僕は本屋にいた
退屈な授業が終わると、僕はすぐに帰宅の準備を整える。
誰よりも早く教室を出て、学校から逃げるように立ち去る。
学校の最寄り駅から電車に乗って、家の近くの駅で降りる。
でも、すぐに家には帰らない。夜になるまで、ひたすら本屋で立ち読みする。
それが僕の日課だ。
一人ぼっちの日々を過ごしてきた僕にとって、本だけが唯一の友達だった。僕は読書を通して自分の心と向き合い、対話をしていた。本は僕の内面をつくり、成長させてくれた親のような存在でもある。
いくつになっても、僕は誰とも会話をせず、ずっと黙って本を読んでいた。どうやら僕には、現実世界よりも本の中の空想の世界の方がなじみやすいようだ。
僕の父親は読書家だ。何の役に立つかわからない膨大な量の書籍を棚に並べていつも不気味に笑っている。得た知識を仕事に活かすわけでもなく、たまに他人にひけらかして喜ぶような人間だ。そんな父に毒されて、僕も幼いころから本を読んでいた。おかげで友達は一人もできなかった。
最近は、新人作家東条晴彦さんにハマっている。まだ数作しか発表していないマイナーな作家だが、夢と現実の狭間でもがく人物を描くのがとても上手い。僕には彼の描く主人公の弱弱しさと葛藤が心地よかった。
自分に似ているからだろうか。
芥川龍之介や太宰治や三島由紀夫みたいな有名な作家を読む気は起きないのだ。だって彼らは自殺したんだから。彼らほどの苦悩を、僕は背負い込む自信がない。
人気作品ではない、こういうあまり知られていない本は書店の奥にうらさびしく置かれている。大してお金もない僕は、身をひそめるように書店の片隅の壁によりかかりながら、苦難の末に自分の道を見出す主人公と戯れるのが好きだ。
活字を見ると、僕の集中力は異常に発達する。周囲の時間の流れは止まり、僕と本だけが世界から取り残されたように、独特の空間をつくりはじめる。
気がつくと、何時間も経っていて、閉店のアナウンスを聞くこともあるから、我ながら驚きである。
今日も僕はそそくさと学校をあとにし、気づけば家の近くの本屋で閉店のアナウンスを聞いていた。
帰ろう。
本を丁寧に元の場所に戻し、入り口へと向かおうとしたとき。向かいで参考書を読んでいる女性と目が合った。
えっ。
びっくりした。その女性は芹沢さんにあまりにも似ていたから。
まさか、芹沢さん…?
そんなことがあるはずない。どうして彼女がここにいる?この近くに元々住んでいるなら、小学校や中学校のときに同級生だったはずだ。でも、そんな記憶はない。最近、この近くに引っ越してきたのだろうか?それとも、何か予定があって、たまたまこの本屋に来たのだろうか?
いや、そもそもただ単に似ている人の可能性もある。目の前の女性は学校の制服ではなく、可愛らしい私服を着ている。人違いかもしれない。
止めどもなく考えが現れては、消えていく。
女性は動揺する素振りもなく、再び視線を雑誌へと移す。
もし芹沢さんだったら。何らかの反応を示してくれるはずだ。少なくとも同じクラスの僕に気づいて、何食わぬ顔はしないはずだ。スマホの一件があって以来、僕は芹沢さんの中に優しさがあることを確信していた。僕を無視するような人ではない。
おそらくは、人違いだ。きっと。
僕は本屋をあとにした。
暗い夜道を家へと帰る最中も、なんだかドキドキした。彼女はびっくりするほど芹沢さんにそっくりだった。本当にあの人は別人だったのか…。それとも…。
迷路の森をさまようように、思考がぐるぐると回転して、同じところに戻ってくる。目が回りそうだ。
どうにもならないモヤモヤを胸に抱えて、歩いていた。
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