私の休日

 日曜日。友達に誘われて映画を見に行ったあと、カラオケに行った。軽快な音楽が鳴り響く小さな部屋の中に、私はいた。


 友達の由里は目の前のテレビ画面を見て、熱心に歌を歌っている。最近よく街中で流れている歌だ。楽しそうなギターの音とは裏腹に、歌詞はなんだか切ない。


 一人ぼっちの僕 君に会える日をいつも待っているんだ


 こんなにも辛い今夜は 名前も知らない君のことを考えてしまうよ


 一体いつ出会えるんだろう 一体いつ話せるんだろう


 いつか訪れるその日まで 僕は涙を流しながら生きていくんだ


 名前も知らない、まだ会ったこともないけどこの世界のどこかにいる「君」。友人?運命の人?恋人?結婚相手?誰のことを歌っているのかは示されていないが、正体がわからないいつか会える人のことを歌っている。今までの音楽にはない歌詞であることは確かだ。


 手拍子をしながら、何気なく聞いているふりをして私は内心かなりドキドキしていた。この「一人ぼっちの僕」って、松田くんのことなんじゃないか?そして松田くんがまだ話したこともない運命の人が、私のことなんじゃないか?


 いや、この私なんだ。


 この歌詞を作った人が、松田くんと私のことを知らないのは十分にわかっている。そんなわけない。それなのに、まるで私たち二人のためにこの歌が作られたように感じていた。


 そして、今日。由里がこの素敵な歌を歌ってくれたことも、元々決まっていたんじゃないか。必然だったんじゃないか。そう思わないではいられなかった。


 不思議な感動に包まれながら、いつのまにか歌は終わっていた。


 由里はカラオケ採点の点数を見て、残念そうに首をかしげる。


「いやー、なかなか九十点越えるの難しいわー。はい、次茜の番。」


由里は満面の笑みで私にマイクを渡す。


「あ。ありがとう。」


お礼を言って自分の歌を歌いはじめても、さっき頭の中に入ってきたリズム、メロディ、言葉はずっと鳴り止まなかった。いつか訪れるその日まで僕は涙を流しながら生きていくんだ。


 松田くんは泣いているのだろうか?辛いのだろうか?何か悩みを抱えているのだろうか?


 君のどんな言葉だって聞きたい。今すぐにでもそばに行って、抱きしめたい。君の涙が枯れ果てるまで、私はいつまでも君とともにいたい。


 感情の波は言葉となって、頭の中を埋め尽くしていく。


「茜?大丈夫?」


ハッと我に返る。由里が心配そうな顔でこちらを見ている。ゆったりと進んでいくメロディとともに、テレビ画面の歌詞の部分が左から右へ順に塗りつぶされていく。音楽は刻一刻と終わりへ向かっているのに、そこに私の言葉はなかった。


 いつのまにか、私は歌うことをやめていたらしい。慌ててマイクを握りしめて歌いはじめる。由里に恥ずかしいところを見られたためか、顔が異常に熱い。息を切らしながら、途切れ途切れに私の声はメロディを刻んでいく。音程に合わせていくだけで精一杯だ。


 そんな私の様子を黙って由里は見ている。でも、その顔は何かを察したようだった。軽くうなずいて、微笑んでいる。


 なんとか、歌い終わった。三分間くらいなのに、私にとってはとてつもなく長い時間だった。由里が嬉しそうに拍手をしてくれたことだけが、救いだった。


「私、茜が静かに歌うのを聞いているのが好きなんだよね。」


「そう?ありがとう!」


「なんかいつも元気で明るいのに、こういうときはしんみりとした曲を歌うのが意外っていうか。そのギャップがすごい良いなって。茜って、こういう一面もあるんだなって思った。」


「何その、専門家みたいなコメント。」


私はふふっと笑う。由里の言葉のチョイスはいつも面白い。先程の失態についてからかわない彼女の態度がありがたかった。


「私は茜の専門家だよ!学校でも一番のファンなんだから!めちゃくちゃ分析してるよ!」


由里も釣られて笑いながら、私に大きな声で訴えてくる。その熱量にはいつも負ける。彼女はおどけて自分の顔の前で両手の親指と人差し指を使って長方形を作り、ポーズを決めている。その長方形の奥から彼女の可愛らしい瞳が見える。私のことはいつも観察しているという意味らしい。


 私が感じた気まずさをこんな形で解消してくれる由里が、大好きだ。


 楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。


 そろそろ受付で言った利用時間が終わる。カラオケルームから出るとき、由里はふと私の方を向いて言った。


「茜ってさ、もしかしていま、恋してる?」


「え?」


ドキッとした。やっぱり、バレバレだったのか。ふとした瞬間に、私は松田くんのことを考えてしまう。それが友達にわかってしまうのも仕方ない。


「いつも茜ってさ、私の話聞いてくれるし優しくていい子なんだけど、たまにさ、すごいぼーとしてて、何考えてるんだろうって、気になる瞬間があるんだよね。さっきもさ、自分が歌っている途中だったのに、なんか心ここにあらずって感じで歌うのやめちゃったし。


 もしかして、誰かのこと好きになったのかなあって。その人のこと想っているのかなあって。そんな気がしてさ。ほら私、専門家だし。」

 

由里は天然なように見えて、結構色々なことが見えているし、鋭い。私は松田くんのことを打ち明けようか迷った。由里なら、きっと私の思いを受け止めてくれると思った。


 それなのに。言葉が喉元につっかかって、何も言えなかった。何も話せないのは、由里のことを信頼していないとか、そういうことじゃないのはわかっていた。


 要するに私はまだ夢見る女子なのだ。松田くんのことが好きすぎて頭がどうにかなりそうなこの自分を、まだ現実として受け入れきれてない。自分の内なる想いを外に出す術を、私はまだ知らない。


 だから、この激しい自分の感情を言葉に出すことさえ、怖かった。自分の気持ちにしっかりと輪郭をつけることに戸惑いがあった。私の中だけで世界が完結して、それを行動に移すのをためらっている。好きな友達にさえ、心の奥底の、本当の気持ちを伝えることができない。


「うん。私、クラスの男の子のことが好きなの。その気持ちを受け入れてどうしたいのか、自分でもまだよくわからなくて。だから、今はまだ誰のこととか言えないんだけど、絶対いつか由里に伝えるから。それまで、私なりに頑張ってみるから。」

 

ようやく私は自分の気持ちを伝えることができた。由里は黙って私の言葉に耳を傾けていた。話し終わったあと、しみじみと私に語りかけた。


「そっか。私、茜のこと応援してるから。なんか悩んでたらいつでも言ってね。何でも聞くから。」


由里の優しい言葉が、私の鼓膜を揺らす。泣きそうになった。


 外に出ると、そこにはオレンジ色の夕焼けに包まれた街並みがあった。私と由里は、連れ立って駅まで歩いていく。


 いつからだろう。道行くカップルを見てしまうようになったのは。私はなぜだか無意識に彼らに視線を向けてしまう。松田くんが他の誰かと歩いているんじゃないかと想像してしまうからなのか、それとも将来私と松田くんが恋仲になり、寄り添いながら歩く姿を思い描いているからだろうか。


 交差点を待つたくさんの人々。その中の誰かが松田くんであってほしいと願うように、私は彼らの顔を一つ一つ確かめてしまう。どこかに松田くんがいるんじゃないか。そんな気がして、反射的に見てしまう。

 

 友達。家族。趣味。勉強。将来の夢。目標。考えなければいけないことは山ほどあるはずなのに、私の頭の中は完全に松田くんに支配されている。


 このままで、本当に大丈夫なんだろうか。得体のしれない不安に打ちひしがれながら、由里と別れ、自分の家へと帰る。


 夜。自分の部屋でベッドの上に体育座りをして、私はこの前買った松田くんが熱中していた本を読んでいた。


 主人公は漫画家になることを目指して上京し、有名な漫画家のアシスタントになって日々絵を描くことを続けていくが、何年経っても自分の連載を持つことができない。

 

 同期の漫画家が大ヒット作を描いて成功したり、同世代の若者が就職し、結婚し、家族を持ったりする中、いつまでも貧しい生活を続けている自分に絶望する。夢と現実とのギャップ、そして自分の才能のなさに思い悩み、葛藤する彼。それでも自分が大好きな漫画と向き合い、アイディアをかき集めて独自の世界観を持った作品を作り上げていく。


 やっぱり、主人公は松田くんに似ていた。


 彼は、この小説を自分と重ね合わせながら読んでいるのだろうか。共感しながら読んでいるのだろうか。だとしたら、私は松田くんの思考を一欠片でも分かち合えているのかもしれない。彼と同じ体験を共有しているのかもしれない。


 興奮を覚えながら、小説を読み進めていく。


 大好きな人と同じことをするのが、こんなに楽しいなんて思わなかった。ああ、小説の感想を松田くんと話し合いたい。


 そんな願いを胸にいだきながら、静かな部屋の中でじっと読書をしていた。


 

 

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