屋上にいる君に会いたい

 松田くんが、好きだ。


 大好きだ。


 休み時間教室の隅で本を読んでいる君が好き。退屈な授業から逃れるように、物憂げに窓辺を見る君が好き。帰りのホームルームが終わった後、恐ろしいものから遠ざかるように慌てて教室を飛び出す君が好き。


 君の一挙手一投足を、私はこの上なく愛している。


 好きな人ができると、世界は驚くほどに変わる。今までがモノクロで、君に出会った瞬間カラーになったみたいに、すべてのものが愛おしく、色鮮やかに映り始める。空中に舞う埃さえ、妙に輝いて美しく見えてくる。


 でも一番愛おしいのは、松田くん。君なのです。


 私は君のことしか考えられない。広い宇宙の中で、君に出会えたこと。この奇跡に感動している。


 狂おしいほどに愛しています。松田くん。


 昼休みになると、彼はおもむろに弁当を取り出して、教室から出ていく。


 行き先は、わかっている。何度もばれないように尾行したから。


 誰もいない屋上だ。


 私の昼休みの日課は、屋上へと向かう松田くんの姿を追いかけること。数メートル後ろから、彼がうつむいてとぼとぼと歩く姿を眺めること。でも不自然にならないように、あくまで女子トイレに行く振りをすることを忘れない。だから松田くんの存在を確認できるのは、私が女子トイレの入り口に入るまでだけだ。


 本当はずっとそばにいたいのに。君のことをずっと見ていたいのに。後ろ姿をただじっと見つめることしかできない自分が悲しい。


 今日の松田くんは、赤と白のチェックの上着に、青いズボンを着ている。少し寝癖がついた黒髪の間から、眠たげな瞳をのぞかせている。彼は鼻にちょこんと乗った眼鏡を直す癖がある。可愛い。


 いつも通り弁当を持って屋上へ行く松田くんを追いかける。ちょうど女子トイレのそばまで来たときに、彼のポケットからスマホが落ちるのを見た。


 松田くんはそのことに気づかないで廊下を歩いていく。

 

 私は急いで落ちた場所に駆け寄り、床の上のスマホを取った。


 黒いカバーが付いた、大きめのスマホ。間違いない、松田くんのものだ。


 ごくり。これは、彼と距離を縮めるチャンスだ。今すぐ渡して、お礼を言われたい。


 私は彼の歩いた方角に目を向けた。もう屋上に行ってしまったのか、廊下には誰もいなかった。


 どうしよう。松田くんのもとに行くべきだろうか?


 でも。ふと、思いとどまる。怪しまれないだろうか?どうして彼が屋上にいることがわかったのか?どうしてスマホが彼のものだとわかったのか?


 そう言われたとき、なんて答えればいいんだろう。正直に言うべきだろうか。君のことが好きすぎて、ストーカー行為をしていたからです、と。


 まさか、そんなこと言えるわけもない。


 そして、なにより。好きな人に、自分の存在がばれたくない。そんな理屈ではない感情がこみあげてきて、自分でもびっくりした。こんなに愛おしい人に話しかける勇気が、自分にはないような気がした。


 そのとき。私はスマホがどこにもなくて落ち込む松田くんを想像した。おっちょこちょいな自分を責める松田くんを想像した。親に叱られ、携帯ショップに足を運ぶ松田くんを想像した。


 その後ろ姿を思い浮かべたとき、居ても立ってもいられなくなった。


 行かなきゃ。


 考えるよりも先に走り出していた。廊下を通り過ぎ、階段を上り、屋上へと続く扉を開ける。建付けが悪いせいか、鈍い音が鳴る。


 ギイ。


 風が吹いていた。私の黒い髪が少し揺れたのを感じた。辺りを見回して、必死に彼がどこにいるのか探した。


 あ。


 松田くんは屋上の片隅で体育座りをして弁当を食べていた。彼と目が合う。


 ドキドキする。心臓の鼓動が鳴りやまない。


 急いで駆け寄って、スマホを渡す。


 

「はい、これ。」


「え?」


松田くんはびっくりして私を見つめてくる。一瞬の間、二人は見つめ合う。その時間に酔いしれて、何も考えられなくなる。


 一生、このままでいたいのに。


 なぜだろう。私は目をそらしてしまう。


 松田くんは自分のズボンのポケットを探って、スマホを落としていたことを確認した後、私からスマホをもらった。


 こういうとき、なんて言えばいいんだろう?


 どうしようもなく緊張しているけど、私は笑顔を忘れなかった。自分の取り柄が明るさであることを、まぎれもない私自身がよく理解している。


「廊下に落ちてたよ。これ、松田くんのスマホだよね?」


「あ、うん…。」


「よかった。気をつけてね。」


本当はもっと話したいのに。君のことをもっと知りたいのに。私は逃げるようにその場を後にしてしまう。


 好きな食べ物は何?趣味は何?得意な科目は?好きな本は何?家では何をしているの?いつも何を考えているの?


 君の頭の中身を知りたいよ。


 話したいことはいっぱいあった。次々と浮かんでくる会話の話題は、松田くんに届くわけもなく、私の中にたまっていく。


 ギイ。


 建付けの悪い扉のドアノブを握ったとき、声がした。


「あの、、、ありがとう!!」


松田くんは私の方を向いてそう叫んだ。嬉しくて、思わず手を振る。


 ああ、君に会うために私は生きてきたんだ。


 君の真剣な表情を見たとき、そう確信した。運命とか、愛とか、そういう言葉で表現できる形の、その奥で、つながっていると思った。


 今はまだ、友達ですらないけど。今日、話せた。


 それだけで幸せだった。






 

 

 

 

 


 

 

 

 

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