休み時間の僕

 休み時間。いつもと同じように黙々と本を読んでいると、隣から声が聞こえてきた。


「ねえ、いっつも何読んでいるの?」


声の方に顔を向けると、そこには満面の笑みを浮かべた女の子がいた。隣の席の長谷川さんだ。普段あまり会話をしていないので、いきなり声をかけられて緊張する。


 いや、そんなんじゃだめだぞ、僕。妹から言われたじゃないか。スマイル。スマイルだぞ。


 必死にそう自分に言い聞かせて、意識的に口角を上げながら応える。


「ちょ、ちょっと最近、マイナーな作家にハマってて。と、東条晴彦さんの『夕暮れに立つ若者』っていう小説なんだけど。し、知らないよね?」


笑顔を心掛けると、思いのほか言葉がスラスラと出てきて自分でも驚いた。ありがとう、シノちゃん。


「おー、東条さんじゃん。私、知ってるよ。あれだね、去年の〇〇社の新人賞取った人でしょ?少しずつ売れてきてるよねー。」


「え!!知ってるの!!長谷川さんって、小説詳しいんだね!!」


自分が読んでいる本を知っている人がいるなんて、うれしい。共通の話題を持っていると、人はつながれる。もしかして長谷川さんと友達になれるかもしれない。


 長谷川さんは少し照れたようにショートカットの髪の後ろに腕を回す。


「ありがとう。私も東条さんの小説、大好きなんだ。主人公の鬱屈した感情とか劣等感を描写するのがすごく上手いよね。落ち込んだときに読むと、そういう自分を肯定してくれるように感じられて、ちょっと救われるんだ。」


少し静かに話す長谷川さんの一言一句が、僕の心の中に染みわたっていく。はじめての感覚だった。もしかして、これが共感という感情なのか。今まで感じたことのない心の動きに戸惑いながらも、僕はそれをできるだけ受け入れようと思った。


「そうなんだよね。僕もいつも落ち込むから、東条さんの小説のようにその姿を色鮮やかに描かれると、安心するんだよね。


 僕昔から夢とか目標とかない人間で、向上心のない自分に劣等感を感じていたっていうか。特に何も頑張ろうとしていない自分を悲しく感じていたんだ。でもこの本読んで、それでもいいんだって、前向きに考えられるようになったんだ。


 というのも、僕とちがってこの小説の主人公は幼い頃から持っている漫画家っていう夢を叶えようと努力しているんだけど、その過程で元々の目標だった『読者に感動を伝えたい』っていう想いが、『生活費を稼ぐため』とか『有名な漫画家になって人々から認められるため』という目的にすり替わってしまうんだ。


 それで結局、なんでこんなことやってるんだろ?って、主人公は自問自答するようになる。こんなことやってても、なんの意味あるんだろうって。正直、昔と比べて楽しくないし。


 それでも、生きていくためには原稿を書かないといけない。色々悩むし辛いけど、与えられた仕事をまっとうしないといけない。ほとんど思考停止で目の前のやるべきことに向かっていくしかないんだけど、不思議とその気持ちがやる気を生み出すことに主人公は気づいていく。


 そのとき。彼は思うんだ。そうか、これでいいんだって。夢も目標も変わってしまったけど、自分のやれることを精一杯集中してこなすしかない。その延長線上で、もしかしたら誰かの人生を支えることができるかもしれない。


 僕はその場面にすごく勇気づけられた。自分には何もないと思っていたけど、学校に行くこととか、宿題をやることとか、そういう目の前のことをまずは頑張ろうと、そう思えたんだ。


 東条晴彦さんは、僕の人生を変えてくれた大切な作家さんだよ。」


そこまで言い終えて、ハッとした。いま僕はどれくらい話していた?長谷川さんのことを無視して、自分の言いたいことばかり言ってなかったか?彼女に話すというよりはむしろ、自分自身に語りかけるように話してなかったか?


 大丈夫か?引かれていないか?嫌われていないか?退屈な奴だと思われていないか?なんでいつも僕はこうなんだろう…。長谷川さんがせっかく優しく話しかけてくれたのに、調子に乗ってしまった。こんなにも独りよがりだから、友達が一人もできやしないんだ。


 怖くて怖くて仕方なかったが、僕は隣の長谷川さんの顔色を伺った。


「松田くん!!」


彼女は僕の名前を呼んで、いきなり両肩を掴んだ。彼女はキラキラした目で僕を見つめてくる。


「松田くん!いま、めちゃくちゃ輝いているよ!今まであんまり話してなかったけど、君って、ほんとに小説が好きなんだね!」


彼女の顔が近い。可愛らしい瞳の中の黒い瞳孔がはっきりと見える。見とれていると、だんだん意識がなくなっていくように感じられた。予想外の展開に思考が追いつかない。


 長谷川さんは覆いかぶさるくらい近距離で僕の顔をじっと見つめている。強く掴まれた肩が少し痛い。彼女がこんなにも距離を詰めてくる人だとは思ってもみなかった。


「あ、ありがとう…」


「ところでさ、松田くん今日って、何か予定ある?」


「えっ。」


いきなりそんなことを言われて、びっくりした。長谷川さんは期待に胸を躍らせながら僕の答えを待っている。こんな表情を間近で見せられると、本当にドキドキする。


「いや…なにもないけど…」


「ほんと!じゃあさ、放課後一緒に来てほしい場所があるんだけど、どうかな?」


「一緒に来てほしい場所…」


「そう!私の夢を叶える秘密の場所。もしかしたら、松田くんの夢にもなるかもしれない素敵な場所。」


唇の前で人差し指を立てる長谷川さんが可愛い。いたずらっぽい顔で微笑む彼女はちょっぴり謎を含んでいて魅力的だ。一体、僕をどこに連れていくつもりだろう…?


 人との触れ合いはいつも予測不可能で、驚きに満ちている。いつだって、変化のない僕の日常に光をもたらしてくれる。


「うん。一緒に行こう。」


長谷川さんの頼みに精一杯応えるように、僕は元気にそう言って微笑んだ。


「やったー!!ほんと、ありがとう!!」


長谷川さんは満開の桜のような笑顔で僕と握手した。


 彼女の体温とともに伝わってくる熱い感情に触れて、やけどしそうだ。


 僕は内心、心底感動していた。


 一人ぼっちに過ごしていた僕の生活に、新しい風が吹き始めた気がしたから。


 泣きそうなくらいに、長谷川さんに感謝していた。



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