窓、それははじまりの場所。
「ただいまー」
夜7時ごろ。僕は家に着いた。こんな時間帯に帰るのははじめてのことだ。薄暗い玄関を抜けると、リビングルームに明かりがついているのが見えた。
そのとき、扉が開いて妹が飛び出してきた。興味深そうに僕の顔を覗き込んでいる。
「リュウちゃん、おかえり!今日、遅かったね。なんかあったの?」
予想通りの展開だった。妹はいつも鋭い。僕に異変があったら、すぐにそれを察知して何か質問してくるにちがいないと思っていた。予想していたのに、あまりにも突然妹が目の前に現れたので、驚いてしまった。
「お、おう。シノちゃん。ただいま!聞いてよ!今日ついに俺も部活動デビューしたんだ!」
「ほんと!よかった!」
珍しい僕のハイテンションぶりに少し驚きながら、妹は一緒になって喜んでくれた。活き活きとした様子の僕を見て、ほっとしたようにも見える。最近の僕は、自分で思っていたよりも元気がなかったのかもしれない。妹が本気で心配していたのがわかった。
「何部に入ったの?私が勧めた書道部?」
「いや、入ったのはね、文芸部なんだ。」
「文芸部?そっか、リュウちゃんって昔から小説好きだったもんねー。」
妹は納得したようにうんうんと何度もうなずいている。
「文芸部、って言っても、実際にはまだ部ではないんだけどね。」
妹は不思議そうに首をかしげる。
「どういうこと?」
「うちの学校、実は文芸部なんてないんだ。長谷川さんっていう人が誘ってくれてさ、まだ学校公認ではないけど、放課後集まって活動しようって、言ってくれたんだ。」
「へー。じゃあ、文芸同好会みたいな感じ?」
「うん、そういうことになるね。」
「ってかさ、長谷川『さん』って、もしかして女の人?」
僕の妹、松田志乃はキラキラした目でこちらを見ている。興味津々といった様子だ。こうなることも予想していた。僕の口から女性の名前が出ることなんてめったにないから、珍しいのだろう。
「長谷川さんって、どんな人?」
「すごい明るくて、話しやすい人だよ。彼女も本が大好きで、気が合うんだ。」
僕の笑顔を見て、妹は心底うれしそうだった。
「そっかー。リュウちゃんもカノジョができる日が近いなあー。」
妹は冗談めかしてそう言った。
「いやいや、今日はじめて色々話したような関係だから。」
「でも、この先もしかしたら付き合うことになるかもしれないじゃん!」
女の子と付き合う…?今まで考えたこともなかった。自分が誰かと付き合う日は果たして来るのだろうか…?だめだ、全然想像できない。
「付き合うかどうかはわからないけど、できるだけ仲良くしたいなあって思っているよ。文芸同好会もさ、これからだから。そうそう、長谷川さんにさ、宿題出されたからやらないと。」
「へえ…。どんな宿題?」
「とりあえず、『窓』をテーマにして何か文章を書いてほしいって言われたんだ。」
「すごい!面白そう!あとで私にも見せてね!」
「おう!」
僕は意気揚々と階段を上がって2階の自分の部屋に向かう。長谷川さんから出された宿題。何ができるかわからないけど、全力で取り組んでみようと思った。いつも学校で出される宿題はうんざりするけれど、この宿題だけは真剣にやろう。素直に自分の思いを文章にしよう。そう思った。
目的もなくさまよっていた今までの生活が嘘のように、自分の心に力がみなぎっていくのを感じていた。夢を持つこと、人生に目的を見出すことの素晴らしさにようやく気づけた。人と関わり、好きなものに触れることの大切さを身に染みて実感している。
部屋に入って机に向かい、シャープペンシルを持って文章を書き始める。「窓」というタイトル名と自分の名前を書いたところで、手が止まった。
だめだ、全然何も思いつかない。
気合を入れてはじめてみたはいいが、何を書けばよいのかわからない。自分の思うままに書いてみればいいんだよって、長谷川さんなら言うかもしれない。自由に、心の動くままに書く。人から言われたことをその通りこなしてきた僕にとっては、とても難しいことだった。
とりあえず、窓について自分が思うイメージをノートに書き連ねてみた。部屋の空気と外の空気を交換する場所、外から景色を見るためのもの、早朝光が差し込んでくる場所…。
窓は、僕にとってどんな存在だろう…?夜ベッドに寝転がって天井を見上げているとき、ふと正体のわからない不安に襲われることがある。そんなとき、そっとカーテンを開けて月の光を見ると、不思議と心が安らかになる。窓は僕にとって希望の象徴なのかもしれない。
ひとりでに、手が動き始めた。自分でもびっくりするくらい、自然と文章が出来上がっていく。そんな経験は、はじめてのことだった。自分の心を丁寧になぞりながら文章を書いていくと、新しい『僕』に出会った気がして、うれしくなった。こんなことを考えていたんだ、感じていたんだ。そんな発見がたくさん出てきて、とても新鮮だった。
書くことは、自分自身と向き合うことなのかもしれない。
長谷川さんが文章を書くことに熱中する意味が分かった気がした。自分の手で何かを書くことは、どんなものにも代えられない、かけがえのない体験なんだ。
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