第十五話:嵐の前の静かな音色

 雅騎と佳穂が駅で別れてから二時間ほど経った頃。

 戦場跡に成り果て、立ち入り禁止となっている夜の神麓公園かみふもとこうえんに、招かれざる人影があった。


「しっかしすげえなぁ、この燃えよう」

「ほんとほんと」

「お、おい。大丈夫なのかよ!? 勝手に入って」

「平気平気。ビビり過ぎなんだよ。お前は」


 深夜の焼け跡を散策していたのは、見るからにガラの悪そうな青年が三人。

 一人はスマートフォン片手にパシャリパシャリと園内を撮影し、別の一人は興味津々で辺りを見回しつつタバコを吹かす。そしてもう一人は暗がりが多いことに怖がっているのか。光るフラッシュにさえビクつきながら、二人の後を付いて歩いている。


「これツブヤイッターに投稿したら、めっちゃバズりそうじゃね?」


 そんな事を、撮影していた男が口にする。


「なんなら、また火事にでもなったら、面白いかもなぁ?」


 その言葉に、ふと閃いたと言わんばかりに嫌らしい笑みを浮かべたのは、タバコを吹かした男だ。

 彼は、おもむろに歩道から逸れ、焼け焦げた林に踏み入った。


「お、おい。何しようとしてんだよ!?」

「あぁん? お前びびってんの?」

「そ、そうじゃないけどよぉ」


 タバコを吹かした男を先頭に、奥へ歩いて行く三人。

 焼け跡が続く園内は、街灯の明かりも届かず、スマートフォンの明かりに頼らねばならないほど薄暗い。

 と。そんな中。燃えて倒れた木々が積み重ねられた場所が目に留まる。

 それを見て、タバコを吹かした男が、またも嫌らしい笑みを浮かべた。


「あそこなんてどうだ?」

「お。いいんじゃね?」

「おいおい。マジでやる気か!?」


 怯える男に対し、タバコを吹かした男は一瞥いちべつをくれると、


「あったりまえだ、ろ!」


 火の付いたタバコを、集めてある木々に目掛けて放り投げようとした。

 その瞬間。


  ぼわっ!!


 突然手に持っていたタバコから、強烈な炎が立ち昇った。


「あちちちっ!!」


 相当熱かったのか。男は思わずタバコから手を離すと、慌てて手をブンブン振って冷やそうとする。

 と、その刹那。


  バチバチィィィッ!!


 次に、写真を撮影していた男のスマートフォンが、突然激しい放電を起こす。


「うわっ!!」


 急に身体に走った感電の衝撃に、思わず男はスマートフォンを取り落としてしまう。

 落下したスマートフォンは地面を跳ねると、止まった所でボンッという音を立て爆発した。


「な、なんかやばくねぇか!?」

「き、きっと幽霊だよ! うわぁぁぁっ!」


 あまりの出来事にパニックになった怯えていた男が、脱兎のように一気に駆け出すと。


「お、おい! 待てよ!」


 それがきっかけとなり、後の二人も慌ててその場から散り散りとなり、一目散に逃げ出した。

 そして。辺りは再び、暗闇と静寂に包まれた。


『まったく。これだから人間は』


 何処からともなく呆れる声がした。が、そこには誰の姿もない。

 見えぬ何者かが、ふっと空気を揺らす。


  ──この残光デオルファ……。あの女が話していた通りだ。だが何故? どうしてこんな辺境の地に?


 しばしの沈黙の後。


『とにかく。早く探し出さねば』


 その声を最後に。何者かの気配が、消えた。

 そして、神麓公園かみふもとこうえんは普段とは違う景色ながら、普段通りの静けさを取り戻していった。


* * * * *


 雅騎は、真っ暗な部屋でゆっくりと目を覚ました。


「ふぅ……。今……何時だ?」


 服のポケットを探り、スマートフォンを手に取ると、そのままベッドに仰向けになり画面を見る。

 液晶に表示された時刻は、既に二十二時半を回っていた。


「うわぁ。よく寝てたな……」


 無意識にそう口にすると、雅騎はゆっくりと上半身を起こし、肩を回したり、手を握ったり開いたりして、身体の動きを確認していく。


 頭はまだ多少ぼんやりする。だが身体は意識を失う前と比べれば、酔いはほとんど感じられず、やや気だるさだけが残る程度。

 動かした身体も、怪我の治癒を受けたことで、痛みを感じずに普段通り動かせるようになっている。


  ──とりあえず、ましになったかな。


 彼はスマートフォンの明かりを頼りに、部屋の電気を付ける。

 眩しさに一瞬顔をしかめつつ、そのまま寝室からキッチンに向かうと、自然に冷蔵庫を開けた。

 その瞬間。


「あっちゃぁ……」


 やってしまった、と言わんばかりに雅騎は落胆を見せた。

 冷蔵庫の中には、まともな食材がまったくない。

 それを見て彼は、自身の今日の計画を思い出したのだ。


  ──そういや帰りに食材を買い込む予定だったっけ……。


 一人暮らしをする彼は、食事は主に自炊している。

 今朝の朝食を作った時点で一通りの食材が尽きたのもあり、元々は今日のバイト帰りに買い出しをして帰る予定だったのだ。

 しかし。フェルミナの店長命令から始まった様々な出来事のせいで、目的を果たせず今に至る。


  グゥゥゥゥッ


 雅騎の絶望をあおるかのように、お腹の音が静かな室内に響く。

 実際ケーキこそ店で口にしたが、夕食は食べることもできずこの時間となったのだ。身体とて、正直にもなる。


「まあ、仕方ないか」


 ため息を漏らした雅騎は、そのまま軽く身支度を済ませると、家を出て深夜の街へと繰り出していった。


* * * * *


 それから三十分ほど過ぎ。

 下社駅しもやしろえき南口の側にあるマックドゥナートから、遅い夕食を済ませた雅騎が姿を現した。


 駅前の駐輪場に自転車を取りに、彼はゆっくりと歩き出す。

 人通りも少ない、閑散とした道を歩く中。ふと雅騎は一度歩みを止め、後ろを振り返った。

 同じように駅へ向かう人達が数人。だが、彼の様子を伺っているような人物は見当たらない。


 一度首を傾げると、彼は再び歩き出す。

 そして駐輪場に到着すると、自転車にまたがり、そのまま大通りを南に走り出した。

 人通りのない、街灯で照らされた道路を疾走する。しかし、未だその違和感は拭えない。


  ──誰だ?


 雅騎の感じた違和感。

 それは、己を監視するかのような、何者かの視線だった。

 だが、自転車の後ろを付いてくる者はいない。


  ──このまま家に帰る、って訳にもいかないか。


 普段なら自宅に帰るため曲がるはずの路地を、雅騎は敢えて真っすぐに進む。

 そして。そのまま素知そしらぬ顔で、自転車を走らせた。


* * * * *


 時を同じくして。

 既に自宅に帰っていた佳穂は、夕食やお風呂、そして明日の準備など、寝る前に済ませることは全て終え、パジャマ姿でベッドに横になっていた。


 結局、雅騎とはお互いの力やそのいきさつについて、詮索するような話をすることはなかった。


 佳穂やエルフィにとって、雅騎がどんな人物だとしても、恩人であることは変わらない。

 であれば、彼が話したくない事や、尋ねてこない事は、話さなくてもよいと思っていたからだ。


 可愛いクマのランプの光で淡く照らされた部屋の中、佳穂は布団に入ったままスマートフォンの画面を眺めていた。

 そこに映るのは、雅騎と交換したMINEのメッセージ。

 電車に乗った直後に交わした文章だけがそこには映っているのだが……。彼女はそれを夢見心地で見つめている。


『本当に嬉しそうですね』


 彼女の脇でベッドに腰を下ろしていたエルフィがそう声を掛ける。


「そ、そうかな?」


 恥ずかしそうな表情の佳穂を見て、彼女は思わず目を細めた。


『ええ。ずっと動きのないその画面を、笑顔で見つめているではありませんか』

「それは……。やっと頑張って交換できた連絡先だし……」


 MINEは雅騎の家を出る前に、何とか言い出して交換したもの。


 彼に理由を尋ねられた時、「何か困った時に相談したいから」という、何とも曖昧な答えを返した佳穂。

 だが。それでも彼は嫌がることもなく、笑顔で連絡先を交換してくれた。


 そこには雅騎の優しさもあったが、彼女が勇気を出し願い出たからこそ、実現できた事だったのもあり。その嬉しさもひとしおだった。


『本当は、もっと雅騎と色々話をしたかったのでしょう?』

「そ、そんな。迷惑は掛けられないもん」


 エルフィの問いかけに、彼女は思わず言い訳を口にする。だが、否定はしない。

 こういう点で佳穂は本当に素直だ。その見え隠れする本音に、エルフィは思わずクスクスと小さく笑い出してしまう。


「もう、エルフィの意地悪……」


 彼女に対し、佳穂は恥ずかしそうに布団を半分顔に被ると、深く身を沈めた。


『ごめんなさい。でも本当に、彼は不思議な人ですね』

「そうだよね。何であんなに優しいんだろ……」


 佳穂とエルフィは、ここまでの雅騎との出来事を振り返る。しかし、そこに答えはない。


「エルフィ。私ね」


 突然。佳穂は彼女に声をかけた。視線は合わさず、天井をじっと見つめながら。

 エルフィは彼女に返事はせず、ただ静かに見守っている。


「今まで男の子となんて、ほとんど話したことないんだ」

『そうなのですか?』

「うん。男の子が苦手で、距離を置いてたのもあったんだけどね」


 佳穂はエルフィに顔を向けた。困ったような笑みを浮かべて。


「でもね。速水君は違うの。初めて高校で一緒になった時はそんなことなかったんだけど、色々と気にかけてもらってからね。少し話せただけでも、凄く嬉しくなっちゃうの」


 何故なのか、といわんばかりに不思議そうな表情を見せる佳穂に。エルフィは迷いなくこんな質問を口にした。


『佳穂は、雅騎が好きなのですか?』


 それを聞いた瞬間。

 ボンッという効果音が出そうな勢いで、佳穂の顔は一気に真っ赤に染まる。


「そ、そうじゃないの! うん、そうじゃないと、思う……」


 強く戸惑いながら、慌てて否定する佳穂。

 その言葉に嘘はない。

 何故なら。初恋すら無縁だった少女は、恋という感情すら、未だ理解してはいないのだから。


  ──うぅ……。


 このまま話を続けるのは恥ずかしすぎる。そう思った彼女は、


「そ、そういえば。エルフィって好きな人はいるの?」


 慌てて話題を変え、自身の話から気を逸らそうとした。


 ただ。質問を受けたエルフィの反応は、彼女が想像するものとはかけ離れていた。

 彼女は佳穂から視線を逸らす。浮かべたのは……どこか淋しげで、うれいのある表情。


 それを見て、佳穂は聞いてはいけないことだったのでは? と、恐る恐る彼女の様子を伺ってしまった。

 エルフィもそんな佳穂の不安を察したのだろう。何とか笑みを返し、彼女を安心させようとする。


『そうですね。そろそろ佳穂にも話しても……』


 そう言いかけた刹那。

 言葉を遮るかのように、佳穂とエルフィに何処からか笛で奏でられたようなメロディが聴こえた。

 それはフルートに近い、澄んだ音色。

 ただ。その音色は耳から聴こえた、というよりも、直接頭の中に響いたように佳穂は感じていた。


 決して長くない、数秒ほど短い音色。その音が止むと、周囲はまた普段の静けさに戻っていく。


「エルフィ、今の……」


 一抹の不安を覚え、佳穂はエルフィに声をかけようとする。しかし、彼女の表情を見た途端。掛けようとした言葉を失った。


 エルフィの表情。

 それは、佳穂達が戦いにおもむかねばならない時に見せる、真剣さそのものだった。違う点があるとするならば、戸惑いが感じられる、複雑な表情だったことか。


  ──どうして……貴女達がこんな所に!?


 エルフィは思わずそう自問する。

 だが、今ここに答えはない。


 彼女は、すっと立ち上がると、佳穂に向き直る。


『申し訳ございません。貴女の力、お借りできますか?』


 凛とした彼女の言葉に、佳穂の表情も釣られて引き締まる。

 そして。


「うん。分かった」


 彼女もまた決意を秘めた表情で、強く頷いた。

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