あの子に会ってから、私の世界は変わった。
春風が吹きすさぶ入学式の日。私ははじめて高校の校門をくぐった。
中学生までは同じような地元の仲間と過ごしてきたけど、今日からははじめて会う人たちと新しい生活を過ごすことになる。教室にはどんな人がいるんだろう。考えるだけで、心臓が高鳴る。期待、興奮、緊張、不安、いろんな感情がまぜこぜになって、私の胸に押し寄せてくる。これからの未来が楽しみでしようがない。
桜の花びらは私を待っていたかのように、目の前にひらひらと舞い降りる。私はおはよう!と挨拶をした。花びらは私の手のひらに上手く着地して、おはよう!今日はずいぶん元気だね!と返事をする。
そりゃあ、そうだよ。今日は登校初日なんだから、元気いっぱいじゃなきゃね。私がそうつぶやくと、そうか!それはいいことだね。いい一日をお互い過ごそう。それじゃ、さよなら!花びらはそう言って、私の手から滑り落ちていった。
明るい笑顔!元気いっぱい!どんなときも前向き!それが私のチャームポイントだ。私は自分が大好きだ。身体からあふれ出るありあまるほどのエネルギー、みずみずしい若さ、どこまでも駆けていけそうな力強さ。私は健康な身体と健全な精神を身につけて、希望の道を突き進む。
たくさんの人と仲良くなれたらいいなあ。大好きな人がもっと増えればいいなあ。
想うだけで、ワクワクした。どんな願いでも叶う気がした。持ち前の明るさがあれば、きっと周りは快く迎えてくれるはずだ。さあ、楽しもう私!
友達がいれば、どんなときでも笑い合えるし、高校生活を全力で過ごせる。みんなでカラオケに行って、ボーリングに行って、ゲーセンに行きたい。高校三年間遊び倒す!そう心に決めている。
でも本当に私がやりたいことは、それではない。
私はずっと本が好きだった。小学校の頃から図書室で貸し出し冊数ギリギリまで本を借りて、毎日のように家で読みふけっていた。児童文学、偉人シリーズ、童話、絵本、子供向けの科学雑誌、なんでも読んだ。物語に触れ、文章から景色を想像しているうちに、いつしか自分でも小説を書きはじめていた。
でも恥ずかしくて、「私、小説を書いてみたの!ぜひ読んでみて!」なんて友達に言えなかった。唯一私の好きなことを理解してくれたのは、小学校五、六年生のときの担任の先生だった。たくさんの動物、ぬいぐるみ、そして私が出てくる可愛らしい自作のファンタジー小説を、先生は喜んで読んでくれた。親にも見せたことがなかった私のアイデンティティを理解してくれたのは、人生の中でその人しかいない。
中学生になって先生と会えなくなったあとも、私は一人で小説を書き続けた。親は私の部屋に大量のノートがあることを知って不思議がった。親がノートの中身を見ようとしたら、私は「見ないで!」と叫び全力でノートを奪い取った。中身について質問されても、ただの日記だと言い張った。もしかしたら私がいないときにこっそり見られているのかもしれないけど…。
高校生になるとき、私には一つの目標ができた。それは、本が好きな人たちと仲良くなること、そして互いに切磋琢磨しながら、人の心を動かす文章を書くこと。そのためには、文芸部に入るのが手っ取り早い。
文芸部には、どんな人たちがいるんだろう?きっと、新しい物語に出会うのが楽しみで楽しみで仕方がない人たちがいるんだろうな。そして私と同じように、誰かを元気づけられるような小説を書きたいと願って、本気で頑張っているんだろうな。
私は人生を歩みながら、心の底でずっとわだかまりを感じていた。内に秘めていた自分一人の夢を誰かと分かち合いたいと願っていたんだ。
今日、新しい生活がはじまるこの日に、私は本当の自分を見せたいと思っていた。隠さずに「自分の好きなこと」をはっきりと言いたい。私は好きなことを受け入れてくれる場所を求めていた。
ああ、ワクワクする。
玄関へと向かう途中、一人の女の子が私を追い抜いていった。パッと彼女の横顔を見たとき、私は全身を駆け巡る衝撃に思わずその場に立ち尽くしてしまった。彼女が去ったあとも、心臓の鼓動が大きな波となって、身体を脈打つのを感じる。
か、可愛い…。
この世界に、こんなに可愛い人がいるなんて…。
透き通るほどの白い肌、ぱっちりとした大きな瞳、細長く愛らしい鼻、つやのある唇、すらりとした身体…。想い出すたびに、顔が赤くなる。
私は空を見上げた。太陽がきらびやかな光を放っている。白い雲が、地上にいる私に笑いかけている気がした。頭上に広がる青い空に、今にも吸い込まれそうだ。
あれ?太陽って、あんなに輝いていたっけ?雲って、あんなに白かったっけ?空って、あんなに青かったっけ?
私は目の前に視線を移した。校舎のクリーム色の壁、私を追い抜く学生たちの制服、足元に落ちている薄桃色の桜の花びら。すべてが鮮やかに私を取り巻いていた。
不思議だ。あの女の子を見てから、世界がすっかり変わってしまった。今までのことがまるで嘘だったかのように。
始業のチャイムの音を聞いて、はっと我に返った。やばい。遅刻だ。急いで玄関に向かう。
真新しい上靴に履き替えて目の前のホールへ向かうとき、体格のいい男の先生が待ち構えていた。
「おいおい、遅刻したならちゃんと用紙に記入しろよー」
「あ、すみません!」
私は慌てて事務机の上に置かれた用紙に目をやる。学年、学籍番号、名前、遅刻理由と書いた欄が載っている。学籍番号…?なんだそれ?まだ入学したてだから受験番号しかわからない。
「すみません。今日入学したばかりなんで、学籍番号わかりません…」
おそるおそる言うと、先生は呆れたように私の顔を見た。
「勘弁してくれよ。登校初日から遅刻か。いいよいいよ、学籍番号の欄は空欄で。学年、名前、遅刻理由だけ書いて。」
「は、はい!すみません!」
慌てて学年と名前の欄を埋める。遅刻理由は…?なんて書こう?まさか、綺麗な女の子に見とれていました、なんて書けないし。テキトーに寝坊、と書いておこう。
「明日からは遅れずに登校しろよー」
「はい!」
先生の声を背中に受けながら、足早にその場を後にする。いつもなら先生に叱られて落ち込むところだけど、今回はむしろにっこりと微笑みたくなった。あの女の子に会えたから。しかも同じ高校にいるんだから、もしかしたらまた会えるかもしれない。
これからの高校生活に、また一つ目標ができた。
それは…あの女の子と友達になることだ。
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