君の文字が想いとなって
私は震える手で、松田くんのノートに触れた。並んでいる文字の羅列を丁寧になぞっていく。一つ一つの文字がそこにあることを確かめるように、慎重に読んでいく。
彼の気持ちが目に見える形となって自分に迫ってくるのを、ただ感じていた。彼の紡ぐ言葉が映像となり、比喩となって私の心を大きく揺らしていた。
私にははっきりと松田くんの姿が目に見えるような気がした。手を伸ばせば届くほど近くで、彼が私に話しかけてくれている。
できるだけ正直に、誠実に。
そんな声が聞こえた。はっとして私は松田くんの顔を見た。彼は美しく微笑んでいた。それはあまりにも自然な笑顔だった。嘘偽りなくありのままの自分を見せてくれていた。
彼が語りかけてくれる言葉は、すべて本当のことのように思えた。どんなことを話しても、絶対にそこにはウソが生まれる。だけど松田くんはその事実を十分にわかっているからこそ、自分に対してウソをつかないように正確に言葉を紡ごうと努力していた。
松田くんの文章を通して、私の内側で一つの風景が広がっていた。それはみずみずしくて、新鮮で、最高に輝いていた。最初私は、暗闇の中にいた。体育座りをして息をこらしたまま、じっとしていた。自分の存在を押し殺すようにその場にうずくまっていた。
言葉をなぞっていくにつれて、次第に暗闇が消え、私の細い指は新しい光に触れた。私は辺りを見渡した。柔らかな光が暖かく迎え入れてくれた。それはいつのまにかはっきりとした輪郭となり、松田くんと長谷川さんになった。
喜びが静かに私の身体の中に染みこんでいく。それは、今まで経験したことのない感覚だった。文章を読むことがこんなにも奇跡で満ちているなんて、知らなかった。ノートを持つ手が、小刻みに震えていた。それは最初、緊張によって起こっていたが、いつしか感動によって生み出されていた。
「窓 松田龍
窓は僕にとって一つの希望だ。
一人ベッドに仰向けに寝ているとき、僕は窓を通して頭上に広がる風景を眺めていた。真っ暗な夜を背景にして、白い三日月が輝いていた。そのイメージは、僕の脳裏に張りついて離れなかった。
闇に包まれて煌々と光る白い輝き。それを見ていると、なんだかほっとした。自分が生きていることを実感できるような気がした。きっと僕は、白い三日月が自分自身と同じように思えたのだろう。
勉強、部活、趣味…。一度きりの青春、やらなければいけないことはたくさんあるはずなのに、どれも本気になれないことを寂しく感じていた。何もできない自分を呪うように日常を歩んでいた。
まるで果てしない闇の中をどこまでも歩いているような感覚だった。前を向いても、後ろを振り向いても、僕には何一つ見えなかった。
それでも進み続けるしかなかったんだ。どこに向かっているのかもわからないのに。何もしないよりはマシだろうと、そう自分に言い聞かせて歩くしかなかった。
上を向いて。そこに君自身の答えがある。見上げて。
そんな声が風に誘われてどこからか僕の耳に飛び込んできた。僕はハッとして上を見上げた。そこには、暗闇の中にただ一つ白い月が輝いていた。
そうか、ずっと僕はその輝きを待っていたんだ。
確かにそれは僕にとって希望だった。何もないと思っていたこの世界の中でただそれだけが僕を見て、微笑んでいた。朝が来ない永遠の夜をさまよいながら、僕は彼に会える日を待ち望んでいた。
彼はずっとここにいて、僕を見守っていたのに。今まで気づけずにいたんだ。
もう一度世界を見渡すんだ、もう一度。注意深く目をこらして、君のもとにやってくるありとあらゆる感覚を丁寧に拾い上げてごらん。それが答えだ。それだけが答えなんだ。
誰の目でもない、誰の耳でもない。自分の目で見て、自分の耳で聞くんだ。
僕はもう一度この世界を眺めた。僕の目に入ってくるどんな些細な光も見逃さないように。地平線のかなたで、ほんのすこしだけ淡い光があふれ出ていた。それは地平線の形に寄り添うように柔らかい曲線を描いていた。
朝がきていた。僕が気づかなかっただけで、時間は確かに流れていた。僕と同じように、時間は歩みを止めずに進んでいたのだ。
いつのまにか白い月は地平線の向こう側に沈んで、見えなくなった。僕に大切なことを教えてくれるために、ここに現れたのだろうか。また会えるような気がした。そのときしっかりとお礼をしなくては。
淡い光は次第にはっきりとした形を帯びて、この世界を包み込むように解き放たれた。赤い大地。緑の木々。青い空。それらはしっかりとそこにあった。ただ僕が見ようとしなかっただけで、確かにそこにあったんだ。
僕は地平線のかなたへと歩き出した。目の前からあふれてくる光が道しるべになっていた。その先に仲間がいる。同じ時間を生き、同じ空間を分かち合う仲間がいる。そう信じて、足を踏み出す。
光の先に、二人の人影がいた。手を振る。僕に応えるように、二人は手を振った。
なんていう奇跡だろう。なんていう出会いだろう。
心の底からうれしかった。一人じゃない。そう思えたから。」
私の中で起こった変化を、松田くんに伝えたかった。読み始めたときは、自分に何ができるのだろうと不安に感じていたけど、もうそんなものは吹き飛んで消えてなくなっていた。
できるだけ正直に、誠実に。
ありのままの感情をその通りに言葉にしようと思った。
感想を語り合う時間、私は隣にいる松田くんに声をかけた。ドキドキする。自然に口から言葉が出てきた。
「面白かったよ、松田くんの小説。最高に面白かったよ。」
松田くんは驚いたように私の方を向いて、そして静かに微笑んだ。
「ありがとう、芹沢さん。芹沢さんの小説もすごく洗練されていて、面白かったよ。」
想いと想いが重なるように、私たちは言葉を交わした。同じ時間と空間を分かち合う仲間同士、手をとりあって。
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