文芸部編

僕と秘密の部屋

 放課後。僕と長谷川さんは連れ立って教室を出た。僕はどこへ行くのかわからないまま、彼女の向かう方向についてゆく。並んで歩く長谷川さんの横顔が廊下の窓から差し込む光に照らされて輝いている。


「私さ、子供のころからずっと本が好きだったの。それこそ、友達と遊ぶよりも本と向き合っている時間の方が長かったくらいよ。自分の中の想像の世界で、登場人物たちが自由気ままに動き回るのを眺めているのが好きだった。


 小学生のときはね、作文を書くのが大好きだった。周りのみんなは毛嫌いしてたけど、私にはその理由がわからなかった。頭の中で描いた風景が次第に形になっていくのが楽しかった。自分の書いた小説を先生に見せたこともあるの。すごく勇気がいることだったけど、先生から面白いって言われたときは本当にうれしかった。


 そのときね、思ったの。私、将来作家になりたいって。」


その瞬間、彼女は僕の方を振り向いて微笑んだ。夢を語る人間はなんて美しいんだろう。僕は彼女があまりにも輝いているものだから、思わず見とれてしまう。


「でも私にはね、自分の想いを語る相手がいなかったの。友達が話すのは、おしゃれや漫画やゲームのことばかり。もちろんそれも楽しいんだけどね、やっぱり物足りなかった。私が本当に話したかったのは、小説のことだったから。でもそういう話って、小説を読んだ人にしかわからないと思うの。本が大好きで、そのことだったらいつまでも話せる人。


 だから私は、高校に入るとき絶対に文芸部に入るんだって思ったわ。自分と同じように、小説を愛していて、そこに情熱を注ぎ込む人と一緒に小説を作ったり、本について話そうって決めてたの。だけど高校に入って大切なことに気がついてびっくりしたわ。


 この高校には、文芸部がないってことに。」


ハッとした。言われてみれば、確かにこの学校で文芸部の話題を聞いたことはなかった。四月に行われた部活動紹介でも、多くの部活動が登場する中で文芸部の人々の姿を目にしたことはなかったような気がする。


 この学校に、文芸部はない。どうしてそんな大切なことに気がつかなかったんだろう。


「完全に私のミスだったわ。ここは比較的学力レベルが高い進学校だから、文芸部もきっとあるだろうと高をくくっていたのね。高校を決める前にパンフレットぐらい、注意深く見ておくべきだったわ。


 正直、入学した当初はすごく落ち込んだわ。文芸部に入るのをすごく楽しみにしていたの。でも、落ち込んでいるだけじゃいけないことに気づいたの。いつだって自分の前に立ちはだかる壁は、越えていけるものよ。私はそう信じている。


 私はね、松田くん。素晴らしいアイディアを思いついたの。もしこの学校に文芸部がないのなら、私が作ればいい。そう思った。」


明るく話す長谷川さんの唇はきっと左右に固く結ばれている。その表情は決意に満ちていた。僕は彼女の言葉の一音一音を注意深く聞きながら、彼女の心の底にあるまっすぐな想いを受け止めていた。


「どんなことも最初はたった一人の思いつきからはじまるわ。だけど、その願いを現実に変えるためには仲間が必要なの。私とともに同じ方向を見つめ、同じ道を歩んでくれる仲間が。どんなことだって一人ではできないの。文芸部だって、一人では成り立たないものね。


 私はずっと探していた。私と同じように、小説が好きで好きでたまらなくて、そのためなら自分のすべてを捧げられる人を。そして君に出会った。授業の間の休み時間、昼休み、どんなときも本の中の文章を目でたどる君の真面目な表情を隣で見ていて、ある予感がしたの。この人なら、一緒に同じ夢を追いかけてくれるって。


 そしてさっき私が声をかけたときに君が教えてくれた本への愛情、君の言葉の中に隠されたあふれるばかりの熱意。ねえ、松田くん。君は気づいていたかしら。あの瞬間、あの空間に君以上に輝いている人はいなかったわ。世界中探しても、きっとどこにもいなかったわ。そのとき私が抱いていた予感は確信へと変わったの。


 お願いがあるの。松田くん。私と一緒に、文芸部をつくらない?」


長谷川さんは立ち止まって、真剣な瞳で僕の顔を見つめている。僕はしばらくの間彼女の言葉の中にある情熱にただただ圧倒されて、目の前で僕の返答を待つ彼女の姿を黙って眺めていた。


 その間、僕は何度も何度も長谷川さんの想いを反芻して、そこに自分の想いを重ね合わせた。何もできなかった今までの自分への悔恨、何も持ちえないと思い込んでいた僕の手のひらに残された、たった一つの好きなこと。空白のように感じられた繰り返される日々の間に、雪のように積もり積もった感情はきっとこの瞬間のためにあったのだろう。


 僕は長谷川さんのことをよく知らない。もしかしたら、僕らは全然違う人間かもしれない。でもなぜだろう。不思議と僕らはうまくやっていけるような気がしたんだ。

 

 彼女の強い気持ちに驚いて、それをただ受け止めているだけじゃだめだ。そこに自分の意思を、自分の行動を付け加えていかなければ。僕はぎゅっと拳を握りしめて精一杯心の底から声を出した。


「やろう。一緒に文芸部をつくろう。大丈夫。僕らならきっとうまくいくよ。」


窓から差し込む夕日の光が、僕ら二人の顔に降りかかる。僕らはお互いの気持ちが通じ合ったことに満ち足りて、笑い合った。なんて素晴らしい光景だろう。


「ありがとう。」


僕らは出会えたことに感謝した。


 長谷川さんは僕の背後にある静かな教室の方に指を向けた。


「今日から、ここが私たちの部室よ。調べてみたら、この場所はどの部活も使っていない空き教室みたいなの。ここで私たちの活動をはじめましょう。」


ひっそりとした廊下には、僕たち以外誰もいない。ここはひとつの宇宙だった。暗い闇の空からたくさんの星を探すように、新しいことに希望を見出した僕らの目の前に広がる宇宙。


 僕はドキドキしながらドアを開けて中に入る。長谷川さんも僕について部室に足を踏み入れる。


 さあ、はじめよう。


 自分を奮い立たせるように、僕は心の中でそっとつぶやいた。


 








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る