ある男の子との出会い
高校受験当日。私は緊張で顔をこわばらせながら、電車に乗っていた。
学校の先生からもらったお守りをぎゅっと握りしめて、目を閉じる。
大丈夫。私なら、やれる。今まで一生懸命頑張ってきたんだ。
心の中で何度も何度も繰り返し、叫ぶ。
自分を励まし、信じる。口で言うのは簡単だけれど、実行するのは難しい。他人なんて関係ない。要は自分の問題だ。そう頭ではわかっているのに、私はいつも他人と自分を比べて、心細くなってしまう。
手のひらの中でお守りがそっと微笑んでいる気がした。「合格祈願」の文字が私を見つめている。その文字の背後に、先生のガッツポーズと一緒に勉強してきた仲間たちの姿が透けて見えた。心強かった。
試験が始まる三十分前に、私は高校の最寄り駅に降り立った。午前八時。冬の朝は背筋が凍り付くほど寒い。身を縮こませたまま、高校へ歩みを進める。他の受験生も、雪を踏みながら同じ方角へ向かっている。
玄関先に着いて上履きに履き替え、受験票を見ながら試験会場を探していたとき、重大な事実に気がついた。
ない!私のお守りがない!
なんで?確か、電車に乗っているときは握りしめていた。電車を降りて、ここに着くまでの間に、どこかに落としてしまったのだろうか?
顔が青ざめる。絶望に近い感情が芽生えて、打ちひしがれそうになる。
心のよりどころ、信じられる確かな存在を突然失ってしまった。心臓の鼓動が早くなる。とてつもない不安に襲われて、その場に立ち尽くしてしまう。
悪いことばかりが次から次へと頭の中に湧いてくる。受験に落ちる。先生や親や仲間の期待を裏切る。どこの高校にも入れなくて、中卒のままフリーター?私に働く場所なんてあるのだろうか?私のせいで、関わったみんなに迷惑をかける。
落ちる。墜ちる。堕ちる。暗闇の底、はてしない奈落の底へどこまでも落ちていく。受験だけの問題じゃない。私の人生そのものが、どこまでも下降していくんだ。二度と浮かぶことができないまま、絶望へと身を投じるんだ。
「あの、すみません。」
背後から突然声をかけられた。振り向くと、眼鏡をかけた男の子がうつむきがちにこちらを見ていた。
「これ、落としましたよね?」
男の子はそう言って、合格祈願と赤字で書かれたお守りを私に差し出した。
えっ。
一瞬、時が止まる。
「あ、ありがとう。」
突然のことに驚きながら、私は彼からお守りを受け取った。
「よかった。」
男の子はほっとしたように私に微笑んだ。
その優しい笑顔を見たとき、頑丈な矢に心臓を貫かれたような感覚を覚えた。
私の人生ではじめての経験だった。
「それじゃ。」
そう言って、彼は私の前から姿を消した。廊下に響く受験生の足音を背中で聞きながら、私は手渡されたお守りを見つめていた。
心臓の鼓動がやまない。今にも飛び出してきそうなほど、激しく高鳴っている。
一体、どうしちゃったんだろう?私。自分の身に何が起きたのかわからない。でも、悪い感覚ではなかった。
お守りが見つかった安心感とともに、素敵な人に出会った幸せな気持ちが押し寄せてくる。
瞬間、はっとした。
いけない、あの人の名前を聞くのを忘れていた。
背後を振り返って、廊下を歩く受験生の中から、彼の姿を目で探した。
けれども、あまりにもたくさんいすぎて、どこにいるのかもわからない。
男の子を見つけようと、私は早歩きで受験生の間を駆け抜けた。
けれでも、ついに彼に会うことはなかった。
もう教室の中に入ってしまったかもしれない…。
もっと気持ちを込めてお礼を言うべきだったな。あの素敵な笑顔に、私も笑顔で返すべきだったな。
後悔する気持ちがあとからあとから湧き出てくる。悔やんでも悔やみきれなかった。自分の行動を振り返ると、心が落ち込んで何も考えられなくなる。
そのとき、ぎゅっと握りしめたお守りを見た。合格祈願の文字が私の手のひらに包まれている。
そうだ、私はこれから受験をしに来たんじゃないか。ずっと勉強してきたその成果を出すために、ここに来たんじゃないか。
だめだ、だめだ。切り替えろ、私。
大丈夫だ。あの男の子にはもう一度会える。そして、今日彼がしてくれたことのお礼ができる日が、きっとやってくる。
そのためにも、絶対に受からないと。
気持ちを引き締めて、教室へと向かう。
自分を奮い立たせ、前を向いて、歩き出す。
お守りを渡してくれた男の子の笑顔が思い出された。そのたびに、無限に力が湧いてくる。自信がみなぎる。私は今日この場所で彼に出会えたことに感謝していた。
受験票で指示された教室に入り、決められた席に座る。やがて先生が入ってきて、注意事項を一通り話した後、問題用紙と解答用紙が配られる。
試験が開始する前、二三分の間沈黙の時間が流れる。
私は目をつぶって静かに深呼吸をした。緊張が少しだけ解けて、気持ちが落ち着いた。
ここまでやってきたんだから、絶対に受かる。
自分自身にそうつぶやいて、励ます。
鐘が鳴る。試験開始の合図だ。
私は目を見開いて、解答用紙に名前を書き始めた。
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