もなものであり、佳穂もまた、そんな親心おやごころを痛いほど感じていた。

 戦いで見せた強い意思とは異なり、両親の想いを無下むげにしてまで、気持ちを押し通すような発言をできるはずもなく。


  ──やっぱり無理だよね……。


 彼女は落胆した表情でうつむいた。

 そんな佳穂を見て、御影と霧華は何かを察したようにお互い目配せする。


「ご両親には大変不躾ぶしつけな話やもしれませぬが」


 突然。御影が珍しく非常に丁寧な言葉づかいで口を挟む。

 それに反応し、両親は彼女に顔を向けた。


「彼女の願い、叶えてやってはいただけませぬか?」


 申し訳無さそうに語る御影に、両親は再度顔を見合わせてしまう。


「先程の話を聞いていただろう? 幾ら友達の頼みでも、娘を歩かせるには……」


 父親が渋い表情で、代表して苦言を呈した。

 しかし。


「であれば、私が佳穂を車椅子で連れて行く、というのはいかがでしょう?」


 御影は引き下がらずに真剣な表情でそう口にする。

 その言葉に、両親は改めて御影を見つめた。彼女達の姿もまた、佳穂同様に傷や包帯の痛々しさを見せている。


「あなた達だって酷い怪我をしているじゃない」

「心配は無用です。特に御影は怪我も少ないですし、一番体力もあって元気ですから」


 母親の心配する言葉に返答したのは霧華だった。御影はそれを聞き、会話に割り込まれたことに……ではなく。その言い回しにカチンと来てしまう。


「一番とはなんだ一番とは。霧華も十分動けるではないか」

「私は貴女と違って繊細なのよ。それに貴女が言い出したことなのだから、そのくらいの責任は持てるのでしょう?」

「無論だ!」

「なら大丈夫ね」


 登場したときと同じように表情をころころ変える御影と、反対に落ち着いた態度の霧華。まるで漫才師の掛け合いかのような小気味良い会話をすると、一転。


「それに佳穂も、御影なら信頼できるわよね」


 霧華は佳穂に向き直り、同意を求めた。急に話を振られた彼女は、霧華と目線を交わすと、


「……うん」


 視線に込められた意図を感じとり、真剣な表情で頷く。


「どうか、お願いします」

「無事彼女はお返しいたします。ですから何卒なにとぞ!」


 霧華と御影も釣られるように、その場で深々と頭を下げる。

 そんな彼女達を交互に見ていた母親は、改めて佳穂を見ると。


「じゃあ、お願いしてもいいかしら?」


 父親にとっては驚愕の回答を、呆れた笑顔で口にした。


「母さん!?」

「いいじゃないお父さん。お友達が一緒なら心配ないでしょ」

「しかし……」


 やはり、こういう時に強いのは母親なのか。

 戸惑いながら母親を見ていた父親だが、その雰囲気から譲らないと察したのだろう。深くため息をくと、仕方ないといった表情をする。


「わかった。その代わり皆あまり無理をしないように。あと、何かあったらすぐ連絡するんだよ」

「うん。ありがとう! お父さん!」


 ぱぁっと表情を明るくし、元気な声でお礼をいう娘の表情に、満更でもない笑顔になる父親。それはまさに、世間の父親が娘に甘くなる理由がよく分かる一コマであった。

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