非日常なんて日常茶飯事 第一巻 ~天使でない天使~

しょぼん(´・ω・`)

プロローグ:夢が覚めても夢のよう

雅騎まさき君……」


 聞き覚えがあるわけではない。しかし、どこか懐かしい少女の声。

 声に導かれるように目を覚ました、短い黒髪の精悍せいかんな顔立ちをした青年の目に、まっさらな白い世界と、数歩前に立っている、声の主と思われる一人の少女が映った。


 ──いや。少女が「立っている」という表現は誤りかもしれない。

 少女の腰まで届くほどの長い白髪と白いワンピースの裾が、ふわふわと水を漂うように不可思議に揺れている。それはまるで、空間を漂っている、と表現するのが相応しいもの。


 十五の彼より多少若く見える童顔に、期待と不安──どちらかといえばやや不安が色濃い心配そうな表情を浮かべ、呼びかけた相手を見つめる少女。

 彼女を眺めていた速水はやみ雅騎まさきは、ふと自分も同じような、夢心地の浮遊感の中にあることに気づいた。


 彼は自分の身体を見回す。外傷はなく、手を軽く握ると違和感なく動く。服装は帰宅途中の紺のブレザーのまま。それらが彼に僅かな現実感を与える。


 しかし。この不可思議な世界と、眠いわけではないが、どこか思考にもやがかったような感覚。それらが現実感をすぐ霧散させてしまい、意識が中々定まらない。


 ぼんやりした頭の中で、雅騎は少しずつ少女について、思考を巡らせる。


  ──誰……だろ。見たことは、ない……?


 彼の記憶の中に、少女とまったく同じ人物は存在しない。ただ同時に、何か心に引っかかるものがあった。

 その疑念を解決すべく、ゆっくりと記憶を辿っていく内に。ふと、とある記憶が脳裏を掠める。

 脳裏に浮かんだより幼い──小学校高学年ほどの少女の姿を重ねると、どこかその面影があるように感じ。


「……深空みそら、ちゃん?」


 雅騎がゆっくりと、確認するようにその名を呟くと。


「うん」


 深空みそらと呼ばれた少女は、嬉しそうに笑みを浮かべた。その見慣れない、しかし懐かしさを感じる顔に、彼も釣られて笑顔に変わる。


「へえ……。案外綺麗になったんだな」


 頬を掻きながら視線を逸し、雅騎なりの照れを含んだ褒め言葉を口にする。

 しかし、それが不満だったのだろう。


「案外って言い方は、酷いと思う」


 深空みそらは、先程までの物静かで幻想的な雰囲気とは一転。子供が不貞腐ふてくされたかのような表情を見せる。それは雅騎の記憶にある、幼い頃に一緒にいた明るい彼女そのもの。

 表情を変えず、ちらりと彼に視線を向ける深空みそらと、バツが悪そうに受け止める雅騎。

 そして。


「うふふ」

「ははは」


 何か通じ合ったかのように。お互い自然と笑いあった。


「幽霊も、歳を取るんだな」

「私も驚いたの。もしかしたら、死ぬ前にもっと一緒に生きたかった……って思ったから、かな?」

「そっか……」


 言葉を交わしながら、どこか切なく淋しげな笑顔を浮かべる二人。

 それが再び沈黙を与える……はずだった。


「あれ? もしかして……」


 雅騎はふっと我に返る。

 現実感のない世界。現実では既にいない彼女。それはつまり……。


深空みそらちゃんと話してるって事は……俺、死んでる!?」


 想定していなかった答えに戸惑う雅騎に、深空みそらは何かを思い出したように、はっとして表情を引き締めた。


「そんなことないよ」

「じゃあ、夢?」


 それも違う、と言いたげに首を振ると、彼女はふわりと軽く跳躍した。

 ゆったりとした放物線を描き、そのまま静かに雅騎の目と鼻の先に降り立つ。

 目の前で自分をじっと見つめる深空みそらの瞳。その神秘的な雰囲気と真剣な眼差しに、雅騎は思わず息を呑んだ。


「まだ死んでない。でも危ないの」

「まだ? 危ない?」


 突然、彼女から告げられた真実。その意図が汲み取れず、雅騎は只々ただただ混乱した表情を浮かべる。


「うん。だから……」


 そんな彼を見つめながら、深空みそらは少し寂しげな顔を浮かべ、そして……。


  ドンッ!


「起きて!」


 彼女は突如、雅騎を両手で突き飛ばした。

 瞬間。少女らしからぬ強い力が、彼を勢いよく後方に吹き飛ばす。同時に彼が先程まで感じてた浮遊感が消え、急速に重力による落下も感じ始めた。


「み、深空みそらちゃん!?」


 弧を描くように落下した雅騎は、思わず彼女の名を叫ぶ。が、その答えはない。

 彼の身体は放物線を描くように落下を続け、動かない彼女は一瞬にして彼の視界から遠ざかり、点となり、消えた。

 まっさらだった世界も、落下と共に一気にグラデーションがかるように暗闇へと変化していく。


「あなたも、皆も危ないの。だから急いで!」


 姿は既にない。しかし何故か深空みそらの声が、まるでそばにいるかのように耳元で聞こえた。

 そして。世界が完全なる暗闇に閉ざされた時──。


深空みそらちゃん!!」


 またも彼女の名を叫んだ彼は、目を覚まし、飛び起きるように上半身を起こした。

 そこで雅騎は、あり得ない光景を目にすることとなる。


 ──そう。

 それは彼が休んでいたベンチを囲む、深夜の公園を赤く照らしだす、業火の海だった。

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