うれしくてうれしくて飛んでしまいそう
うふ、うふふ…。
いけない。気が緩むと、にやけてしまう。今まで生きていて、こんなに幸せな気持ちになったことはない。まだ夢みたいで、信じられない。私が松田くんと一緒に帰る日が来るなんて、想像していなかった。
今日という日を、絶対に忘れない。何気ない会話、ありふれた風景だったのかもしれないけれど、一瞬一瞬が私にとって特別だった。
「僕もまだまだわからないことだらけだけど、とりあえずやってみようよ。」
そう言って微笑む松田くんの表情が脳裏に焼きついている。私は松田くんが差し出した手のひらをぎゅっとつかんだ。その瞬間、身体中に電流が走った。好きな人の感触が全身の神経を伝っていくのを、私はただ感じていた。
私より一回り大きくて、白くて、少し骨ばった彼の手のひらは、優しく私の手を包んでくれた。
じっと自分の手のひらを見る。
しばらくは洗わないようにしよう。そう、心に決めた。
鼻歌を歌いながら家の玄関に入ると、お母さんが台所から出てきた。
「今日はいつになくご機嫌ねえ。何かいいことでもあったの?」
「なんでもない!」
そう元気よく返事をして、自分の部屋に向かう。
お母さんは私のことをいつも気にかけている。私のちょっとした変化も、すべてお見通しだ。あとで夕食を食べながら根掘り葉掘り聞かれるだろう。そんなことを思った。
「さてと、長谷川さんが出してくれた宿題、やらないと。」
そう独り言を言って、机の上にノートを置いた。思ったことを声に出して言うと、不思議とやる気がみなぎってくる。
正直、私は文章を書くことが得意ではない。あまり好きでもない。国語の成績もあんまりよくない。小さいころから面倒くさいなあと思いながら、学校から出された作文の課題をこなしていた。
松田くんや長谷川さんは本当に本が好きで文芸部を作ったのに、自分がそこまで興味を持っていないのを後ろめたく感じる。そもそも私が文芸部に入ったのは、松田くんのそばにいたいだけ。彼と同じ時間を共有したいだけ。それだけの理由なのだ。
こんな私で本当にいいのだろうか。
「大丈夫、大丈夫。文章書くのなんて慣れだよ、慣れ。私も全力で芹沢さんの文章を見るからさ。とりあえず書いてみようよ。これから社会に出て文章を書くことなんて山ほどあるから、今のうちに練習しておこうよ!」
長谷川さんがそう言って励ましてくれたことを覚えている。本当にいい子だ。彼女の言葉を思い出すと、なんだかできる気がしてきた。
よし!とりあえず書いてみよう!
テーマは「窓」か。窓について心に浮かんできた情景を書き出してみよう。
「あなたは、いつも窓の方を物憂げに見ている。そのきれいな目で何を見つめているの?目の前のものではなく、心の中の自分を見るような目。
ねえ、一体何に悩んでいるの?私に教えて。あなたの中の悲しみも、絶望も私なら全部受け止められるの。本当よ?
あなたの心の断片、ほんのわずかの欠片だけでも欲しいの。どうして窓の外ばかり眺めているの?どうして私のことを見てくれないの?私なら、あなたの悩み全部聞いてあげるのに。
黙ってないで、私にあなたの心のすべてを教えて。お願い。あなたのことなら何でも知りたいの。」
いや、何書いているんだ私。そこまで書いて、はっと我に返った。授業中、いつも窓の外を見ている松田くんのことを思い出していた。自分の頭の中が松田くんしかないことに改めて気づかされる。文章にしてみると、自分の異常さを身に染みて感じる。
いけない、いけない。これじゃラブレターを書いているみたいなものだ。
そうは言っても、他に何を書けばいいのかよくわからなかった。「松田くんバカ」の私には、彼の姿しか思い浮かべることができない。
私は松田くんのことを考えていた。彼の見ている景色、頭の中の情景、すべてを知りたい。授業中、彼は窓の外を眺めながら何を考えているんだろう。とても気になる。
そうだ。無理して他に書くものを見つけるよりも、自分の書きたいものを精一杯書いてみよう。その方が楽しいし、面白い。
松田くんの目からこの世界を描写しよう。そう思った。彼の頭の中を覗くことはできないけど、想像することはできる。彼の気持ちになって、もう一度目に見えるものを捉えなおしてみよう。
「鳥が、青空の中を駆け抜けていく。太陽が、輝きながら僕らを見下ろしている。退屈な授業のさなか、僕は風が吹くグラウンドの風景を眺めている。
モヤモヤとした感情が僕の身体の中で渦巻いている。今にも窓の外に飛び出して、あの鳥のように自由に羽ばたきたかった。教室という小さな箱の中に縛られて、そこから抜け出すことができない。
勉強、部活、学校の行事。すべて大切なことだ。だけど、僕はそれ以上に何か、目に見えない、はっきりとした形を持たないものを求めていた。自分の情熱を捧げられるもの、大きく羽ばたくための原動力になるもの、そんな素晴らしい何かを求めていたんだ。」
松田くんの思い詰めた表情の中に、私はひとつの希望を見出だしていた。彼は、ただ落ち込んでいるわけではない。もっとよくなりたい、もっと輝きたいという思いが、彼を悩ませているだけだ。松田くんの苦悩は、自分に対して希望を持っていることの裏返しだ。
だから私は、惹かれるんだ。ただ落ち込むだけの私とは違った、かけがえのない強さを持っているから。
そんなことを思いながら、松田くんになったつもりで文章を書いていた。
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