第十一話:何時もと違う雰囲気
作戦会議から数日後の日曜日。
穏やかな秋晴れの中、柔らかい日差しが降り注ぎ、過ごしやすい暖かさを感じる昼下がり。
佳穂は
白い長袖のシャツにグレーのワンピースを重ね着し、茶色のポシェットを掛けたその姿。普段と違い肩まで伸びる栗毛色の髪も、耳の後ろ辺りから左右に三編みに束ねている。
見た目の印象は非常に地味に感じるが、これでも彼女としては精一杯のおしゃれをしていた。
佳穂はキョロキョロとしながら、
「確かこの辺……あっ」
ふとその視線の先、十字路の角に、喫茶店らしいやや西洋風の外観をした小さな建物が目に留まり、一度歩みを止めた。
入り口の横に掛けられた、紅茶を入れるポットを模した木製の看板に書かれた、『Tea Time』の文字。それは恵里菜から聞いた店の名前そのままだ。
──あの店、だよね。
佳穂は少しの間、遠くでその店を見つめていたが、一度静かに目を閉じ大きく深呼吸する。
緊張で早まった鼓動を抑えるように、ゆっくり息を吐くと、
「よし」
決意を秘めた表情で歩き出した。
* * * * *
カラーン
店の扉をゆっくり開けると、ドアベルが軽い音を立てた。
「いらっしゃいませ」
カウンター越しに、二十代半ば位だろうか。長い金髪を腰まで伸ばした、やや落ち着いた雰囲気の女性が声をかける。それに導かれるように、開かれたドアからおずおずと佳穂が姿を現した。
「一名様かしら?」
「え? あ、はい」
行きつけの店ならともかく、喫茶店とはいえ初めて入る店。先程決めた決意は何処へ行ったのか。佳穂は自信なさげに生返事をした。
「ちなみにこの店、コーヒーは置いてないけれど大丈夫?」
「あ、大丈夫です。紅茶が好きなんで……」
雰囲気から一見さんと察し、緊張をほぐすように親しげに店の注意事項を口にした店員に対し、佳穂はそう返事をした。彼女の言う通り、カウンター後ろの棚に並ぶ、紅茶の茶葉を詰めた瓶の数々が目に留まる。
「空いているところに自由に座って頂戴」
「はい。ありがとうございます」
丁寧に礼を返した佳穂は、改めて店内を見回した。
レジスターが置かれた入り口のショーケースにはケーキが並び、カウンター席以外にテーブル席が四席窓側にあった。
お客は想像していたより少なく、今見る限りでもカウンター席に座るスーツを着た女性客と、入口に近いテーブル席で談笑する主婦らしき二人組がいるだけ。
佳穂は少し思案した後、店の一番奥の席のソファーに腰を下ろした。
硬すぎず柔らかすぎないその感触。その心地よさで、やっと第一段階である一人で店に入る、という高難度ミッションを達成した気持ちになり、佳穂はふ~っと、安堵の息を吐いた。
「改めまして、いらっしゃい」
と。彼女が一息ついたのを見計らったように、店員が笑顔でメニューとお冷を彼女の席に置いた。
「このお店は紅茶専門なのを除けば普通の喫茶店だから、あまり緊張しないでね」
「は、はい……」
やはり彼女から見ても相当挙動が怪しく見えたのだろう。
くすりと笑顔でそう付け加える店員に、ちょっと恥ずかしそうに佳穂は俯いてしまった。
「注文が決まったら声を掛けてね。手を挙げるだけでも良いから」
「ありがとうございます」
「それじゃ、ごゆっくり」
店員の
──綺麗な人だなぁ……。
まるでモデルのような後姿に見惚れていた佳穂は、ふっと我に返ると、思い出したように席に置かれたメニューを開いた。
スタンダードなダージリンやアッサムを始め、中国茶のジャスミンやプーアル、更にピーチティーやオレンジティーといったフルーツ系のもの。
メニューにはそんな紅茶を始めとした茶葉の種類が沢山書かれている。
対して、セットで販売しているケーキはそこまで多くない。
定番のイチゴショート、ミルクレープ、シフォンケーキ、ガトーショコラ。そしてフルーツタルトの五種類。
しかも、そのどれもが美味しいのだと、佳穂は恵里菜から聞いていた。
──速水君、いないのかな……。
メニューを見ながら、佳穂は視線を店内に戻す。
店はそれほど広くなく、簡単に店内を一望できた。
しかしその視界に映る人物は、案内してくれた女性店員と先客のみ。彼女が目的とする相手の姿は見つけられない。
──恵里菜が嘘つくとは思えないし。急にお休みになったのかな……。
その事実は、佳穂にとって軽く安堵できる出来事でもあり、少し残念な出来事でもあった。
気持ちを切り替えると、佳穂はメニューを選び始めた。
ケーキは種類が少ないのですぐに候補を絞ることはできたが、紅茶については佳穂の知らない世界が広がりすぎていて、どれにすればよいか非常に迷ってしまう。
──どうしよう。あまり悩んでたら変に思われるかな……。
嬉しい悲鳴と言うべきか。佳穂はメニューとにらめっこしながら悩み続ける。
五分ほど経っただろうか。色々後ろ髪を惹かれる候補から絞りに絞り、やっと組み合わせを決めた彼女は、店員に向け静かに手を挙げた。とほぼ同時に。
「ごちそうさま」
「ありがとうございます」
間が悪いとはこの事か。
カウンターに座っていた女性客が店を出るべく立ち上がった。それに釣られて店員もカウンターからレジに移動してしまった。
挙げた手のやりどころに困り、佳穂は静かに手を下げる。
しかし、それが彼女にとっての新たなミッション開始を意味していた。
「雅騎ごめ~ん。一番さん注文取っておいてもらえる?」
──え?
目ざとく佳穂の動きを見ていた店員は、レジ裏のバックヤードへ続くドアに向け声を掛けた。
思わず彼女は驚きながら無意識にドアに視線を向ける。
「分かった」
そんな声とともにバックヤードから姿を現したのは、佳穂が探していた相手、雅騎だった。
姿を現した所で女性客と顔を合わせた彼は、
「あ。いつもありがとうございます!」
と笑顔で頭を下げた。
「こちらこそご馳走様。また来るわね」
女性客もそれに答え、嬉しそうに笑顔を見せると店を出た。
──あれが、速水君……。
佳穂は思わず彼に視線が釘付けになる。
それもそうだろう。普段見ている雅騎の姿といえば、制服かジャージか、という学校で見かける服装ばかり。
しかしバックヤードから出てきた彼は、折り目もしっかりした白いシャツと黒のベストに細身のスラックス、そして同じく黒いソムリエエプロン。
それは普段見られない、新鮮かつ大人の出で立ちだった。
髪型に至っては、ムースできちっと固め、後ろに流すように整えられている。
それは、普段の雅騎とは思えない別人のような姿。
しかし客に向けたその笑顔は、紛れもなく普段の彼のまま。
雅騎らしからぬ姿と雅騎らしい普段通りの表情。そのギャップに、佳穂は目が離せなくなっていた。
そんな彼女の気持ちなど
「ありがとうございました!」
女性客を見送った雅騎は、レジ後ろの棚から慣れた手付きでトレイと伝票を手に取ると、すっと通路に出て一番の席に目をやると。
「あれ? 綾摩さん?」
意外な人物の姿をそこに見つけ、思わず店員らしからぬ声を上げた。
その声にはっと我に返った佳穂は、おずおずと頭を下げる。
「あ、あの。こんにちは……」
「こんにちは。ここに来るのって初めてだよね? 近くに用事でも?」
「あ、うん。そんな感じ」
外見こそ普段と変わっているが、学校と同じように気さくに話す雅騎。
そんな彼の態度に、緊張していた佳穂の心は少し落ち着きを取り戻す。
「注文はどうする?」
「あ。えっと、ケーキセットでダージリンのミルクティーと、ミルクレープで」
「かしこまりました」
改めて店員らしく丁寧な言葉でそう返した雅騎は、伝票に注文をさらっと控えると、
「ごゆっくり、お過ごしください」
彼は深々と会釈をした。そんな大人びた雰囲気の雅騎に、思わずドキッとした佳穂に対し、
「折角なんだし、ゆっくりしていってね」
頭を上げた雅騎は、普段のような優しい笑みでそう言うと、踵を返しカウンターに戻っていった。
彼が去っても視線を逸らせず、ドキドキとした鼓動の高鳴りを感じていた佳穂は、はっと我に返ると、恥ずかしそうに俯いてしまう。
──うぅ……。いつもと雰囲気違いすぎるよぉ……。
大人な雅騎と、普段の雅騎の印象の差。
それは、久々に彼と話せた喜びなど吹き飛ばすほどの衝撃を彼女に与えていた。
そう。
彼女は今まで以上に雅騎を格好よく感じてしまったのだ。
恥ずかしさをごまかすようにポシェットからスマートフォンを取り出す。するとロック画面の通知に、SNSアプリ『MINE』に自分宛てのメッセージが届いていることに気づく。
『無事着いた?』
アプリを立ち上げみると、恵里菜から届いた短いメッセージが目に入る。
『大丈夫だよ』
『よかったよかった。じゃ、健闘を祈る!』
佳穂が短く返すと即座に既読が付き、すぐさま返事と共に、可愛いウサギのマスコットが旗を振って応援しているスタンプが送られてきた。
そのスタンプの可愛さにちょっと微笑むと同時に、この早さで返事をしてくる恵里菜に、
──後で、根掘り葉掘り聞かれるんだろうなぁ……。
そんな嫌な予感を感じながら、そのタイムラインを眺めていた。
* * * * *
待つ事数分。
「お待たせいたしました」
雅騎の声に、佳穂は慌てて携帯をテーブルに置き顔を上げる。彼は視線が合うと、にこっと笑みを浮かべ、静かにトレイから色々とテーブルに並べ始めた。
ソーサーに乗った白いティーカップとティースプーン。お揃いの白いポット。カットされたミルクレープの乗った白い皿。そして紙ナプキンの上にフォーク。一糸乱れぬ、とはいかないが、その動作は非常に手慣れており、ほとんど音もたてずに進められていく。
最後にポットからミルクティーをカップに静かに注ぎ入れると、ふわりとした紅茶の香りが佳穂に届いた。
「ごゆっくりどうぞ」
テーブル端に伝票を静かに伏せて置き、会釈をした後、彼はカウンターの方に戻っていく。
またも目で彼を追いそうになるが、佳穂はそれをぐっと我慢し並べられた品々に目を通した。
「いただきます」
誰に言うでもなく静かにそう呟くと、まず紅茶を口にする。
茶葉の風味をしっかり感じながらも、マイルドな口当たりのミルクティーに、
──普段飲んでるのと全然違う。
佳穂は驚いた表情を浮かべた。
続いてミルクレープをフォークで一切れ食べやすい大きさに分け、それを口に運ぶ。
こちらはふわっとした食感で、クレープと間に挟まれた生クリームも甘すぎず、デザートとして非常に繊細な甘さを彼女にもたらす。
──美味しい!
佳穂もうら若き女子高生。普段でも、友達とファミレスやチェーン店のケーキを食べた事はあった。だが、ここまで美味しいものを口にした経験がない。
確かに恵里菜が「あそこのケーキはヤバい位オススメ」と言っていたのも頷ける。
しかし。人は何故、美味しいものを口にすると、どうしてこのような表情になるのだろうか。
至福を表現した満面の笑みを浮かべながら、佳穂は黙々と紅茶とケーキを食べ進めていく。そして……
──あ……。
数分も
佳穂は自身の食べ切る早さに驚くと同時に、あっさりと迎えた至福の時間の終焉を、心底残念がる。
彼女はどちらかというと、美味しいものは最後まで残してゆっくり食べるタイプ。そんな自分をここまで夢中にさせ、一気に食べ進めさせてしまうほどの魅力を持ったそのミルクレープ。
その存在は、佳穂にとって相当衝撃的なものだった。
しかも気づけばミルクティーもほぼ飲みきっている。彼女は自身でポットから新たにミルクティーを注ぎ、ゆっくりと口にした。
「ありがとうございました!」
佳穂が名残惜しい時間を過ごしていたその頃。
店内にいたもう一組のお客が店を出るのを見送った雅騎は、ほっと息を吐くとカウンター内側に戻り、定位置である女性店員の隣に立った。
「ね。あの子は?」
店員──と表現してきたが、実はこの店の店長である
「クラスメイト。こないだ来てた子の友達」
「ああ、あの子の。ふ~ん……」
紅茶を口にする佳穂を見ながら、フェルミナは一瞬ニヤリとすると、静かに雅騎の耳元で何やらごにょごにょと
それを聞き「えっ?」と小声で驚く雅騎。だが、そんな彼の戸惑いも関係ないと言わんばかりに彼女は「店長命令よ」と、にっこりと笑顔で行動を促す。
「まあいいけど。ったく……」
脈絡のない指示に戸惑いつつも、頭を掻きながら雅騎は渋々バックヤードに戻っていった。
そしてフェルミナは、注文もないのに新たに紅茶を準備し始めた。
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