君を見つめる私

 何かが起きている。


 私がどうすることもできないはるか向こう側で、松田くんに変化が起きている。そう思った。


 休み時間。いつものように彼の姿を見つめていると、隣の席の女の子が話しかけているのが見えた。


「ねえ、いっつも何読んでるの?」


聞こえてきた言葉に、唖然とした。彼女の口から出てきた言葉は、まさに私が今日松田くんに言おうと思っていたことだった。あんなにも何気なく、さらっと彼に話しかけられる彼女ー長谷川さんーがうらやましかった。


 松田くんは読んでいる本の表紙を見せて、にこやかに話している。今日の彼は、いつにもまして明るい。何か心境の変化でもあったのだろうか…?


 二人は共通の本の話で盛り上がっていた。今まで松田くんをずっと見てきたけど、あんなに楽しそうに話す彼を見たことはなかった。彼の話を黙って聞いている長谷川さんも、うれしそうだった。


 目指していた理想の光景が、そこにはあった。でも松田くんの隣にいるのは、私ではない別の誰かだ。なんだか胸が苦しい。どうにも踏み出せない自分を鼓舞し、少しでも彼に近づきたいと思っていたのに。そのために、秘密の努力もしてきたのに。


 切ない想いが、胸の中にじんわりと広がる。心臓がチクチクと痛い。松田くんが他の人と話しているだけで、どうしようもなく苦しくなってしまう。


 私はこの激しい感情をどこに吐き出せばいいんだろう?二人が仲良く会話しているのをただ遠くから眺めているだけで、なにも行動できない。

 

「松田くん!」


教室中に長谷川さんの大きな声が響いた。クラスメイト全員が、声のした方に振り向く。彼女は松田くんの肩を掴んで、とてつもない近距離で話しかける。


「松田くん!いま、めちゃくちゃ輝いているよ!今まであんまり話してなかったけど、君って、ほんとに小説が好きなんだね!」


まっすぐに松田くんを褒められる長谷川さんは、素敵だった。クラスの男子は、面白そうにその様子を眺めていた。女子たちも、しばらくの間会話をやめて、二人の様子を見守っていた。


 松田くんは、嬉しいような、困ったような顔で長谷川さんを見つめている。彼女の熱気に押されて、どう反応していいかわからなくなっているようだ。


 あんなに近くで見つめ合っている二人を見ていて、私の精神が耐えられるわけはなかった。別に恋仲というわけではないだろうが、松田くんが私以外の他の女性と仲良くなっている事実を上手く受け入れることができない。 


 こんな私は、傲慢だろうか…?


 大丈夫。長谷川さんは別に松田くんのことが好きで、アプローチしているわけじゃない。彼女は同じ小説の話題ができてうれしくなっているだけだ。ちょっと人と距離を詰めすぎるところがあるから、積極的にアタックしているように見えるだけだ。


 だから、大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。


 そう自分に言い聞かせて励ましても、どうしようもなく落ち込んでしまう。


「あ、ありがとう…」


「ところでさ、松田くん今日って、何か予定ある?」


「えっ。」


「いや…なにもないけど…」


「ほんと!じゃあさ、放課後一緒に来てほしい場所があるんだけど、どうかな?」


びっくりして、目を大きく見開いた。一緒に来てほしい場所ってどこだ…?松田くんと二人で?私からは見えない場所で一体何をしようというのだろう?


 互いが親密になりたいと願っている状況を微笑ましく思うべきなのに、心の中で嫉妬に駆られ暴走している私がいる。こんなにも松田くんのことを愛しているのに、振り向いて私の名前を呼んでくれないのはなんで?


 どうして他の女性とそんなに楽しく話していて、私のことを見てくれないの?


 携帯を拾って、尾行して、本も買って、四六時中君のことを想っているのに。君の世界には私なんて存在していないの…?


 だとしたら。君の世界を私でいっぱいにしてやる。他のことなんて考えられなくなるくらい、君の頭の中を私だけで埋めてやる。


 自分でも怖くなるくらいの欲望を覚えた。


 窓辺にいる二人の男女は、握手をしている。松田くんの体温を、私も感じてみたかった。きっと優しくて、すっぽりと私を包み込んでくれるんだろうな。そんなことを妄想してしまう。


 長谷川さんが、うらやましくてしようがない。頭がどうにかなってしまいそうだ。


 いつも一人でいるから、完全に油断していた。他の女性と仲良くなることなんて、想像もしていなかったのだ。松田くんのことを愛しているのは私だけだと、勝手に思い込んでいた。


 でも、ちょうどいい。この逆境が、私の決心を揺るぎないものに変えてくれた。


 松田くんは今日の放課後、長谷川さんと「秘密の場所」に行く。きっと、二人の関係はぐっと近づくのだろう。松田くんは彼女と楽しい高校生活を過ごすことになるのだろう。でも彼の人生の物語の中に私がいないなんて、そんなの許せない。


 私は常に彼の中のヒロインでありたい。彼と愛の契りを結ぶたった一人の女性でありたい。


 今まで感じたことのない強い欲求が芽生えた。全身から力が湧き、どんなことでもできそうな気がした。松田君になんとしてでも私を認識させたい。それだけを思っていた。


 決めた。二人を尾行して、「秘密の場所」がどこにあるのかを突き止めよう。長谷川さんがこれから何をしようとするのか、彼女の夢が何なのかについても盗み聞きしよう。


 そして強引にでもいいから「二人の計画」に加わるのだ。そうすれば今よりもずっと、松田くんとの距離を縮められる。


「私の夢が、松田くんの夢にもなるかもしれない。」


長谷川さんはそう言っていた。思ったことをすぐに行動に移す彼女は、自分と松田くんが同じ方向を見つめていることにそれとなく気づいている。だからこそ、彼を秘密の場所に誘ったのだ。


 私は彼女とは違う。いつもすぐに落ち込むし、こんなにも想っているのに、自分の願望を行動に移すことがなかなかできない。


 それでも。自分にもできることがあるはずだ。そう強く信じている。


 松田くんの夢に寄り添うこと、それを精一杯応援すること。それが私のできること、私の夢だ。


 そう思っただけで、身体がフワフワと浮かぶような高揚感を感じた。想像しただけで、幸せだった。だって、好きな人と同じ道を一緒に歩めるのだ。ときめかないわけがない。


 私は他のことなんてどうなってもいいくらい、恋に燃えていた。


 きっと私の瞳には、炎が宿っているんだろう。


 

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