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日の出への応援コメント
渋川館の戦の様子って「大連親率子弟與奴軍、築稻城而戰。於是大連、昇衣揩朴枝間臨射如雨。」と書かれてますけど、建物の具体的な様子が分からないんですよね。
個人的には『日本書紀』巻二四皇極天皇三年十一月に登場する蘇我蝦夷・入鹿の家が近かったのかなと想像してます。
「家外作城柵、門傍作兵庫、毎門置盛水舟一、木鈎數十、以備火災。恆使力人持兵守家。大臣、使長直於大丹穗山造桙削寺。更起家於畝傍山東、穿池爲城、起庫儲箭。恆將五十兵士、続身出入。名健人曰東方儐從者。氏氏人等入侍其門、名曰祖子孺者。漢直等全侍二門」
>守屋は矢に添えていた指を離した。鷹のように鋭く、熊のように力強い。
鷹で思い出したのですが『源平盛衰記』で太子が四天王寺を建てようとした時に、物部守屋の怨霊が啄木鳥となって堂舎をつついて滅ぼそうとしたら太子が白い鷹になって守屋の怨霊を降伏させたというファンタジーがありましたね。。。
作者からの返信
そうなのです。
あの時代の建物については埴輪なども参考にしながら考えてみるものの、なかなか難しいのですよね。
まあ心情メインにしたいところでしたので、情景描写はだいぶ省いてしまいました(苦笑
寺つつき!
守屋さんは波久奴神社の萩生翁の話など、なかなかファンタジーな逸話が多くて面白いです。
鞍作部への応援コメント
デーモン法師と申します。
仏像好き(特に飛鳥〜天平のもの、もちろん止利仏師も大好き)&古代史好きにはたまりませんです!
どストライクです!!
仏教関係はなかなかないので、じっくり楽しみたいと思います。よろしくお願いします!
※有名ですが、法隆寺はお気に入りデス
作者からの返信
応援コメントありがとうございます! あめと申します。
そう言っていただけて嬉しいです〜!
仏教に関してはまだまだ勉強中で浅学なのですが、鞍作止利が活躍した時代が大好きでこの小説を書き始めました。
現段階では仏教に関して深く触れられていませんが、これから勉強を続けつつ、仏師としての止利を描いていきたいなと思っています。
私も法隆寺大好きです!
止利が好きな方と巡り会えてこちらこそ光栄です〜!
編集済
合流への応援コメント
歴代の大臣・大連の氏族が束になっている連合軍の中でも最強っぽい大伴軍でも歯が立たない物部氏強し。
そう言えば大伴室屋の時代には既に三千人の兵力があった記録をエッセイで取り上げた事がありますが、(集解職員令左衛士府条所引弘仁二年十一月二十八日付官符「室屋大連公。領靱負三千人。」)連合軍のメンツみると海外遠征時よりもゴージャスな顔ぶれで一体何万兵が集まるのよという感じですが(笑)(実際は大和や河内近辺のみの地域で短期間で招集出来る兵も限られてくるでしょうから、せいぜい保元の乱と同程度の規模かと思いますが)
葛城氏推しの私としては葛城臣としては約百年ぶりに日本書紀で登場する烏奈良さんの出番が(´・ω・`)
編集済
不意打ちへの応援コメント
飛鳥時代のランボー(ネタが古い? 気にしないでください)、捕鳥部万見参。
奇しくもこちらも本日、捕鳥部万の伝承を投下予定だったりします(宣伝かよ)
それにしても竹田がいちいち可愛すぎるのですが。
細かい突っ込みで恐縮ですが、八十物部は物部八十氏の事でしょうか?
作者からの返信
んふふw
アクションシーンの躍動感を出すのが苦手なので頑張りたいところですね······。
おおお!万くんのことを投稿されるのですね!?
最近忙しくて追いかけるペースがゆっくりだったのですが、ちまちまと追いつきたいと思います。
いつも参考にさせていただいてます!
あと竹田ちゃんへの感想ありがとうございます。他の皇子に比べて良くも悪くも"普通"の少年という立ち位置で描写しております。
八十物部に関しては、物部八十氏で合っております。
ご指摘の通り、「物部八十氏」や「物部の八十氏」という言い方がより一般的かつ学術的な資料にも多いと思っているのですが、ネットだと「八十物部」という書き方をしているサイトもありまして。
この場面で「八十物部」の呼び名を選択したのは完全にニュアンスなので、批判も出るだろうなと思っております。
私の創作内で使用する時のイメージとしては、配下の氏族の多さを表す際、「氏族」に重きを置いた発言の際は「物部八十氏」、今回のように他者から見てざっくりふんわり「多さ」を示したい発言の際は「八十物部」を使いたいなと思っております。
まあそもそもこの「物部八十氏」については色々議論があるところかと思いますので、どちらにせよそんなに創作内での使用頻度は高くないだろうなとは考えております。
編集済
小野への応援コメント
春日氏は祖が和珥氏だったり、小野氏とかあったりややこしいですよね。雄略紀の春日小野臣大樹は小野妹子とはまた別系統の小野氏だとか……古代史研究してる人でもなきゃ分からんですわ。
物部「首」の祖、市河は春日氏出身で、物部「連」とは別系統の古来からの勢力で、物部連が乗り込んで来た事から、その力関係で物部連の支配下に置かれたと言う津田左右吉の説もありますね。だとしたら、物部連に対する恨みも深いかも知れませんね。
話が変わりますが、平群臣神手なんてマイナーな人物を調べていたら聖徳太子の伝承集的な文献を見つけたので宜しければどうぞご覧ください。
・『聖徳太子御伝叢書』(上宮聖徳太子傳補闕記、聖徳太子傳暦、上宮聖徳法王帝説など)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1057756
作者からの返信
そうなのですよね〜!
春日氏は系図だの本拠地だのちょっとややこしいので、今後は話に合わせてアレンジ多めになってしまう予定です······。
おおお!?!?
『聖徳太子御伝叢書』ってネットに載ってるのですか!?!?
恥ずかしながら知らなかったです······情報ありがとうございます!
そして神手さん調べていらっしゃったとは······( *´꒳`* )
平群氏の中では結構好きな方なのでテンション上がってしまいました(でも一番好きなのは平群広成だったり······)
物部守屋への応援コメント
万の白い犬……この後を思うと(´;ω;`)ウッ…
しかし、私なんて『日本書紀』の記述に縛られてしまう方なので、馬子と守屋が元々は仲が良かったという設定は思いつきませんでしたね。
ですが考えてみたら物部氏の伝承を載せた『先代旧事本紀』ですら蘇我氏に好意的な印象を感じさせるので、こういうのもありかも知れませんね。
作者からの返信
わぁぁ素敵なレビューありがとうございました!
万の白犬······ウッ胸が痛いです。厩戸の雪丸はマスコットキャラクターにまでなっているので、万の白犬ももっと有名にならないかなぁなどと夢をみています( ˇ ꒳ ˇ )
馬子が守屋の妹と結婚していたり、さらに入鹿の母も物部の娘説があったりなどなど、割と繋がりも深いのかななどと考えていました。
特に贄子など石上の方へ力が移ってからはそこまで仲違いしているイメージはありませんね······私の主観ですが······((
やはり史料重視&研究目線の方からすると、創作物でのキャラ付けって新鮮なのだろうなと思います。
そこを考えるのが我々創作者の仕事でもあると思うので、興味を持っていただけて嬉しかったです!
気配への応援コメント
宅部皇子ってよく分からない人物ですよね。
宣化天皇の子と崇峻天皇紀の脚注には書いてますが、宣化天皇紀には出てこないし、欽明の子とする文献もあるらしいですが、それは間違えだそうですし、そもそも崇峻天皇紀の脚注も「未だ詳らかならず」ですしね……。
作者からの返信
そうなんですよね〜!
森公章先生なども宣化天皇の子とする資料を使っていたので、とりあえず小説ではその辺りの血筋として考えようかなぁと思ってますが、詳しいところは分からず······。
あとは藤ノ木古墳の真偽も気になるところですね。個人的には藤ノ木古墳の被葬者が穴穂部と宅部なのではないかなぁと解釈しているのですが、北側被葬者が小柄なところが気になりますね······。
新たな発見を祈りたいです。
中臣勝海への応援コメント
物部守屋相当の豪傑っぽいですから凄まれたら怖いでしょうね。個人的には戦国時代の柴田勝家みたいなイメージです。
逆のストーリーもお書きになられる予定なのですね!
私も昔、日本古代氏族研究叢書の『大神氏の研究』まで購入して書こうと思った時期があったのですがモチベーションが落ちていて挫折した事があるので頑張ってください。
あと、捕鳥部万は殺された後に鬼として蘇って、現代に登場する話を昔自分のサイトに書きましたね……恥ずかしい位下手な話だったですが(滝
作者からの返信
おおお!万のお話を書かれていたのですか!?
とても気になります······!
逸話を見ると「万も作品の主人公として優秀なのではないか」とは思うのですが、なかなか中心として表に出せず······もっと深堀して勉強したい人でもあります。
殯宮への応援コメント
殯宮出て来ましたねw
歴史ifですが、大伴氏が失脚していなかったら如何だったのかなと思います。
物部尾輿が大伴金村を失脚させた恨みで大伴氏は丁未の変で蘇我に着いた可能性が高いと思うので、それが無ければ大伴氏が両氏の間に立ってとりなしていたか、あるいは物部氏に加担した可能性もありますよね。
まぁ、雄略朝辺りから長い期間大伴氏の権力が強すぎたので排斥も仕方なかったかも知れませんが。
作者からの返信
私も同じ考え方をしていたので「おおお!」と少しテンションが上がりました 笑。
少し後の時代ですが、書紀にて厩戸の子の山背を滅ぼした部分に大伴長徳の名がありましたね。まあ乙巳の変では葛城皇子や鎌足の方へついていたようですが······。何となく、丁未の乱の前あたりからは蘇我と親しかったのかな、などと想像しています。
ここで大伴や巨勢あたりが味方に付いたのは、蘇我にとって非常に大きな力になったのではないかと考えながらお話を進めているところです。
物部と蘇我への応援コメント
成程、大王の意向によって左右された面もあるかも知れませんね。
渡来人を多く受け入れていた物部氏が仏教を利用できるか伺っていた時期も当然あるでしょし。
近年のイスラム原理主義者のテロを見て思ったのが、この頃は現代の日本人では考えられない程信仰が重い物だったでしょうから、歴史学者の言うような現代人の視線で政治的な紛争とは単純に考えられないのですよね。
それでも現実の政治を動かす「賢い」権力者は解った上で如何に利用して人を動かすか心得ていたでしょうしね。
物部尾輿なんかみると、女にだらしないだけでなく、あまり先見の明が無かったのかと思ったりします。(物部麁鹿火はもっと評価されるべきですが)
神と仏への応援コメント
そろそろ、きな臭くなってきましたね。
歴史学者の加藤謙吉だったかと思いますが、物部氏の本拠地に仏を祀った後があるので、物部氏も仏教を崇拝していて、日本書紀の宗教紛争の記述は嘘だったなんていう穿った説が結構有力ですよね。
ビサンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされた後、教会がイスラム教式のモスクに替えられたのと同じように、物部氏の本拠地が蘇我氏に奪われたことにより仏を祀られた跡に過ぎないと個人的には思うので日本書紀の記述を支持してますが。
作者からの返信
たくさんのコメントありがとうございます!
とても励みになります!
ビザンツ帝国の例を挙げた考察······個人的にとても腑に落ちて、「そんな考え方も出来るのか!」と面白く思いました。
この作品では加藤先生の説も踏まえつつ、守屋と馬子の心情変化を中心に据えて展開していく予定です。
まだまだ展開を練るのは苦手なのですが、麗玲さんの考え方も参考にさせていただき、頑張りたいと思います!
豪商への応援コメント
ネタバレになりそうなので深く触れませんが、後世の伝承では河勝は武人っぽく伝わっていますよね。
あと、多分御作よりもずっと先の話かと思いますが、皇極天皇紀で胡散臭い宗教を広めていた大生部多を打ち殺してますね。
「太秦(うつまさ・雄略に賜った秦酒公の姓。秦氏と同じ)が神と聞こえる常世の神を打ち殺した」と歌え讃えられたほどなので本当に名の知れた武人だったのかも知れません。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
河勝は多種多様な逸話や伝承が多く、どこか不思議なイメージがありますよね。
確か『風姿花伝』だったと思うのですが、初瀬川が氾濫した際に流れ着いた子······みたいな伝承を聞いたときには、やはり逸話のインパクトが大きいなこの方、って思ってしまいました 笑
本作では武・商・舞を三本柱にして河勝を練り上げたのですが、やはり古代史好きの方々の間では武人のイメージが強いみたいです。
常世の神の逸話は他の作品で少し触れる程度で、この作品では取り扱わないのですが、河勝の長寿を思わせる記述でもあり個人的に好きです。
編集済
国境への応援コメント
古代を舞台とした小説書く時、一次文献が限られている時代の地名表記は結構迷いますよね。
「武蔵」は藤原宮木簡だと「无邪志」(国名が良字として2字と規定される前)ですし「胸刺」と同じだとも別と言う説もありますしね。
「山城」以前が「山背」であったけれどそれ以前は本当に「山代」なのか? 『先代旧事本紀』「国造本紀」では時系列考えずに「山城」「山背」「山代」の3例があったりしますしね。
昔、5世紀頃の小説を書いた時、なるべく古い表記にしようかと思ったのですが、「大和」も「大倭」とすべきなのか、過去には大和の半分が葛城国だったと言いますし、葛城国と書いても読者に伝わらないのかと思って結局「大和」として小説を書いた事があります。
*5/13 追記
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991097
デジタルライブラリの国史大系の『先代旧事本紀』「國造本紀」215コマ目に
「山城國造」の項目に「橿原朝御代。阿多根命爲、山代國造」と書かれており、隣の項目に「山背國造」と書かれていました。
ここまで表記のブレがあると「國造本紀」も『上宮聖徳法王帝説』みたいに書かれた時代がバラバラで継ぎ足されていった感じが否めませんね。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
そうなのですよね······私も山背についてはその三つで悩みました。しかしこの作品は別作の土地擬人化物語のスピンオフですので、そちらに合わせて「山背」表記にした次第です。
「山代」の表記があるのは『先代旧事本紀』なのですね! お恥ずかしい限りですが、そこのソースが見つからず悩んでいたのでとても助かりました!
読者のことも考えるとより一般的な方へ流れてしまいますよね······。私も何を目的とした創作なのかをよく考えながら、言葉選びをしていきたいと思います。
編集済
厩戸への応援コメント
>「ああ、蘇我の大臣は背が低いからな。この間も物部の大連にからかわれてたぞ」
敏達天皇が崩御した後の殯宮の話ですね。
小柄な体に大きな刀を佩刀した馬子の姿を守屋が笑ったとか。
矢で射られた雀の様だとか言われたそうですが、葛城氏や蘇我氏の研究で著名な歴史学者の平林章二氏(『蘇我氏の実像と葛城氏』白水社)によると、中国の『礼記』にも雀の跳ねる様な仕草が書かれていて、古代日本でも当時の中国の喪葬儀礼を導入して蘇我氏が整備したものだから物部守屋が嘲笑い、両者の対立が激化したという説を述べられていましたね。
作者からの返信
おお! 流石麗玲さん!!
気づいて頂けて嬉しいです。
麗玲さんも平林氏の著書読まれていたのですね! 博識ぶりに脱帽です。この作品では、キャラクター性を引き立たせるために単に小柄だという設定にしているのですが、私も平林氏の学説を面白いなあと拝見させて頂きました。
殯宮の鈴と雀の逸話も後々出てきますので、楽しみにして頂ければ幸いです!
嶋への応援コメント
素敵な話の組み方だと思います。私、こういうの好きです!お互い、執筆がんばりましょうね🐰
作者からの返信
ありがとうございます!
そう言っていただけて嬉しいです!
谷さんの作品も読ませていただきますね。
お互い頑張りましょう✨