第十二話:至福は私服へと通づ

 ティーポットから注いだ最後のミルクティーをちびちび飲みながら、ちらちらと雅騎の様子を伺っていた佳穂だったが、その後会話をする機会はなく、ただ一人の時間を過ごすだけになっていた。


  ──これからどうしよう。お茶だけでゆっくりしてたら、お店に迷惑かな……。


 ふと店内を見渡した佳穂は、客が自分だけになっているのに気づく。

 周囲には雅騎の姿もなく、フェルミナも何か作業をしているようだ。


 店内はひどく静かで、オルゴールによる優しげなBGMだけが心地よく流れている。

 佳穂はティーカップを手にしたまま、視線を窓の外に向けた。

 駅前の大通りからやや住宅街に入った場所だからだろうか。休日とはいえ人通りはあまりなく、この店の立地条件は決して良い印象はない。

 ただお世辞抜きで、ここで食した紅茶とケーキは非常に美味しく、評判を呼んでも良いように感じていた。


  ──穴場のお店って感じなのかな……。


 カップをソーサーに戻すと、静かに空を見上げる。

 相変わらず快晴の秋空。なんとも静かで落ち着いたこの空間と、の光の温かさで気持ちが和らいだのか。僅かな眠気が彼女を包み込んでいく。


  ──もう少し、速水君と話したい、な……。


 そう。今日の目的は、雅騎と二人きりで話すためのきっかけを作ること、なのだが。

 何時の間にか佳穂は、うつらうつらと船を漕ぎ、そのままうたた寝を始めていた。


 それからどれくらいの時間が経ったのか。


  コトン


 それは非常に小さな、テーブルに物を置く音。

 まどろみの中の佳穂は、それを聞いてはっと目を覚ました。


「あ、ごめん。起こしちゃった?」


 目覚めた眠り姫の瞳に映ったのは、白馬に乗った王子様──ではなく。ティーセットとケーキをテーブルに並べる雅騎の姿。


「え? あ? ご、ごめんなさい!」


 反射的に、彼女は勢いよく謝ってしまう。

 そんな突然の反応に一瞬驚き、動きを止めた彼だが、次の瞬間苦笑した。


「それはこっちの台詞だよ。そっちはもう飲み終えてる?」

「え? あ、うん……」


 完全に寝ぼけた行動を取った佳穂は、失敗したとバツが悪そうな顔をした。雅騎にそれを目の前で見られた事もあり、顔が一気に赤く染まる。

 彼女の恥ずかしさを察したのだろう。そんな態度を気にしないように努め、カップやケーキをテーブルに並べ終えると、代わりに飲み終えたティーセット一式とケーキの皿をトレイに乗せ、雅騎は一度バックヤードに下がっていく。


 ただ。不思議なことに彼は、すぐに席に戻って来ると、彼女の向かい側に腰を下ろした。


「え?」


 雅騎の予想外の行動に、佳穂は思わず疑問の声を上げる。

 追加注文もしていない新たなミルクティーと、メニューになかったケーキが目の前に並べられ、更に彼の前にも同じセットが並んでいる光景は、普通のお店のサービスとしては非常に異質なもの。


 戸惑う彼女に、彼は頭を掻きながらまた苦笑した。ただ表情はどちらかといえば、申し訳無さが色濃い。


「驚かせたよね。ごめん」

「えっと、あの……」

「あ。説明がいるよね」


 佳穂を落ち着かせようと、雅騎は言葉を遮るように話し始めた。


「まず、紅茶とケーキは店長からのサービス。ただしケーキはクリスマス向けの試作品だから、味の保証はしないって」

「そんな事言ってないでしょ。この私が作ったんだから、美味しさは保証付きよ」


 彼の説明に、遠くからフェルミナのツッコミが入る。

 それを聞いて、雅騎は「まったく……」と呆れ顔をした。


「あ、あの、ありがとうございます!」


 予想外のサービスに、思わず大きめの声でお礼を伝えた彼女に、


「いいのよ。あなたが本当に美味しそうにケーキ食べてくれてたから、嬉しくなっちゃって。是非召し上がってみて」


 カウンターに肘を突いて二人を見ていたフェルミナは、手を振って笑顔で答えた。


「あと、俺がいるのは……」

「クラスメイトなんですってね。丁度店も落ち着いているから、話し相手にでもってね」


 彼の言葉を遮り事情を説明する彼女に対し、


「綾摩さんが望んでないだろ。そんなの」


 雅騎は振り返り否定した。だが、


「そんな事ないわよ。ねぇ?」


 それを更に否定しながら、彼女は佳穂を見てにんまりと笑ってみせた。

 その表情を見て、佳穂ははっとする。


  ──もしかしてあの無茶な作戦って……。


 彼女にはそれに繋がる作戦があったことを思い出した。


 先日の作戦会議で恵里菜から出された指示は四つ。


  ①:まずは喫茶店に行くべし!

  ②:喫茶店で雅騎が注文とか取りに来たらうまく話をすべし!

  ③:暇そうなら積極的に話しかけよう!

  ④:もしきっかけが掴めなかったら、帰りに連絡先を渡そう!


 ①は作戦を決行するなら当たり前の行動だろう。行かなければ何も始まらない。

 ②もまた、きっかけを作るのにかなり有効な手段だが、流石に他の客もいる中で拘束は難しい。

 ④は恵里菜としては最後の手段としていたが、佳穂はこれが一番実現できそうだと考えていた。そのために連絡先を書いたメモを、既にポシェットに忍ばせてある。


 そして③だが、これは佳穂自身がまず無理だと考えていた。

 理由は単純。雅騎に暇な時間があったとしても仕事中。そんな状況で相手を拘束して迷惑をかけたくない、と強く思っていたからだ。


 だからこそ佳穂の中では除外していたのだが、同時に指示を受けた時にモヤモヤを感じていたのも事実だ。


 親友である恵里菜は、佳穂が出来ないようなこんな無茶な指示をするような性格ではない。

 しかし。現に今、佳穂は、話す機会を得てしまっている。


  ──こういう事だったのね……。


 あの時の指示の意図を知り、佳穂は心の中で怒りが沸々と湧きあがる。

 彼女は気づいてしまった。フェルミナのこの気遣いの裏に、ということを。

 目を閉じ怒りを鎮めるようと必死になる佳穂だったが、無理にそうしようとした結果、苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。


  ──やっぱり、フェルねえのせいで気分悪くしたよな……。


 そんな彼女の変化を、側にいた雅騎は見逃さなかった。

 とはいえ、残念ながら彼女の心の内までは読み切ることはできなかったのだが。


「……綾摩さん、大丈夫?」


 彼はちょっと心配そうな表情で佳穂を見つめた。

 その声にはっと目を開く。改めて雅騎の顔を見ることになった彼女は、慌てて首をブンブン振ると、


「だ、大丈夫!」


 と動揺を隠せないまま、両手を振ってそれをなかった事にしようとした。


「折角の一人の時間なんだし、無理しなくていいからさ」


 どことなく、先日見ていた夢でのシーンを彷彿とさせる雰囲気。

 改めてあの恥ずかしい記憶を思い返してしまい、佳穂はまたも顔を赤らめうつむいてしまった。

 だが。


「ううん、無理なんて、してないから……」


 この短時間での心境の変化か。はたまた、今まで彼と話せなかったことへの反動からか。

 彼女は恥ずかしそうにうつむきつつも、上目遣いに雅騎を見ながらそう言葉を返した。


「そ、それならいいんだけどさ……」


 佳穂のそんな上目遣いは、彼にも恥ずかしさを伝染させたのか。

 彼はほのかに赤く染まった自分の顔を隠すように、窓の外に視線をそむけると、恥ずかしげに頬を掻いた。


「ま、まずは紅茶でも飲もうか」

「う、うん」


 二人は恥ずかしそうに笑い合うと、カップを手に取り紅茶を口にした。


 佳穂の喉を、先程同様にミルクティーの温かさが伝わっていく。その心地よい熱と香りが、彼女の気持ちを和らげていった。

 合わせて出されたフォンダンショコラを、フォークで一口サイズに切り分け、口に入れる。

 中からとろけ出るチョコレートの濃厚な甘さと、大人びたカカオの香りがバランス良く整ったその味わい。

 その美味しさは佳穂の表情を、またも嬉しそうな笑みへと変えていった。

 もう一度、紅茶を口にした後、はっとして思い出すように正面を見る。

 そこには興味津々な顔で、カップを片手に自分を見る雅騎の姿があった。


「あ、あの、私……何か、変だった?」

「ごめんごめん。店長が言う通り、本当に美味しそうに食べてるなぁって」


 視線があった彼が笑顔でそう返す。


 佳穂は、またも恥ずかしそうに身をちぢこまらせ、顔を真っ赤にした。

 先程までも、恥ずかしそうな態度を取っていたはずなのだが、そんな彼女の気持ちすらも一瞬で吹き飛ばしてしまうこの店の紅茶とケーキの力、恐るべし、といった所であろうか。


 佳穂はちらりと、上目遣いで雅騎を見た。

 優しそうな笑みの彼が、そこにいる。

 言葉を交わせる距離に、彼がいる。


  ──これを逃したら、もうチャンスはないかもしれないよね……。


 うつむきながら、一瞬目をつぶる佳穂。

 ふ~っと静かに息をく彼女に、雅騎も雰囲気の変化を感じ取ったのだろう。静かにカップをソーサーに戻した。


「速水君。あのね」


 一拍の間を置き、彼女は目を開くと姿勢を正し、雅騎に視線を向けた。

 彼もそれを静かに受け止める。


「あの時は、本当にごめんね」

「ん?」


 彼女の第一声は、雅騎が想像もしなかった言葉。思わず短く疑問を返す彼に、佳穂は続けて言葉を紡ぐ。


「病院で宿題届けてもらったのに、私、すごくそっけない態度取っちゃって。それで……」


 佳穂は申し訳無さそうな表情で視線をテーブルに向ける。

 雅騎はそれを聞き、ふっと緊張した空気を断ち切るかように、優しい笑みを浮かべた。


「謝ることなんてないよ。調子悪かったんだしさ」


 普段通りの優しい言葉。しかし彼女は表情を変えることができない。


「でも。あれから一週間以上経ったのに、ずっと謝ることもお礼も言うことができなかったでしょ。本当なら退院して真っ先に謝らなきゃいけなかったのに……」

「そんな事、気にしなくていいのに」

「私は、気になってたの」


 雅騎は彼女をフォローした。だが、佳穂はそれを素直に受け取れず、思わず否定してしまう。

 そんな彼女の言葉に、思わず彼はフフッと小さく笑ってみせた。


「綾摩さんらしいよね。一学期の頃から、ずっと謝られてる気がする」

「え?」


 自分が数日前、振り返っていた一学期の記憶。

 そんなことを雅騎は覚えていないと思っていた。よもや、それを覚えていたとは。


  ──ううぅ……。


 その事実に、佳穂は申し訳ない気持ちになり、バツが悪そうな顔をする。

 が、彼はそれを嘲笑ちょうしょうではなく、微笑ほほえみで出迎えた。


「前も話したけどさ。俺は自分で構わないと思うことを勝手にしてるだけだよ。この間の病院の件だってそう。先生達に頼まれたけど、自分が構わないと思ったからOKしただけ。それに怪我人である綾摩さんがあの時調子悪かったのだって、それこそたまたまタイミングが悪かっただけだしさ」

「うん、だけど……」

「俺は本当に何とも思ってないよ。だから、謝らなくていいから。ね?」


 ネガティブな佳穂の言い訳をさえぎるように、雅騎が言葉を挟む。

 そんな彼の言葉に嘘偽りはないことを、彼女はここまでの経験から重々理解していた。

 ただ、人の癖は一朝一夕いっちょういっせきで変わるものではない。


「……ごめんなさい」


 言われた指摘に反省しながら、口から出た言葉はやはり、謝罪。


「ほら、今言ったばかりなのに」

「あっ」


 思わず笑う雅騎に、佳穂は思わず口を手のひらで押さえた。


「折角お礼も言いたいって思ってくれたなら、俺はそっちを口にしてくれたほうが嬉しいかな」

「そっち?」

「そう。より、、ってね」


 屈託のない雅騎の笑みと言葉。

 それが彼女の申し訳ない気持ちを、少しずつ軽くしていった。


  ──確かに、そうだよね。


「ありがとう。速水君」


 佳穂が少し柔らかな笑みでお礼を口にすると、


「うん、それでよし」


 まるで教師が、生徒の回答に満足したかのように返す雅騎。

 そして。二人はお互いを見て、フフっと笑い合うと、どちらともなく紅茶を口にした。


 こうやって話をしながら、彼女は改めて雅騎の優しさを感じいていた。

 そして。そんな相手だからこそ、を、嫌われるかもしれないけれど伝えたい。

 その大きくなった気持ちが、彼女を新たなミッションに駆り立てた。


「速水君」

「ん。なに?」

「今日ってお仕事、何時位に終わるの?」

「閉店までから、八時半位かな」

「あ、そんなに遅いんだ……」


 だが、決意と事情は必ずしも合致するものではない。


「何かあったの?」

「あ、あのね。私……」


 質問の意図をまだ理解していない雅騎は、思わずきょとんとする。

 対する佳穂は、真剣した面持ちで彼を見た。

 高まる緊張。そんな気持ちを飲み込むかのように、彼女は紅茶を一度口にした後、静かに口を開いた。


「もうひとつ話したいことがあるの。だけど、できれば私達だけで話したくって……それで……」


 真剣だが、やや落胆したような表情の佳穂。

 この台詞で事情を察したのか。雅騎は少しだけ、表情に真剣さを宿した。


「雅騎~」


 と、そんな空気が変わった二人に割って入るように、フェルミナが彼に声を掛けた。


「え、あ、仕事?」


 だったとはいえ、気づけば結構な時間、店員がお客と話し込んでいたのだ。他の客が来店していないとはいえ、不謹慎だと雅騎も思ったのだろうが……。


「今日はもう上がっていいわよ」

「はぁ!?」


 フェルミナは、あまりにも予想外の言葉を掛けてきた。


「どういうことさ?」


 彼は思わず勢いよく振り返ると、カウンターにいるフェルミナを見た。彼女は相変わらず初々しい二人を笑顔で見つめている。


「今日は思ったより落ち着いているし、私だけでも大丈夫だから」

「何言ってるのさ!? 閉店までまだ五時間もあるだろ!?」


 突然の言葉に戸惑う雅騎と、その成り行きを見守る佳穂。

 そんな二人に対し、彼女はにっこりと笑みを浮かべこう言った。


「店長命令よ」


* * * * *


 それから十五分ほどして。

 喫茶店のドアから、雅騎と佳穂が順番に出てきた。

 彼女の恥ずかしそうな表情に対し、彼はどうすればいいのか、といった困った表情で、未だ整ったままの髪を掻いた。


「ちゃんとエスコートするのよ~」

「だから、そんなのじゃないって!」


 店内から掛けられたフェルミナの茶化すような言葉を思い切り否定すると、雅騎は静かにドアを閉めた。


「あの……ごめんなさい」

「いいよいいよ。これは本当に店長のせいだからさ。しっかし、どうするかなぁ……」


 並んで店の前に立つ二人。佳穂は自分より少し背の高い雅騎を見上げる。

 空を見あげつつ思案する彼は、先程のウェイター姿とは違い、デニムジャケットと茶色のスラックスにグレーのパーカーというラフな出で立ちだった。


  ──また、雰囲気が全然違う……。


 それは佳穂の知らない新たな雅騎の姿。彼女の恥ずかしげな表情が、それもだと物語っている。

 そんな中。視線や表情に気づかないほど、彼は彼で、色々と思考を巡らせていた。


  ──下手に人に見られてもいけないから、駅前はあれだしなぁ。となると、やっぱりあそこか? だけど……それでいいのか?


 色々と候補をあげていく。しかし、雅騎の考える前提条件を元に考えていくと、結果しか残らない。

 無意識に頭を掻いた彼は、そのまま覚悟を決めた。


「綾摩さん」

「え? 何?」


 突然の呼びかけに慌てて声を上げる佳穂。対する雅騎の表情も、彼女に負けず劣らず困ったような、恥ずかしげなもの。


「あの、さ。嫌じゃなかったら、だけど……」


 彼はちょっと言い淀む。が、何時迄も待たせる訳にもいかない。あらぬ方に視線を逸らし、頰を掻くと、続く言葉を口にした。


「うちに、来る?」

「……え? ええっ!?」


 彼女はその衝撃に、思わず両手を口に当て驚いた。

 そう。佳穂のミッションは、まだまだ終わらないのである。

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