新しい世界が見たい

「すごい…二人ともすごすぎる…。松田くんも芹沢さんも、文章がすごく上手い!比喩も情景もしっかり書かれているし、ストーリーの組み立てもばっちりだよ。


 イケる…!!私たちならきっとすごく良い作品を生み出せるよ!!」


長谷川さんはそう言って、何度も何度もうなずいている。顔を紅潮させ、興奮した様子でノートを見つめ続けている。


 僕は少しうつむいた。そんなに褒められると恥ずかしい。正直自分の書いた文章に自信はなかったけど、彼女にそう言われると悪くはないのではないかと思い始めた。


 自分の考えたストーリーなんて、面白くないのだろうと勝手に思っていた。自分のアイディアなんて、思いつきなんて、ありきたりなものだと思い込んでいた。

 

 でも、目の前で感動している人がいることに気づいたとき、やってきたことに意味があるとはじめて思えた。この手で紡いだ言葉、文字、台詞…。


 すべてが、自分の生きた証なんだ。


 芹沢さんはうれしそうに微笑んでいた。こんな風にお互いの文章を見せ合うことは、彼女にとってもはじめての経験だったのかもしれない。


 それにしても、彼女の文章はとても綺麗で、洗練されていた。本人は、今まで文章を書く練習をしていなかったと言っていたけど、本当だろうか…?ひょっとすると僕より上手いかもしれない…。


 芹沢さんは、男の子の目線から文章を書いていた。自らとは違う存在になりきって、全然違う視線から景色を見ていた。そんな姿勢で何かを捉えようとする発想は、少なくとも自分の頭の中にはなかった。


 もし僕が女の子として生まれ、育てられ、高校生になる現在まで生きてきたとしたら、どんなことを考えるだろう…?どんなことを望むだろう…?そんなことを想像させてくれる文章だった。


 彼女は何を思ってこの文章を書いたのだろう?ふと聞いてみたくなった。何か思いがけない、面白いことに出会える予感がした。


「芹沢さんは、どうして男の子の目線から文章を書こうと思ったの?ちょっと、気になっちゃって。」


僕の声に反応して、こちらに顔を向ける芹沢さんの瞳が大きくなった。彼女は驚いたように目を見開いた後、戸惑うように視線を下に向けた。


 あれ…?何か困らせるようなことを言ってしまったのかな…?


「ご、ごめん。答えづらいようなことだったら、別に言わなくても大丈夫だから。」


慌てて言葉を付け足すと、芹沢さんは首を横に振った。


「ううん、そういうことじゃないの。実を言うとね、自分でもどうしてこんなことを書いたのかわからないの。松田くんに言われて、ハッとして考えこんじゃった。


 うーん、どうしてなんだろう…?」


しばらくの間、芹沢さんは唇に指を添えて黙って考えていた。僕と長谷川さんは緊張した面持ちで彼女の言葉を待った。他の話題に移りたくはなかった。彼女の

口からその理由をどうしても聞いてみたくなった。


「新しい世界が見たい…からかな?」


そう僕に語りかけてくれた芹沢さんの顔は晴れやかだった。瞳はいつも以上にキラキラしていて、彼女の姿は輝いて見えた。


「新しい世界が見たい…。」


彼女の発した言葉を忘れないように、僕は同じ言葉を繰り返し言った。すごく大切なことを教えてくれている気がした。


「私ね、考えたことがあるの。人ってさ、自分の尺度でしか何かを捉えることができないんじゃないかなって。自分の目でしか景色を見渡すことができないように。


 まるでどこまでいっても、『自分』っていう亡霊にとりつかれているような、そんな感じ。


 相手の立場に立って物を考えなさい、相手のことを考えて行動しなさいって大人たちは言うけれど、それってすごく難しいことだと思うの。よかれと思ってしたことが結局は自己満足だったり、何気ない行動で人から感謝されたりすることって、結構あるし。


 相手の心の中って、どんなに自分の頭を回転させても、見えない。相手のことを完全に知ることなんて、不可能なのかもしれない。


 でもさ、人には想像する力があるなとも思っていて。この場所にはない何かを表現することができる。もし、まるで本当にそれを見たり聞いたりしていると勘違いするくらいリアルに「何か」を描くことができるのだとしたら、きっと人の心の中だって的確に描くことができる。


 私は自分の目じゃなく、自分の耳じゃなく、誰かの目で、誰かの耳で、景色を見たい。音を感じたい。誰かの生きた人生を自分も歩んでみたいの。


 そしてもう一度自分の中に帰ってきたとき、今よりもずっと成長できる気がする。今までとは違う私になれる気がする。


 だから、私は新しい世界が見てみたいな。」


突然、芹沢さんの唇の動きが止まった。彼女はまばたきをしながらもう一度唇に手のひらを添えた。なにか、新しいことに気づいた様子だ。


「そうか、それが私の夢なんだ。


 びっくりした。私って、本当はこんなことを考えていたんだ。」


芹沢さんは自分自身の口からそんな言葉が出ることを不思議がっているようだった。


「ありがとう、松田くん。松田くんのおかげで、大切なことに気づくことができたよ。」


「うん。こちらこそ、すごく良いことを教えてもらったよ。」


僕は言葉のもたらす不思議な力について思いをはせていた。


 そういうことがあるのかもしれない。話しているうちに、自分でも思ってもみなかったことが浮かんでくることが。無意識に日ごろから考えていたものがふと出てくるのか、または会話の中でいきなり生まれることなのかはわからない。


 だけど、対話は人に気づきをもたらしてくれる。新たな意味を与えてくれる。


 僕ら三人は、お互いのアイディアについて熱心に語り合った。その時間はあっという間に過ぎて、気づけば夕暮れになっている。


 こんな楽しいことがあるなんて、今まで知らなかった。


 仲間がいることの心の強さに、僕は胸を打たれていた。


 




 


 

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